《前編》 

 

【満州国は「満足国」だった】

 私は満州瀋陽に生まれ、大学時代は長春で過ごした正真正銘の 「満州の子」 です。私が 「満州」 をたっぷり体験したのは、かつての満州国の首都長春でした。
 長春は駅前の広場から、三本の幹線道路が放射線状に延びる整然とした街です。その西洋並みのスケールと整然としたさまは、今日も鮮明に記憶されています。
 数年前までそのまま使用されていた長春駅をはじめ、長春という近代都市が、かつて日本人が作ったものであることを始めて知ったわたしは、驚嘆するばかりでした。 (p.130)
 戦前、日本人が満州国建設のために投入した資本の総量は、並みのものではない。そこには、新国家建設という理想があったからだ。しかし、敗戦後、満州国に込められた理想と残された町並みは、殆ど語り継がれることがなくなっている。
 敗戦時に日本に帰らず、そのまま中国人民となって中国建国に献身的に関わっていた人々のことを知っていた周恩来は、そのような日本人の美しさをスピーチで取り上げている。

 

 

【日本の占領区は「楽園」だった】
 1932年の上海事変以後、日本軍の占領にともなって・・・・。しかし、中国で現在言われているように 「地獄」 に転落したわけではなく、むしろ空前の繁栄を謳う 「楽園」 と化しました。 (p.147)
 北京を見ても、日本が降伏するまで殆どの著名な大学の設備、図書館はすべて増大している。1936年の大学数は108校だったが、1945年には141校に増えている。 (p.148)
 「日中戦争の期間」 という言葉を聞いただけで、悲惨な状況ばかり想像してしまうが、その日本に占領されていた中国の実態は、実はこのような建設的な側面が多大にあったのである。戦闘期間より建設期間のほうが遥かに長いのである。
 ドイツに占領されたフランスの例と比較すれば、日本に占領された中国は、まさに信じがたい楽園である。戦争の側面だけをことさら喧伝する中国人。そして加害者だったと信じてしまっている日本人。実態を隠蔽して情報を支配するものたちの罪、邪悪な心をして恐れることがないならば続けるがいい。

 

 

【孫文=孫中山】
 孫文は、中国では 「孫中山」 の名で知られていますが、その 「中山」 という号も日本人からもらったものであることはあまり知られていません。 (p.176)
              【白龍会】
 台湾や中国・南京付近で中山路(ジョンシャンルー)という道路を見かける。孫文に関わって残された道路の名称である。日本滞在期間の長かった孫文のことを、中国人は殆ど知らない。台湾の国旗に残っている 「青天白日旗」 の絵柄も、孫文が日本の国旗に似ているからという理由で採用したものなのだという。
             【政治状況に左右される天皇継承者】
             【辛亥革命の一翼を担った方】

 

 

【現代中国語における日本語】
 2002年10月14日、インターネット 「世紀中国」 に寄せた論文の中で、中国人学者・王彬彬は、次のように述べています。
 「現代中国語の中における日本語は、数量としても驚異的ですらある。統計によれば、わたしたちが今日使用している社会、人文、科学諸領域の名詞、述語の70%は日本から輸入したものだ。これらは日本人による西洋言語の翻訳を経て中国に伝来し、中国語の中に牢固たる根をおろしたのである。 (p.186)
 このページ付近に、それらの単語が詳細に記述されている。
           【日本は中国からの文化を輸入しているだけの国か?】

 

 

【ブタ鳥】
 インド洋のある島に 「ブタ鳥」 という鳥が生息していますが、この島にはあまりにも餌が豊富だったために何もしなくなったあげく、羽が退化し、体がブタのように肥大化して飛べなくなったようです。わたしは、日本人は戦後の物質的豊かさと教育の荒廃により、まさに 「ブタ鳥」 になってしまったと批判してきました。
 その 「ブタ鳥」 的退嬰化を最も代弁するのが、若い世代の幼稚さや無教養さと国家への無関心、祖国の歴史に対する無知などです。 (p.224)
 チャンちゃんは、外国人と接する機会を保ってきたから、日本の歴史に関して少々知識を持てるようになったけれど、外国人に接する機会がなかったら、チャンちゃんも 「ブタ鳥」 になっていたかもしれない。

 

 

【災民文化】
 任不寐という著者の 『災変論』 という本の内容が紹介されている。長くなるけれど・・・書き出しておこう。
 和辻哲郎の 「風土」 論的視野で、中国の生存地理環境、風土と国民性の関連をさぐり、斬新な論点を主張しています。
 任は、統計的データ分析により、中国の自然災禍は、西洋よりきわめて頻繁で、連綿たる自然災害と外来進入によって、「災民文化」 ともいうべき中国の特殊な文化が形成されたと断言しています。中国の国民性の弱点、精神的欠陥を 「災民性」 と捉え、彼は、それを具体的には対権力恐怖心、敵対意識、事大主義と狡猾と定義し、これはまた中国独裁体制依存の土壌を提供しているというのです。
 任は次のように述べています。
 「物質的窮乏と生活の極端な不穏定(経済的波動)は、災民社会の基本的経済の特徴であり、なにより 『生存のため』 になることが最優先される。とりわけ 『生きる』 ことと 『不法をしてでも生きる』 ことが、中国人の2大人生理想である。政治、文化、宗教、習俗は皆生存の手段以外の何ものでもない。また、往々にして、『生きる』 目的のためには、災民たちは手段を選ばない。飲み食いするためならば彼らはいかなる残虐なことでもできるし、いかなる無恥な任務でも甘受できる。いかなる下賎な生き方でもできるのである。生活の艱難のゆえ、やくざ、宦官、特務、獄卒、殺人者のような職業にも雲集するのである」 (p.245-246)
 この風土論的な記述は、最も正鵠を射た中国人論であろう。中国古代の為政者達は、日本人から見ると天災の予知に過度な神経を使っていたことが、様々な文献から分かるのである。
 日々の生活に疲れた日本人が中国を旅して、中国人の生活力の逞しさに、人間本来の逞しさを感じることがあるけれど、中国人の 『生きる』 ことの逞しさの裏側には、『手段を選ばない』 という性があることを知っていなければならない。
 「因果応報」 の三世思想を心得る日本人と、生きるためには手段を選ばない 「災民文化」 の中国人が、同じ土地で共に生活をすることは不可能である。
 
<了>

 

  金文学・著の読書記録

     『「反日」に狂う中国 「友好」とおもねる日本』

     『中国人民に告ぐ -痛憤の母国批判-』