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 イギリスと言えば、「保守的」というイメージだけど、新発見があれば・・・と思いつつ読んでみた。2000年1月初版。

 

 

【エレベーターでおならをした人】
 アングロ・サクソンの女たちはこの哀れな連中を不憫に思い、結婚するようになった。そして、じょじょに彼らを文明化していった ―― 怪しげな「ギュローム・ド・ボウン」という名前を、信用できる「ビル・ボーン」という名前に変えることで。
 いまでもノルマン人の子孫は、おなじような扱いを受けている。自慢しようと思って、「うちの一族は征服王ウイリアム一世とともに海を渡ってきた」とさり気なく口にしようものなら、イギリス人から、エレベーターでおならをした人を見るような冷たい視線をむけられることになる。(p.2)
 ギュロームという名前が英国の小説の中に出てきたら、ノルマン系であると分かり背景をつかみやすい。

 

 

【隣人同士】
 おなじイギリス諸島に住む隣人たちに目を向けると、イギリス人はそのなかで自分がいちばん優秀であることに、ぜったいの自信を持っている。それは、つまらない先入観などではない。科学的な事実なのだ。アイルランド人は厄介者で、その上、役立たずときている。スコットランド人は頭は切れるが、金に汚い。そして、ウェールズ人はとにかく信用できない。スコットランド人やアイルランド人でさえ、そう考えている。(p.7-8)
 近隣同志、ミソクソに貶し合うのは世界共通であるけれど、「イギリス人がいちばん優秀であるのは、科学的事実なのだ」とあるのを読んで笑ってしまう。だからこそ「まっかなホント」なのだろう。

 

 

【ふたつの顔】
 イギリス人のお気に入りの格言は、「なにごとにもふたつの面がある」というやつだ。この決まり文句は、議論や意見が衝突した際などに、しばしば得々として持ちだされる。だが、二面性があるものといったら、なにをおいてもイギリス人の性格をあげないわけにはいかないだろう。
 表向き、イギリス人はいつも堅苦しく、冷静に見える。・・・中略・・・。だが、一皮むけば、そこには本能ともいうべき暴力的な衝動が潜んでいる。イギリス人はこの衝動を完璧に抑え切れたためしがなく、とりあえず無視するか、隠そうとする。(p.11)
 イギリス人はみんな、『ジギル博士とハイド氏』だと言っている。
 イギリスの子供は生まれた時から、本音を押し殺し、いきすぎた行動を控え、他人の気分を害さないようにしろ、と教え込まれる。ところが、教える側のおとなの言動がしばしばそれと矛盾しているため、子供たちは疑問を抱くようになる。それに対するおとなたちの答えは、こうだ。「行動は真似しなくていいから、われわれのいうことのほうをお手本にしなさい。」 要するに、口先だけなのだ。小さな双面神(ヤヌス)たちはすぐにコツをつかみ、イギリス人の特徴である「ふたつの顔」を身につけていく。仮面のできあがりだ。(p.11-12)

 

 

【階級社会への執着と批判】
 男女を問わず、称号や資格をひけらかすのは、完全に「ペイル(礼節の範囲)」を超えた行為とされている。こうしたものを誇示しても許される場所は、封筒の表書きだけである。(p.16)
 観光施設の入り口で貴族的な装いをしたスタッフのおじさんに、「サンキュー サー」と言ったら、湧き上がるようなとんでもなく嬉しそうな表情になったものだった。サーの称号は、凄い威力があるのである。イギリスは露骨な階級社会なのに、称号をひけらかすのは礼節を外れていると取るのは、ちょっと意外。
 集団に属したいというイギリス人の熱い思いは、そのまま階級制度への執着となってあらわれている。(p.25)
 イギリス人はこのような階級社会を批判し、社会の流動性をもっと高めるべきだと声高に主張している。そのくせ、いざ結婚となると、おなじ階層の相手とするのがいちばん、と考えている。そうすれば、陶磁器のカモを壁に飾るのが悪趣味かどうか、魚肉用のナイフを使うのが正しいかどうかで、夫婦げんかにならずにすむからだ。(p.26)

 

 

【動物愛護?】
 英国人はペットフードに年間17億ポンドちかくを使っているが、これは紅茶とコーヒーに費やされる額の2倍に相当する。
 犬、猫、オウム、モルモットは、なにをしても許される。・・・中略・・・。
 動物への虐待行為など、もってのほかだ。それゆえ、いまだにキツネ狩りをしているイギリス人は、「キツネは狩られるのを楽しんでいる」と考えて自分を納得させている。(p.54)
 1ポンド170円として、17億ポンドは2890億円。イギリスの人口は6300万人で、一世帯4人としてペットを所有する家が3件に1件としたら、6300万÷12=525万匹。年間で2890億円÷525万≒5500円。月額で460円。うちのシケ桃ですら月額で1000円くらいだから、イギリスはペット天国とはいえないだろう。
 キツネ狩りという用語が出てきたから思い出したのだけれど、ロンドンのほぼ中心にあるソーホーという地名は、キツネ狩りの叫び声に由来すると言ってたっけ。

 

 

【お通じに対する関心の高さ】
 イギリス人はごく幼いうちから、お通じの規則正しさと硬さに多大なる関心を抱くようにしつけられる。朝、トイレに行って満足すべき成果が得られなかった日は、幸先が悪いということになる。この腸の活動に対する執着心は、一生、薄れることがない。
 大陸にいる隣人たちがペーストリーとジャムで朝食をすませるのに対し、イギリス人は食物繊維が豊富で、その効能を商品名 ―― 〈力:フォース〉とか、〈すべてふすま:オール・ブラン〉とか ―― で高らかにうたいあげているシリアルを何杯もかきこむ。浴室の棚には整腸剤がずらりとならんでいるし、昔ながらの便秘薬も依然として売れ行き好調だ。(p.63)
 これを読んで、「イギリスのホテルでは、何で朝食にイングリッシュとコンチネンタルの選択権が与えられるのか」が分かった。

 

 

【サバイバル行軍】
 彼らは、ほぼまちがいなく雨が降るとわかっているグリムペン・マイヤや湖水地方までわざわざ出かけていき、自然のあたえる最悪の試練に、力の限り立ち向かっていく。・・・中略・・・。
 人びとは大変な試練を味わわせてもらうため、けっこうな額の金を払って、僻地へとおもむく。「サバイバル」といったようなロマンチックな名称のついたこの手のコースは性格形成に役立つと考えられており、それゆえ、引く手あまたの状態だ。これさえこなせば、イギリス人らしい表情 ―― 口元をきつく結んで、感情を表に出さないようにする ―― が身につくこと、請け合いである。(p.68)
 行軍などと聞くと、「八甲田山死の彷徨」を思い出してしまう。そこまで命がけではないけれど、やせがまんというか忍耐重視のイギリス人の行動様式は、日本人の精神性に若干似ている。

 

 

【夏のイギリス】
 夏にイギリスを訪れて、週末に一度もクリケットの試合を見かけなかったら、その人物は目が不自由だとしか考えられない。・・・中略・・・夏のイギリスでクリケットから逃れるのは、不可能なのである。(p.71)
 英連邦の国々はみんなクリケットが盛ん。アメリカが野球で中南米や日韓台などの諸国家を取り込んだのは、イギリスのクリケット戦略を真似たのだろう。

 

 

【パブリック・スクール】
 比較的裕福な子供にとって、学校といえば、パブリック・スクール(実際には私立で、しかも、たいていは全寮制)を意味する。パブリック・スクールの生徒の親は、全寮制を歓迎している。子供は家庭から離れたところで育てるのがいちばん、と信じているからである。
 パブリック・スクールのなかには共学のところもあるが、その多くは男子校、もしくは女子高である。生徒たちは幼くして、修道院や刑務所といった施設とおなじような生活を体験するわけだ。(p.86)
 授業料のいらない文字通りのパブリック・スクールは、パブリック・デイ・スクール。こちらは教師不足、備品不足、生徒不足なのだという。
 下記リンクは、パブリック・スクールの全寮制女子高体験者の著作。
    《参照》   『バトル・アビー こころの教育』 西浦みどり (廣済堂出版)

 

 

【切手に国名なし】
 イギリスの君主は、社会の最高権威者であるだけでなく、国教会の最高首長であり、政府の名目上の長でもある。税金の督促状は、「女王陛下の用事にて」(=公用)と印刷された封筒に入って送られてくる。郵便制度そのものも、王室のものだ。切手の絵柄がすべて君主の肖像画で、国名が印刷されていないのは、英国ならではの特徴である。・・・中略・・・。切手を発明したのがイギリスだから、というだけの話である。(p.94-95)
 インターネットを世界展開させたアメリカのEメール・アドレスに自国用のコードがないのは、切手を発明したイギリスに国名が印刷されていないのと同じ、と考えればいいのだろう。
    《参照》   『アメリカのベジタリアンはなぜ太っているのか?』 矢部武 (あさ出版) 《後編》
              【アメリカの傲慢】

 

 

【Vサイン】
 侮蔑的な意味のこもった後者のしぐさ(Vサイン)は、アジャンクールの戦でイギリスの射手たちが、敵の弓の射程外に立ち、そこから相手に向かってやって見せたのがはじまりだ。当時、射手はフランス軍に捕まると、弓を引く指(人差し指と中指)を切断されたていたので、この二本の指を見せびらかすことで、自分がまだ健在であることを誇示していたのである。言葉に代わるものとして、これ以上、雄弁なしぐさはない。(p.109)
 VサインはVictory(勝利)の頭文字として単純に理解していたけれど、このような元来の意味があったのだろう。

 

 

<了>