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 12歳から英国で全寮制教育を受けていた著者・西浦さんの経験から、英国の教育方法、英国の女性教育の実例が学べます。教育や文化の根本を考える上でも、とてもためになる良い本でした。


【バトル・アビー・ガールズ・スクール ( Battle Abbey girls school ) 】
 バトルはイギリス発祥の地、と紹介されています。(p.124)
 バトル(戦)という地名は、11世紀にサクソン族の王・ハロルドが、上陸してきたノルマンジー公・ウイリアムと戦った戦地であることに由来するそうです。ウイリアム公は、「勝利の暁には、勝ち戦に感謝して寺院を建てる」と約束していたそうです。戦に勝利し征服王となったウイリアムは寺院(abbey)を建てました。
 ノルマンジー征服王朝といわれる英国王室の権威は、この時から始まったようです。
 バトル・アビーの建立過程は、聖徳太子が四天王寺を建立した過程と同じですね。その寺院が後々の改修を経て、学校になったのだそうです。
 


【敬意をもって接する文化】
 西浦さんは、英国で 「教師をはじめ、すべての目上の人々に敬意をもって接する」 (p.162) 

 ことを学んだと書いています。
 日本の戦後教育は、民主主義を学ぶために、歴史の浅いアメリカから文化を受け入れてしまいました。自由と平等ばかりが先行して、敬意という精神が日本から急速に失われていったようです。


【騎士道と武士道】
 民主主義発祥の国である英国には、上述したように、「敬」 の精神が保たれています。日本に習慣法として存在していた武士道精神を条文化した、鎌倉時代の 「貞永式目」 の基本精神も「敬」でした。英国の騎士道と日本の武士道には、相通ずる精神があるのです。
 しかし、明治憲法下に並存していた教育勅語が、戦後、アメリカの占領下で廃棄され、武士道精神の流れは絶たれてしまっているように思えます。現在の日本の教育には、おのずからなる 「敬」 の精神がないのです。


【女性の役割】
 経団連の会長を務め、日本の為に尽力してくださっていた土光敏夫さんのことを語った本の中に書かれていたのですが、土光さんのお母様は、「女性の教育が大切だ」 といい、女学校を経営されていたそうです。著者の西浦さんが体験した英国教育に相通ずるものがあったであろうことは、容易に推測されます
 淑女の全寮制女学校であったバトル・アビーの食事の実情を読んで思いついたことが、もう一点あります。土光さんの朝の食卓には 「めざし」 程度しかなかったそうですが、これは清貧というより、過剰を排する質実な文化としての精神的豊かさであると考えることが出来ると思います。過剰な食卓には、成金の貧しい精神が溢れていると、確かに心理学的にいえるのですから。
 社会にも家庭にも敬がなく、家庭で、母親が父親を貶めているならば、それを見ている男の子が、父親になることに誇りがもてるかどうか、言うまでもないでしょう。柔よく剛を制する女性の智慧が復活しないことには、日本の完全復活は望めないように思えます。
 


【花の名前を学ぶ】
 西浦さんは、学校で、ラテン語と俗名の両方を覚えなければならなかったそうです。ガーデニングを愛好することは日本人と似ていますが、英国人にとっては、単なる愛好だけではなさそうです。花の名前を覚えることは、自然の知識を備えた教養人としての生きかたに関わるそうです。
 私もそうなのですが、花の名前を知らないことに開き直っているというか、「どうでもいいじゃん」 なのですが、そういうのってダメみたいです。花の名前は趣味の世界ではなくって教養である、と自覚した方が良いのかもしれません。
 西浦さんが言うには、男は機械のことや自分のビジネスのことだけ知っていればいいという風潮は間違っています。(p.114) ですって。匂いとか花言葉まで含めて、なんとかしましょっか。


【花言葉】
 花言葉で、チャンちゃんのオカチメンコ頭でも残っている歌詞があります。大学時代にいっしょに徹マン(徹夜のマージャン)していた誰かが私の部屋に置き忘れていったCDに入っていた曲です。
 八神純子 の 『DAWN』 という曲。

  銀河の光が、夜明けに溶ける空
  さよなら、少女の私が 眠るふるさと
  心のポケットには 勇気と作りかけの歌

  あなたは、まだ夢の中、ごめんなさいね
  ドアの外のライラックが、別れの言葉代わり。

   ※ ライラックの花言葉は、「初恋」

 

<了>