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 学生時代、自分で邦楽のCDを買うことは決してなかった。友人の誰かが私の部屋に置き忘れていったのが1枚あった。それが八神純子の 『素顔の私』 というアルバムCDだった。それ故、古書店で目についた。
 20歳で歌手デビューした著者が、その2年後、シンガー・ソング・ライターとしての人生に悩み、その解決口になればと、一人でアメリカ滞在54日間を実践した時の心の軌跡が正直に書かれている。
 

【心を蘇生させたハワイアン・ビーチの太陽】
 最初にロスに行きながら、風邪ぎみの体調を立て直すべく、折り返して滞在したハワイ。
 陽に焼けて、人間が変わったんだなって思った。・・・(中略)・・・。
 ハートが、内側から、ふくらみ返してきたのが分かる。
 「ようし、やればできるはずだ!」              (p.40)
 風邪と一緒に心にのしかかっていた歌手としての重圧も、ハワイアン・ビーチの太陽が吹き払ってくれたらしい。
 この本の序盤に書かれていることは、ホットパンツとノーブラTシャツで過ごした、とかいうこと。2年前まで名古屋で普通のお嬢様として育てられていた少女が、突然歌手になり、日本とは違った文化の土地で、大いに解放されて存分に弾け出したらしい。時代は今からおよそ28年も前のことだけれど、22歳の女性ってこういうものなのねぇ・・・・と思いつつ読んでいた。

 

 

【アナザー・ダイアリー】
 この前の私のコンサート・ツアーのタイトルが 「アナザー・ダイアリー」、つまり、誰でも実際につけている日記のほかにもうひとつ、誰にもみせられない心の日記を持っている、それが 「アナザー・ダイアリー」、もう一冊の日記帳、ということだったけど、当時の私の “アナザー・ダイアリー” は、ゴローだったということになる。
 ・・・(中略)・・・。
 今思うと「家中の人達の “人にいえない悩み事” を、 “人にはいえないけど、アナタは犬だから” と聞かされ続けて、それが心の重荷になって彼の死を早めてしまったのかもしれないなァ」と思う。
 アービーさんちの “ピーナッツ・フリーク” ブーツの目を見ていて、遠い日ののぞき込んだゴローの目を思い出した。ゴローちゃん、あの頃のことごめんね。  (p.156-157)
 おんなじように思う。サニーちゃん、あの頃のことごめんね。
 でも、サニーちゃんは、今でもきっと、尻尾を振りながら私のそばにいる。

 

 

【舞踏病】
 私の病気は、小学校に上がる頃、発見された。他にはどこも悪くないのだけれど、この私の、たったひとつだけの病気は、とてもつらい病気なのだ。
 舞踏病 -------- 。                (p.132)
 へえ~。足を静止させておくことが困難な病気。特にそれを意識するとより困難になるのだという。
 これを読んだから、演奏直前のピアノの前にすわっていた筆者のやけに聴牌った様子が思い出される。ペダルワークを欲しているというよりは、明らかにストレス気味に見えていたあの白いスラックスの足・・・・。そうだったのか・・・とね。
 でも、日常生活に支障があるのではないから、どうでもいいじゃないですか。

 

 

【ピーターパンを演じていたサンディ・ダンカン】
 精神的な悩みだって、生理以外の悪コンディションだって、長丁場の間には、何十回、何百回ってあっただろう。それでも、私のように80年6月6日の 「ピーターパン」 を 1回だけ見に来てくれた人のために全力を、いつもと同じように尽くしてやっている。これがプロなのだ。
 ありがとう、サンディ!
 この気持ちは、とても言葉ではいえない。アメリカにきて、どの勉強をするよりも、あなたは大きなことを、今の私に教えてくださった。   (p.238)
 著者はエンターテナーだから、演ずる者としてのあり方に強い感動をえたみたい。
 でも、オーディエンスとしての一般人だったら、もう少し違った感動を受け取るのではないだろうか。
 アメリカの最も優れた側面の一つって、エンターテイメントのエネルギーなのだと思っている。特に、やや古い世代の日本人は、一般的に慎み深すぎて、控えめすぎて、アメリカ式エンターテイメントを体験してみるまでは、その良さを予測することすらできていないのではないだろうか。
 “人生はそもそもお芝居なのだから” と、ある程度、達観できていて、その上で、“お芝居を本気で演じている配役たちの笑顔がとっても美しい” と感じられたら、きっと一皮向けた日本人になれるのだろう。人生こそが、エンターテイメントなのだから・・・・・と。
 
<了>