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 読書記録パス本の中に平積みされていたのだけれど、今になって書いておいた。1999年12月初版。

 

 

【ドイツとイタリア】
 イタリア人は外国人が好きである。とくに、金持ちの外国人が。オーストリア人、スイス人、それにとりわけドイツ人は、昔からイタリアの天候と文化と海岸とライフスタイルを楽しんできた。彼らにとって、イタリアは遊び場なのだ。・・・中略・・・。イタリア人はじっと我慢の子を通してきた。・・・中略・・・。毎年600万人にものぼる彼らが、金をどっさり落とし、ふたたび北へ帰っていくかぎりは。(p.6)
 確かにイタリアを訪れる外国人観光客の中で、ドイツ人観光客は圧倒的に多い。
 ネットで2012年の資料 を見たら、ドイツ人観光客は断トツの1位で、900万人を超えている。
 歴史的にも、ドイツ・フランクフルトのロスチャイルド本家から息子の一人はイタリア南部のナポリに拠点を構えたのだし、戦時もヒトラーとムッソリーニの同盟関係もあって、ドイツとイタリアは関係良好なのだろう。
    《参照》   『1900年への旅』 寺島実郎 (新潮社) 《後編》
              【ヒトラーとムッソリーニ】

 

 

【イタリアの南部と北部】
 北部の人間は、南部に暮らす人びとを、半分アラブ人の血が混じった、性根の腐った田舎者だと軽蔑している。マフィアにも寛容で、働き者の自分たちが稼ぐ収入で糊口をしのいでいると眉をひそめている。南部人の方は北部の人間を、半分オーストリアやフランスの血が混じったものを知らない田舎者と見下している。いちばん豊かな土地に生まれたのは偶然にすぎないのだし、連中の工場や農地で汗水流すおれたちの稼ぎで糊口をしのいでいるとばかにしている。(p.11)
 ヨーロッパの南北で経済力を比較すれば、スペイン・イタリア・ギリシャの南側3国は、あきらかなお荷物で、ノー天気度は極めて高いけれど、イタリア国内で見ても、その南北状況は、同様に当てはまる。
 イタリア北西部に広がるロンバルディア平原(ミラノ・ボローニャ・ヴェネチアを結ぶ三角地帯)は、イタリア最大の農業地帯であり工業地帯でもある。繁栄はひとえに地形次第だから、経済力の差を南北でブツブツ言い合っても仕方がない。
 南部人の食事はパスタとオリーブオイルが中心。北部人にはトウモロコシと米とバターが欠かせない。言葉の違いははなはだしく、南部で製作された映画、『ラムール・モレスト』は、吹き替えられて北部で上映された。(p.11)
 イタリアと日本は、経度的にも地形的にも良く似ていて、南北で気候に大きな差があるはずだけれど、近年の地球環境(本当は宇宙環境)の変動によって、南北の気候差はなくなってゆくだろう。最近の日本を見てもわかるように、北海道が沖縄化しているのである。現在のイタリアにおいても、北西部ヴェネチアと南東部のナポリは気温がほとんど同じである。
 地球人の固定観念を変えるために、地球環境は大きく変わるだろう。生産される作物も変えることを前提に考えないことには始まらない。連動して食習慣・食文化も変わってゆくのである。

 

 

【許容範囲の内と外】
 イタリア人は、どちらかといえば、時間にルーズといっていいだろう、遅刻は歓迎こそされないが、大目に見られる。15分なら許容範囲。ただし、30分は許容外。(p.26)
 日本人から見たら、どこの国もルーズだけれど、インターネットが発達し、ビジネス環境とすれば均一化しているはずの今でも、イタリアは昔と変わっていないだろう。およそ30年前、初めての海外旅行で、ローマから電車に乗った時は15分も遅れて、しかも発車の音もなく出発したことを、当時は衝撃的なイベントとしてよく覚えている。
 今年もフィレンツェを出る時、電車がホームに入っていたにもかかわらず、出発時間になって漸く電光掲示板にホーム番号が表示され、それから乗客が乗り始めたから、出発は17分遅れた。この杜撰さもアッタリマエに許容範囲ということなのだろう。
 避暑観光地のソレントでは40分遅れた。許容範囲外のはずである。乗客は殆ど外国人で悠長なロシア人を除いてみな沸騰気味だったけれど、構内放送は一切なく、切符売り場以外に駅員は誰一人いなかった。結局これも許容範囲内なのである。
 独裁国家でもないのに、列車はおおむね時刻表通りに走っている。我が政府は公共輸送の効率化を実現した ―― これはムッソリーニが国民に呼びかけた言葉である。・・・中略・・・。もっとも、この言葉は真実とはほど遠い。列車なら以前からちゃんと時間どおりに運行されていたのだから。(p.89)
 嘘つくな!

 

 

【愛なくしてなんの人生ぞ】
 イタリア人は愛に情熱を傾けている。なにしろ、歌の99パーセントは愛を歌ったもの。頭はいつも愛のことでいっぱいだ。まったく、愛(アムール)なくしてなんの人生ぞ。(p.40)
 恋の達人を自認するイタリア人の男性は何百万という数に上のぼる。しかし、・・・中略・・・、200万人のイタリア人男性がインポテンツに苦しんでいるという。(p.41)
 いくら頭の中が愛でいっぱいのイタリア人でも、人口削減計画には勝てない。
 ロックフェラーは、人口削減を公言しつつ、これを世界中で実行しているのである。
    《参照》   『日本はドラゴニアンが作った世界最強の神州! だから、破滅の淵から這い上がる』高山長房《中編》
               【秘かに進められている世界の人口削減策】
    《参照》   『日本が分割統治される人類最終戦争が始まりました』 田村珠芳 (徳間書店) 《後編》
               【各種ウィルス】

 

 

【これぞまさしく人生だ】
 イタリア人は充実した人生を生きている。年がら年中、一日も休まず、1日24時間レジャーと娯楽に費やしていっさい後悔しない。これぞまさしく人生だ。(p.43)
 チャンちゃんは日本国内でイタリア人的人生観で生活をしている。既にプー太郎生活8年目である。同年代のプー太郎は近所にいっぱいいるけれど、世間体を怖れて(あるいはカネがなくて)ジッと家を出ずに蟄居している。馬鹿な生き方である。パープリン病(イタリア病)に罹患しているチャンちゃんは、しじゅうバイクでポコポコ近隣を走ったり、時に、「オラさ、東京さ、イグだ」 してみたり、旅に出たりして、人生を楽しんでいる。文句あるか!
    《参照》   『世界のどこでも生きられる! 外籠りのススメ』 谷本真由美 (ディスカバー) 《後編》
              【楽しむために生きている】
    《参照》   『フェラーリと鉄瓶』 奥山清行 (PHP) 《前編》
              【少なく稼いで優雅に過ごすイタリア人】