《前編》 より

 

 

【全部吹き替え】
 テレビは映画とアニメと昼メロの独壇場。ほとんどが外国で製作された番組であり、吹き替えて放映されている。吹き替えにはたまげてしまうようなことがある。たとえば、『ワンダとダイヤと優しい奴ら』。この映画には、ジョン・クリースがジェイミー・リー・カーチスを興奮させようと、ロシア語をしゃべるシーンがある。なのに、その台詞まで吹き替えられていた。(p.51)
    《参照》   『海角七号』 台湾映画
              【タイトル解題&絶対に字幕で】

 日本でも、テレビで放映される映画は大方吹き替えられているけれど、映画館なら字幕が多いだろう。
 しかし、諸外国には、そもそも画面(スクリーン)における字幕文化というものが、はぼ無いらしいのである。
 言霊の国の日本人は、外国語を音として享受する脳力があるけれど、これは日本人脳固有の能力である。
    《参照》   『字幕の中に人生』 戸田奈津子 (白水ブックス)

 

 

【パパラッチが産声をあげた国】
 ゴシップに興味がある向きは、『オッジ(今日)』とか、『ノヴェラ2000』などの週刊誌を買って読む。・・・中略・・・。
 ここはパパラッチが産声をあげた国。しかし、自国の政治家やお偉方のスキャンダルはほとんど見かけない。権力者とのあいだで、長年にわたり、合意が成立しているのだ。(p.54)
 「パパラッチが産声をあげた国がイタリア? へぇ~」と思いつつ、語感からして、このパパラッチという単語、やはりイタリア語だった。
 「政治家のスキャンダルは、権力者の合意が成立しているから見かけない」とあるけれど、この本が書かれたのは1999年。21世紀になって、シルヴィオ・ベルルスコーニ首相は、ロッジP2のメンバーとしてしっかりしょっ引かれている。世界中で闇の支配者たちの検挙が実際に行われつつあるのである。権力を握って邪悪なことを成してきた奴らは、世界中で、遅速の差はあれ、畢竟するに、全員しょっ引かれるのである。

 

 

【だれかといっしょに食卓を囲むイタリア人】
 食卓は、できることなら、いつもだれかといっしょに囲む。この「だれかといっしょ(カンパニー)」という言葉、もとは「ともに(コン)」と「パン(パーネ)」というイタリア語で、仲良くパンをちぎる、という意味である。(p.56)
 試単にこう書かれていたっけ?
 日本語で言えば「同じ釜の飯を食う」ということだろう。
 しかし、だれかといっしょに食卓を囲むイタリアの食事は、パンをちぎるなどというつつましいものではない。イタリア人が食事にかける情熱にはなみなみならぬものがある。(p.56)
 イタリア関連のビジネス書で、食事付き合いの重要性が書かれていたのを読んだ記憶があって、その時は、「大食いの、伸縮自在の胃袋持ちでなきゃ、とうてい務まらないだろう」と思ったものである。
 イタリア南部には、「デッカイねじりウンコをひっている人間の人形」がお土産になっている観光地があって、その理由は、ウンコは最高の肥料であり豊かさの象徴だから、ということだった。(スペインのバルセロナでも見たことがある)
    《参照》   『食がわかれば世界経済がわかる』 榊原英資 (文芸春秋) 《前編》
              【食に関する世界の分類】

 地球の周波数が上昇している今、自ずと小食・微食へとシフトしてゆくはずだけれど、未だに多食・飽食に明け暮れているのなら、餓鬼霊に憑依されているのである。イタリアは、世界を支配する「闇の支配者」の中核ファミリーがある国だから、民衆は積年にわたって搾取され続けたけっか、食に対する渇望が強いまま亡くなっている人々が多いんだろう。ヨーロッパ全般がそうである。

 

 

【「ミモザ」の日】
 3月8日は女性の日(フェスタ・デッラ・ドンナ)。この日、女たちは黄色のミモザを交換し合って、女であることの誇りを祝福する。(p.65)
 3月8日は国連が定めた「女性の日」でもあるらしいけれど、イタリアでは昔からミモザを贈る習慣らしい。
 イタリア人女性の友人・知人がいたら、この日にミモザを送ればいい。
 7月8月にローマ~フィレンツェ間のトスカーナ地方を走れば、黄色い花が一面を覆っている。でもそれはミモザじゃなくてヒマワリ。

 

 

【イタリアのマフィア】
 イタリアでは、マフィアといってもいくつかある。それぞれがきちんと棲み分けしている。おもなものは、ナポリ周辺の“カモッラ”、ブーツの先端に位置するカラーブリアの“ンドランゲタ”、シシリー島の“コーザ・ノストラ”。しかし、名前がどうであれ、犯罪組織に変わりはない。(p.76-77)
 日本で言えば、山口組や稲川会というようなものだろう。
    《参照》   『新たなる金融危機に向かう世界』 副島隆彦 (徳間書店) 《後編》
              【アメリカと山口組】
 マフィアには、恐怖心と同時に心惹かれる思いをいだくイタリア人もすくなくない。政界、財界のトップにまで力がおよんでいることを知っているからだ。(p.77)
 これが意味することは、「イタリアではコネがないと出世できない。能力ではない。だから経済が発展しない」、ということ。
 イタリアのマフィア浸透度は、かなり深刻だろう。軽食店に入って来た3人のポリ公が、食事や飲み物を摂って料金を払うことなく帰って行ったのを、レジの女性が煮えくり返りそうに忌々しい顔で見ていたものである。これに比べたら日本の警察官はまだかなりまともである。但し、トップは、上でリンクした副島さんの著作にあるように、イタリアとどこも変わらない。裁判所、警察、検察、軍隊、官僚、上に行けば行くほど日本もウンコである。


 

<了>