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 『○○人のまっかなホント』シリーズは、コンパクトにまとめられていて面白いから、以前から古書店にあれば購入して読んでいたけれど、意外にも台湾版は読んでいなかった。2000年4月初版。

 

 

【熱血台湾人】
 日本時代の台湾に生まれ育った湾生がこの辺りの血の気の多い台湾人気質を思い出す。「日本時代は警察官が “暴力は絶対にいかん” と徹底してたたき込んだものだから、台湾人は路上で両手を後ろに組んだまま、何時間も顔を突き合わせてやり合ったものです。まるで、ニワトリがトサカを突き合わせて怒鳴り合う “闘鶏” そのものでしたね」 と。
 今は恐ろしい日本の警察官もいないので、以前の “本性” がむき出しになってきたらしい。(p.11)
 “台湾人って熱血?” と思ってしまった。チャンちゃんの知っている台湾人はおっとり系が多い。みんな猫をかぶっているのか?
 そう言えば、テレビで放映された立法院(国会)での乱闘シーンが思い出されるけれど、政治問題になればどの国の人だって、そこそこ熱血になってしまうだろ。日本にもハマコーって言うハチャメチャ議員オジちゃんがいた。
 でも、やっぱり日本人より熱血らしい
 台湾人が日本の新聞を見たとき、「一般紙はおとなしすぎて、派手なスポーツ紙の方が新聞らしい」 と異口同音に言う。(p.12)
 この見解は、台湾の市街地を歩いてみればすぐに納得できる。看板は ”超派手” である。

 

 

【台湾人の宗教観】
 一見、信心深そうだが、中身は日本人と同様、意外と「馬馬虎虎(いい加減)」なものである。全島に万を数える寺廟に一つを訪ねてみようものなら、そこにはありとあらゆる神さまがズラリと待機している。いったいそこは仏教なのか、道教なのか皆目分からない。まるで神様のバーゲンセールだ。節操がないと言えばそれまでだが、台湾人の言い分は「神様は1人では我々の様々な願いをかなえられない」ということで、 ・・・(中略)・・・ 一回の参拝ですべて用が足りるように、多ければ多いほど便利だということになる。(p.19)
 こういう発想だから、お百度を踏んでまでする日本人の「誠心誠意」って、台湾人にはぜんぜん通じないだろう。
 それでは寺廟の神様は増える一方ではないかというと、そうでもない。御利益が無いと分かれば、さっさとお払い箱になるからだ。数年前、「六合彩」という数字当ての賭博が大流行したときも、御託宣が外れた “神様たち” がたくさん川に流されてしまった。神様も具体的なご利益を示さないことにはこの国では生きていけないのだ。(p.19-20)
 これじゃあ、神様も安心して台湾に住めない。
 現実界のさまざまな願い事を叶えるのは、低次元界の眷族の仕事なんだけど、台湾人が欲するのは、つまりそういう次元界でこと足りることであり、繊細で玄妙な高次元界は必要とされていないのである。まあ、本来の順序とすれば、そのような繊細で玄妙な次元界(産土力)が無いからご利益第一の国民性になってしまっているのだけれど・・・。
   《参照》   『大創運』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》
               【日本神霊界】
   《参照》   『台湾網路』 渡邉ゆきこ (ボーダインク)
               【書籍から見る台湾文化】

 

 

【台湾文化】
 台湾オリジナルな文化とはどういうものか、と正面から問われると、 ・・・(中略)・・・ 台湾400年にしぼってみると、台湾文化はこれだ! と言える強烈なインパクトが乏しいのである。これは単に歴史が浅いというだけではなく、台湾人として一体感を持つ文化・芸術を創造し、発展させていく土壌があまりにも欠けていたことに由来する。(p.42)
 台北の故宮博物館は世界の4大博物館に数えられているけれど、これは中国大陸内の政治的動乱から芸術作品を守るために台湾に軍艦で運ばれてきたもの。台湾人にとっては、何ともビミョーな観光資源なのである。
 台湾一の陶磁器の街、鶯家でも戦後もしばらくは故宮の陶磁器のレプリカばかりが作られていた。一方の庶民は、外省人好みの京劇(チャイニーズ・オペラ)に精一杯の抗議の気持ちを込めて、街角オペラの「歌仔戯(コアヒー)」や人形芝居の「布袋戯(ポーテヒ)」を愛し続けてきたのである。
 こうした故宮文化の呪縛から解放され、台湾独自の世界を映画に、音楽に、小説などに存分に発揮するようになったのはほんの最近、政治の台湾化が始まった80年代以降のことである。(p.43)
   《参照》   『私の中のよき日本』  盧千恵  草思社 
              【台湾を代表する大衆文化 : 布袋戯(ポーテヒ)】

 世界で脚光を浴びた台湾映画 『非情城市』 ができたのは1989年。
 世界中どの国であっても、インターネットというツールを経由することで、自国の文化を再認識するようになるはずである。台湾には、アメリカのシリコンバレーで活躍している天才達が大勢いるのだから、彼らがIT機器を活用して新しい台湾の文化を編み出して行く可能性はあるだろう。
 なお、1994年に、故宮博物院の近くに 「順益原住民博物館」 が建てられている。
 かつては 「蕃人」と呼ばれ、戦争中は 「高砂義勇軍」としてその名をとどろかせた台湾原住民は今、若い力で新たな文化を創造しようとしている。(p.48)
   《参照》   『中国人の99.99%は日本が嫌い』 若宮清  ブックマン社
               【高砂義勇隊】

 

 

【台湾人歌手】
 台湾人の歌のうまさは日本でもおなじみのテレサ・テン(1995年死亡)やジュディ・オング、欧陽菲菲らの活躍で周知のとおりである。(p.46)
 この本の中にも、台湾人女性の強さが記述されているのだけれど、日本で活躍していた台湾人歌手のイメージからは、そんな強さは全然でてこない。特にテレサ・テンが歌っていた歌詞なんて、大和撫子的日本人女性のハートそのものという感じのものが殆どだろう。
 ところで、かつて、そうとは知らずに、「ジュディ・オングって台湾人だったの!」 と言ったら、台湾人に 「失礼ね!」 と言われてしまったことがある。ちゃんと覚えておきましょう。だから書き出しておいた。
 因みに、アグネス・チャン は香港出身。チャンちゃんは日本出身。

 

 

【 「八」 】
 日本は七福神、ラッキーセブンなのに対し、台湾は八仙、八卦、八徳という具合に 「八」 が吉祥の数字である。これは中国人共通の考え方で、香港などではマイカーのナンバープレートが 「888」 と並ぶのが憧れの的。 「八」 は 「発」 すなわち 「発財」(儲かる)に通じるし、「欲満未満」 といって、日本人的な末広がりの意味もある。(p.49)
 北京オリンピックの開催日は2008年8月8日だったけれど、この日は帝王切開してまで出産するために、中国中の産院は大忙しだった。
 “「八」 は 「発財」 に通じる” という点が、中華民族を理解する上でのポイントである。絶対に “無限の精神に通じる” のではない。

 

 

【口腔ガン多発】
 台湾ならではの高い死亡率というのが、なぜか口腔ガン。この18年間で約2倍に急増に、ガン死亡の中でも上位に食い込む勢いだ。
 ・・・(中略)・・・ 万人が主たる理由に上げるのが檳榔(ビンラン)。台湾では昔から檳榔の実に石灰を加えたのをガムのようにクシャクシャと噛む風習がある。これは一種の刺激剤であり、特に眠気覚ましにもってこいというわけで、今や檳榔ファンは人口2200万人の内300万人にものぼる。(p.61)
 台北市のちょっと郊外を車で走れば、「檳榔」という看板を掲げたタタミ2畳分ほどのガラス張りの部屋のようなお店を幾つも見かけるはずである。その中には綺麗なオネエさんが時にレオタード姿で座っていたりするから、お口の中をガンで紊乱させるついでに風紀も紊乱させちゃってるのかもしれない。近年、このような檳榔を売る小さなお店の数は、この本が書かれた2000年頃よりかなり減っている。

 

 

【教育食】
 受験戦争では、「補」がキーワードだ。受験生の親たちは、子供たちを「補修班」に通わせるだけでは飽き足らず、「医食同源」の概念に基づく「食補」料理を食べさせる。(p.67)
 ブタの脳みそ料理で子供たちの脳細胞を増強するのは、台湾人の常識だ。(p.68)
 だから、台湾人の顔はあんなに“丸く”なっちゃう。

 

 

【台湾語】
 台湾化の意識から、台湾語の見直しがされるのは当然の経緯であるけれど、
 言語学者によると、台湾語は北京語よりむしろ日本語に近いという。台湾語にも日本語にも唐の時代からの古代中国語的要素が残っている。たとえばつまる音、すなわち促音がそうだ。促音は比較的新しい言葉である北京語にはない。(p.69-70)
 ここで言っている台湾語とは、福建省をルーツとする?罨南(ミンナン)語のこと。
 台北から高雄まで1時間で行ける新幹線にはまだ乗ったことがないけれど、それ以前の4時間かかる特急電車では、4つくらいの民族言語で車内放送がされていた。面積は九州程度の島国なのに、独自の言語を守ろうとする民族意識がしっかりしているのである。今も平埔族に関わる国内の民族訴訟問題が報道されていたりする。

 

 

【黒輪】
 日本以上にたくさんある台湾のセブンイレブンで、日本人ならみんな、「なんで黒輪なの?」 と思うことだろう。その理由。
 発音と言えば台湾人はなぜか「だじずでど」がうまく発音できない。だから日本から帰化した「おでん」が台湾ではいつの間にか「黒輪」(おれん)として定着してしまった。(p.70)

 

 

<了>