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 著者は、1955年に日本に留学して以後、蒋介石政権のブラックリストに載せられ、李登輝政権になるまで30数年間、台湾に帰国できなかった方。現在は、ご夫妻で台湾駐日代表を務めるために再度日本に滞在している。
 テレビで顔なじみの金美齢さんと同じ時代を、同じように日本で生きてきた方だ。

 

【台湾人が尊敬する国:日本】
旅行したい国 1位:日本、2位:アメリカ
移住したい国 1位:日本、2位:アメリカ
尊敬する国  1位:日本、2位:アメリカ
留学したい国 1位:アメリカ、2位:日本     (p.8-9)
 日本人の台湾旅行者は年間120万人。台湾人の日本旅行者は年間140万人だという。台湾人の中で人気の高まっている所は、北陸・石川県の旅館や北海道なのだという。

 

 

【台湾人にとって、日本が尊敬する国の第1位である理由】
 私たちの世代、そしてそれより少し下の世代は、身近な兄弟国、日本が敗戦から一所懸命立ち直っていくさまを見ておりました。台湾も戦後は日本と同じ状態。お金もない、物資もないという状態でした。それだけに、苦労しながらも誇り高く生きていく日本人の姿が私たちの心を打ち、それが自然と尊敬の気持ちへと繋がったのだと思います。
 台湾の人々が日本を尊敬する国の第1位に挙げるのは、もう一つ別の、大事な視点、重要な意味があると私は思っています。日本が民主的で、特権階級のない国であることを、台湾の人々は尊敬していると思うのです。
 中国は大変厳しい階級制度のある国です。韓国も見かけとは違って、はっきり階級がある国でしょう。フィリピンやタイは貴族制度があるといっても大げさではない特権階級が支配を続けてきた国です。 (p.37)
 日本の地方旅館などに宿泊した経験のある海外からの観光客は、仲居さんなどの丁寧な接客に感動するらしい。日本人にとっては当然のことである “社会的な地位や年齢に関係のない、心のこもったおもてなし” は、階級制度のある諸外国ではありえないことなのである。(日本人は外国も日本と同じだと、勝手に思い込んでいる)

 

 

【台湾を代表する大衆文化 : 布袋戯(ポーテヒ)】
 「布袋戯」という指人形は、台湾を代表する大衆文化の一つです。人形に袋状に縫った衣装を着せ、中に手を入れて動かします。「台湾のイメージを象徴するものは何か」という世論調査が行われたことがありますが、このポーテヒが第一位でした。 (p.28-29)
 せめて、ポーテヒの概要程度は、日本人も知ってなきゃ。

 

 

【著者の台湾研究】
 ICU(国際基督教大学)では日本文学、英国文学を学びましたが、主人と知り合い、台湾のことを思うようになり、改めて自分のふるさと、台湾のことをもっと知りたいと思いました。  (p.85)

 結婚後に、お茶の水女子大学に入って波多野完治先生(児童心理学者)のもとで勉強を続けることにいたしました。テーマは 「台湾ではなぜ児童文学が発達しなかったのか」。 (p.85)
 童謡をテーマにしていた著者であるゆえに、旦那様から聞いたという興味深いことを書いてくれている。
 1962年、日米安全保障条約締結や沖縄返還に関して学生運動が激しかった頃、アメリカの司法長官ボビー(ロバート・ケネディ)が早稲田大学の大隈講堂で講演をした時のこと。
 シュプレヒコールする学生達の怒号で、ケネディーさんは話を始めることができず、・・(中略)・・、やがて誰かが 『赤とんぼ』 を歌い始め、それが講堂に広がっていき、怒号は治まったということでした。
 「夕焼け小焼けの赤とんぼ」の歌のどこに、荒れ狂う若者達を沈めるパワーがあったのでしょう。・・(中略)・・。 『赤とんぼ』 に歌われている光景、日本人なら誰もが思い浮かべる光景が、日本人の文化そのものだったからこそ、若者たちの心に響いたのではないかと私は思うのです。 (p.175-176)
 もう一つビックリすることが書かれている。殆どの日本人は知らないだろう。
 森善朗元首相のご著書 『あひるのアレックス』 を漢文に翻訳し、台湾の子供たちに紹介できたことがあります。森元首相は大きな身体に優しい心を秘めておられる方で、それは「全日本私立幼稚園PTA連合会会長」 「日本のうたとおはなし伝承議員連盟会長」 の肩書きを持っておられることからも分かります。 (p.197)

 

 

【美を味わう心: 『私の中のよき日本』 】
 日本にいる外国人に生け花を知ってもらうために作られた「いけばなインターナショナル」という国際活動があるのだという。
 フランスのロベール・ギランさんが 「美を味わう心は、日本文化の核心にあって、個人だけではなく社会をも支配している」 と書いていますが、この会に参加するたびにその思いに賛同する気持ちがいよいよ強まってきております。 (p.178)
 著者がICUの学生であった当時、寮生活をしながら日本人の女子大生と交流する場面や、その他、日本人女性が登場する場面の中で、いつも水回りを綺麗にしている様子や、小さな花を花瓶に挿して飾っている様子が記述されている。
 こういった体験があるからこそ、女性である著者は、この本のタイトルを 『私の中のよき日本』 にしたのではないだろうか。1950年代の日本は、まだまだ発展途上だったけれど、だからこそ日本人女性が体現していたささやかな美意識が際立っていたのではないかと思えてならない。

 

 

【旦那様、台湾帰国の気概】
 ブラックリストが解かれ30数年ぶりに台湾に帰国した直後の、旦那様の会見内容。
 帰国直後の記者会見で主人は、「水土不服(環境に適応できず)で、Uターンしてゆく人たちがいますが、あなた方は台湾の風土になじめますか」と質問されました。
 「・・(前略)・・、自分のふるさとになじめないわけがないと思います。ただし、40年以上も国民党によって汚染され、台湾人文化の一部になってしまった贈収賄や私利私欲の追及といった部分の風土にはなじむことができません。正しい政治を行うためには、そういった悪習を台湾から追放する必要があります。そのために私たちは帰ってきました」 (p.128)
 最近の、社会保険庁関連の唖然とする内容の報道を見るにつけ、現在の日本は、敗戦直後の「よき日本」に比べたら、かなり劣ったモラルレベルの国になってしまっているのは否定できない。
 それでも、中国・韓国の実状を知っている日本人は、「(言えたものではないけれど、)下には下があるものです」 とやや自嘲気味につぶやいている。
 
<了>