《前編》 より

 

 

【日本神霊界】
 こういった文化、あるいは宗教がなぜ日本に残るのか。ひとつの宗教、文化が他の宗教、文化を征服するという形をとらず、お互いが巧にとけあってしまうからである。
 日本の神霊界も同様で、その特色を一言にして表せば、初めと終わりが示されているのである。真ん中とプロセスがないので、外国から輸入しているのだ。
 ところで、初めとは、太古の歴史の発祥であり、神霊界の玄極は、まず縦長でスパイラル構造になっている日本神霊界に表れて、横広のヨーロッパ神界やインド神界、中国神仙界へと写し出されといくという意味である。
 終わりとは、外へ写し出されたものを引き寄せて集大成し、完備させる霊徳があるということである。
 これを菊の御紋にたとえることができる。この菊の理を司っているのが、白山菊理姫の大御働きなのである。文化も宗教も今や先端技術も、日本にきて一厘を足されて完成するのである。それは、日本の歴史を見れば一目瞭然である。(p.109)
 日本文化を語る上で、いま一つ確信が持てぬまま、神道に目を転じていた17年ほど前、初めてこの本を読んだ時、急に空が晴れたように感じたのは、まさにこの記述だった。
 αでありωであるからこそ、画龍点睛をなし出藍の誉れをなす日本なのである。

 

 

【日本神霊界の価値基準】
 日本人の御魂もその守護霊たちも、ましてや神霊たちは日本神霊界に籍を置くものである。この日本神霊界の価値基準が、「素朴で素直が第1等。清らかで真摯なのが第2等。至誠の日々を送るのが第3等」 なのである。
 だから、素朴で素直な人が、清らかな目差しで真摯な態度をとり、至誠の日々と行いがあふれそうになった気風を備えて、言葉を丁寧にお願いすれば、神も仏も守護霊も、親戚縁者も友人も、分かれた女房も飛んで来て、あらん限りの協力をしてくれるものなのである。それが日本神霊界の最も貴い美徳であり、価値ありとされているものなのだ。(p.124)
 日本神霊界を基とした道徳が軽視されるようになって以来、このようなことをハッキリと語ってくれる人はあまりにも稀である。
 神を自分の向こう側の存在として見るのではなく、自分の側におられる存在として、助けていただこうとするのである。
 日本の神霊たちは、かえってそれを望んでおられるのだ。これが、日本の神霊界における開運のやり方なのである。(p.125)
 神様は遠くにあって甘えるような対象ではないと思っているのが、キリスト教徒をはじめとする一般的な宗教感覚なのであろうけれど、日本神霊界はもっと身近にあるのである。
   《参照》   『悟りは3秒あればいい』 小林正観  大和書房
              【迷惑をかけて感謝して生きる】

 

 

【中曽根康弘氏】
 氏の前世は、藤原良房(804年―872年)なる人物である。 (p.209)
 中曽根首相の時代は、日米関係が最も良好で日本経済は絶好調の時代だった。当時から現在までアメリカの実質的支配者であり、世界皇帝でもあり続けているデイヴィッド・ロックフェラーの前世は、良房の後裔である藤原道長だったのだから、お互い腹黒い所も兼ね備えて、一族として良好な関係が築けていたのだろう。
   《参照》   『人類五次元移行会議』 中丸薫 (VOICE)
              【デイヴィッド・ロックフェラーと藤原道長】

 中曽根の実像を理解していない方は、下記リンクを辿ってください。
   《参照》   『ヤクザ・リセッション』 ベンジャミン・フルフォード (光文社) 《前編》
              【日本の支配者】
              【中曽根康弘の正体】

 

 

<了>
 
 

深見東州・著の読書記録