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ほぼ30年ぶりのフランス旅を期に再読。1999年10月初版。

 

 

【西洋の中華国家・フランス】
 優越感を抱くには、他の国の存在が不可欠である。フランス人が他の国の存在を認めるのはそのためなのだ。しかし、フランス人に「政治的な正しさ」を求めても無理である。彼らは人種偏見が強く、熱狂的な愛国主義者で外国人を見下しているからだ。(p.4)
 フランスは中華思想に対比できる西洋の国として、“東洋における中国、西洋におけるフランス”と表現されるけれど、本文中に、これを肯うような記述が何カ所もある。
    《参照》   『デフレ不況の正体』 日下公人 (KKベストセラーズ) 《前編》
              【ふざけちゃいけない】

 

 

【フランス人がシラノを好きなのは・・・】
 フランスの男たちはみなひそかにロスタンの戯曲の主人公、シラノ・ド・ベルジュラックになりたいと思っている。シラノは『三銃士』のダルタニアン同様、ガスコーニュ出身。おしゃれで、自分を笑うものは容赦なくやっつけた。優れた剣士であると同時に心の機微の分かる詩人で、片思いに身を焦がし、失意のうちに死んだ。つまり失敗はしたが、華々しく失敗した男だ。フランス人がシラノを好きなのは最後まで格好よかったからだ。(p.9)
 人文系書籍を通じてシラノに出会っていたチャンちゃんは、“シラノは、純愛を象徴する人物”のように思っていたから、この記述に当惑半分である。もっとも、同棲を制度として認め、愛人などいて当然のフランス人に、純愛とか純潔を尊ぶ意識などありはしないのだから、単に“格好よかった”ということなのだろう。
    《参照》   『愛』 柳父章 (三省堂)
              【トルバドゥールの「愛」のかたち】

 

 

【スノビズム国家】
 フランス人はなにかにつけてスノッブである。・・・中略・・・。
 イギリスと違い、寮のある学校は少ないが、名門とされる学校がいくつもあり、ハイ・ソサイエティへの道になっている、パリの名門リセから、超難関の国立行政学院や理工科学校を経て高級官僚集団の一員になるのがエリートである。高級官僚集団などといった名称自体、国家を毛嫌いするイギリスでは考えられない。
 フランスの大統領はみなこうした名門の出身である。三つの名門高等専門学校をすべてクリアしたジスカール・デスタン大統領はエリート中のエリートで、強力な学閥の後押しがある。(p.19)
 フランス人にすれば、教養的に相手より優れているという自信がもてればこわいものはない。インテリ同士の言葉の対決に、フランス人はボクシングのタイトルマッチくらい興奮するのだ。(p.42)
 スノッブ(上品ぶったり教養ありげに振舞ったりする、鼻持ちならない人)がそこそこ楽しかったのは学生時代だけである。それは教養を通じて成長する人生上の青年期という一過程の有り様だから、通過儀礼みたいなものだろうと思っている。実際の処、社会人になってからスノッブが役になったことなど全くない。ハイソな連中、ないしハイソを希求している連中だけが、スノビズムに感染した社会意識を維持しているだけだろう。
 であるにせよ、フランスでは、ハイソに繋留されたスノビズムを偏重する国民が多いからこそ、フランスという文化国家が維持されているのだろう(か?)。
 しかし、映画や小説を通じて感受できるフランスには、どちらかというと低迷する社会意識を感じるだけである。

 

 

【人生を描く映画】
 フランスには、数人の登場人物がろくに言葉も交わさずに延々と食事をする場面から成り立っている映画がたくさんある。彼らはいかにもけだるそうにしているか、嫉妬しているか、怒っているか、憂いているか、物思いに耽っている(けだるそうなのが特に多い)。そのような映画をフランス人以外の監督が撮ったら目も当てられない作品になるが、なぜかフランス人の手にかかると、日常のさりげない会話や仕草を描くだけで傑作になったりする。(p.42)
 そう、フランス映画には、こういう映画が多い。平均的な日本人なら、フランス映画を連続して観るとしても2本が限界だと思う。
 サガンの小説にしても、このけだるい倦怠感に耐えられず、学生時代に新潮文庫にあった全作品を買っておきながら、『悲しみよこんにちは』ともう1冊読んだだけで、「もう、無理・・・」と断念したままである。
    《参照》   『美しい人の美しい生き方』 中丸薫 (徳間書店)
              【フランソワーズ・サガンが描いていた “倦怠感” の先にあるもの 】

 

 

【自国文学】
 フランス人は自国の文学、とりわけ小説と詩を誇りにしている。とくに人気があるのは、プルースト、(小説家で躁鬱病患者)、ヴォルテール(人道主義者で一時は囚人)、ヴェルレーヌ(詩人で放蕩者)、モリエーエル(死んだときキリスト教式埋葬を拒否された喜劇作家)、フローベル(気に入った言葉が見つからなくて、ひとつの文章に何時間も何日もかけた完璧主義者)などだ。そのほかボードレール、ラシーヌ、ユーゴ、ヂュマ(父と子)、ラブレー、パニョルなどが好きだ。要するに、フランス語で書く作家ならほとんどみなひいきにしている。
 プルーストを読んでいると、人間の心が膨大な記憶からできており、忘れ去ったつもりになっていても、つねにそれに影響されながら生きているということを思い知らされる。・・・中略・・・。ただプルーストの場合、不幸にもこれが12巻にわたって続く。そして、さらに嘆かわしいことに第1巻の最初の文章からして、まともに英訳されたものがないのである。(p.46)
 プルーストの『失われし時を求めて』。学生時代、「読もうか・・」と思いつつ、あまりに長編なので、手を付けずじまいだった、ウルトラ長ったらしい小説である。毎日がプー太郎生活の今のチャンちゃんなら、時間はいくらでもあるけれど、かといってこの有名な長ったらしい小説を読む気にはなれない。
 地球の周波数変化に伴って、どこの国の人であろうと現代人の意識は変わっているから、100年以上前に書かれた多くの文学小説の意識には合わなくなっているはずである。文学だけでなく、フランスのシャンソンも日本の演歌も周波数変調に連動している時代意識に合わなくなっているのである。それでも、プルーストの作品に描かれている“記憶”を、強制的に“(これからの人類が獲得して行く)多次元意識”に繋げて読み替えてみれば、手前勝手な意味づけは出来るかもしれない。

 

 

【形式と規則】
 フランス人は形式的で、頑固で、融通が効かない。(p.25)
 言葉は品位を表す大事なものとみなされているから、それを守るために形式が重んじられている。フランス人にとって、形式を守ることは上品さと同じくらい重要なのだ。(p.26)
 店やバーに入るときと出るときは、そこにいる人全体に向かって「ボンジュール」あるいは「オ・ルポワール」と挨拶する。これは彼らが必要以上に礼儀正しいからではない。他人の存在を認め、失礼にならないようにする配慮なのだ。・・・中略・・・。マナーを守らないのは教養のない証拠とみなされる。せめて形だけでもきちんとしないと、人間は未開人に戻ってしまうと思われているのだ。(p.38)
 フランス人が、“型に秘められた日本文化”に興味を持つ理由の一端はこの辺りにもあるのだろう。
 ただし、嫌いな規則、どうでもいいと判断した規則は平気で無視する。たとえば駐車や喫煙、運転、衛生、放尿に関する規則だ。フランス人にとって、規則と形式とは全然違うものである。前者は無視しても構わないが、後者はきっちりと守らなければならない。(p.26)
 この辺が日本人とは大きく違うところ。
 日本人は、形式はもとより規則も順守が原則として意識に刷り込まれている人が多い。日本人は、規則を作るに至った目的より、規則を守ること自体が目的であるかのように洗脳されている。故に、諸外国によって意図的に変更された(金融やスポーツなどの)規則によって、いとも簡単に支配されてしまう。
    《参照》   『じゃんけんはパーを出せ!』 若菜力人 (フォレスト出版)
              【戦略思考における必勝法】

 

 

【筆跡学は立派な科学?】
 フランス人の仕事のやり方には理にかなったものが少なくない。・・・中略・・・。
 しかし、不可解な習慣もある。スタッフの採用に際しては、筆跡学が評価基準としてけっこう重んじられていたりする。筆跡が気に入らないという理由でアポイントメントをキャンセルしたり、さらには採用しなかったりすることがあるのだ。筆跡学は立派な科学として認められ、人格あるいは人格のなさを表すとされている。しかし陰では、ワープロが発明されてほっとしている人がさぞ多いことだろう。(p.80)
 筆跡って人格を表しているだろうか? 自分のウルトラ下手ッピな悪筆を擁護したいからではなく、他者を客観的に見た上で、100%同意できない。むしろ「巧言令色鮮し仁」に近いとすら思っている。

 

 

【仕事着=ファッション】
 フランス語には「カジュアル」の相当する言葉がない。それに一番近い「サン・ジェヌ」には、「無遠慮」とか「厚かましい」という否定的な意味が込められている。
 上下揃った背広はあまり仕事に着ていかない。銀行員でも、派手な色や模様のジャケットやズボンを、個性的に着こなす。ビジネス界では着ている服で地位が分るということはない。
 しかし、職場では、だれがスマートな身なりをしているかつねに関心がある。(p.81)
 私服ビジネスというのも、ファッションを芸術と考える文化国家ならではなのだろう。ただし、これを読んで、外資系企業のプロジェクトに参加していた期間、週に1回、「私服デー」というのがあって、「こんな面倒なこと、かんべんしてよ」と思っていたことを思い出してしまった。
 数着のスーツを順繰りに着てゆくだけというのはラクでいいけど、その場合であっても、職場が男ばかりではないのなら、ネクタイ柄の好みの男女差くらいは、知っていた方がいいかもしれない。
    《参照》   『「見た目」で誤解される人』 唐澤理恵 (経済界)
              【「ネクタイ柄」に求める ”男と女” の逆転現象】

 

 

【話題にしないほうがいいこと】
 第二次世界大戦、とくにドイツの占領時代については話題にしないほうがいい。今もってその屈辱感が忘れられないからだ。1940年にドイツ軍がパリに侵攻してから終戦まで、フランス人の誇りと愛国心と威厳がどれだけ傷ついたか想像に難くない。(p.86)
 もしも、このことを話題にしてしまった人がいたら、“愛国者エッフェル塔”の話でとりつくろってあげましょう。
    《参照》   『馥郁たる日々』 春咲淳 (日本図書刊行会)
              【ドイツ vs フランス】

 

 

【コン】
 下品な言葉はたくさんあるが、多用されるのは「コナール」と「コン」だ。「コン」はかつてはひどく下品な言葉とされたが、最近は会話に頻繁に登場する。「コン」と言葉に出すのはあまりにもはしたないと思う人は、「C・O・N」と綴りを言う。意味は、「どうしようもないばか」。 (p.88)
 コナールは、ケンカを売っているような意味合いになるらしい。「ば~~~か」くらいかな。
 観光旅行程度では必要ない情報だけれど、万が一にも勘違いされないために、このような言葉は知っておくべき。


 

<了>