イメージ 1

 遥か昔、太平洋上にあった広大なムァー大陸。そこには日本人の祖先に指導される黄金の帝国が栄えていた。ムァー大陸に関する社会状況や動向を、これほどまで具体的に記述している書籍は他にないだろう。
 ムァー大陸の時代から、現在へとつらなる日本人の足跡も、簡略に記述されている。
 この書籍は88年初版。 『神界革命』 と同様に、90年、94年に続いて再三読。

 

 

【魂の示現と体臭】
 ムァーの人々は(香水を使って)体臭を消す必要がなかったのである。
 人々は、それぞれの魂の示現の高さによって体から独特の良い匂いを発するため、消す必要はなかった。末期になるまで肉食を殆どしなかったため、現代人の体臭とは比較にならない良い香りだった。  (p.60)
 ドストエフスキーの小説の中だったろうか、誰か(ゾシマ長老?)が死んだ時、その匂いの事が書かれていた場面のことを思い出す。自分自身の心の状態によって体臭が異なっているのは体験できることだから、魂の示現と体臭に相関関係があるのは、紛れもない事実である。
 日本語の「清ら」に、「清潔」と「美しい」二つの意味が有るのは、日本人が、魂の示現の高いムァー大陸の子孫であることの一つの証拠なのであろう。

 

 

【ムァーの紋章】
 赤の十字は創造主の象徴であり、十字を囲む円のマークはムァー帝国の象徴であった。現在、日本の国旗となっている日の丸はムァーでは太陽祭神の象徴であり、中華民国の国旗は国の祭りの象徴だったのである。
 ムァーにおいては、階級の中の種族ごとに、固有の紋章を持つことが許されていた。「ヒランヤ」等で有名になったユダヤ国旗のヘキサグラムもムァーにいたユダヤ民族の紋章だったのである。祭礼、植民地の管理を行っていた最上層階級の日本人の紋章もあり、日本に伝わる家紋の中にも遠くムァーに起源を発するものが多い。 (p.67)
 台湾(中華民国)の国旗は、孫文が定めたと伝えられているけれど、本来は、魂の記憶に導かれてのことなのだろう。
    《参照》   『「反日」に狂う中国 「友好」とおもねる日本』 金文学 祥伝社 《後編》
              【孫文=孫中山】

 

 

【ムァー帝国の階級社会】
 ムァーでは、帝王が直接ピラミッドに登って宇宙の創造神の声を聞き、判断を仰いでいた。この神との対話の姿勢は、ムァーのすべての階級の人々の生活の隅々にまでみられ、人々は神の子としての自覚に基づいて行動し、その波動は全大陸に満ちていた。
 帝王から下級の者に到るまで精妙な波動を持つ「宇宙の創造神」の存在を感じ、多くの者が物質の根源を探ってゆくとぶつかる壁を越える能力を持っていた。そして、異次元の世界における魂のランクによって振り分けられる厳重な秩序を知り、「人間の魂は決して平等ではない」ことを様々な体験で知り、その秩序を地上に再現していた。それがムァーの階級制度の根本概念である。   (p.117)

 ムァーの階級制度は十段階、植民地を含めると十二段階であったが、これは、ムァー帝国内に住む各種族の祖先が地球に降りてきた時期、及び飛来する以前に住んでいた星の差によっていた。  (p.122)

 

 

【ムァーの社会】
 ムァーの人々は、全ての階級のものが一日に2時間程度の労働をしていただけであり、その他の時間は音楽、観劇、科学研究と自己の才能を磨くことに費やされた。あるものは宇宙船に使用する新しい合金の発明を目指して実験を繰り返し、ある者は宇宙の創造主をたたえる音楽の作曲に勤しんでいたのである。  (p.118)
 私達日本人の祖先である貴族階級が追放され、ムァーから姿を消してしまった後、科学者階級がのし上がったが、「まつりごと」を何万年もの長きにわたって司っていた日本人のようには振舞うことができず、民意も王も許さないようになった。・・・(中略)・・・。
 世の中が形骸化し、暗黒化してしまった後、ひとびとは遠く西の彼方に消えた日本人のいた頃を懐かしがった。それまでは、食料も衣服も好きなものを好きな時に、一定の保管場所から持っていけたのが、貨幣制度が出来、人々はより豊かな生活を求め、他人を陥れて自己の欲望を満たそうとするようになり、性風俗も確実に乱れていった。崩壊の足音は近づいていったのである。  (p.79-80)

 人々の生活に貧富の差ができ、それが極点に達した時に地球は自らの手で浄化作用をするように反乱を起こし、ムァー大陸を沈めたのである。   (p.138)

 

 

【日本民族の経過】
 日本民族の祖先はキリマンジェェロからムァー大陸に渡り、次に日本列島の津軽地方に落ち延びた。そして、北は旭川、南は現在の関東地方の一部までを勢力圏に収めた。
 その後、北からの侵入者(アトランティス系のアイヌ)によってユーラシア大陸に渡り、シベリアや満州に帝国を築き、朝鮮半島を経由して日本に回帰したのである。
 この経過は日本民族のカルマとして民族の魂の中に植えつけられている。 (p.97)

 宮崎の高千穂に残る伝統の中には、朝鮮半島に端を発するものがあるはずである。衣装、ストーリー、踊り手の仕草などに何らかの共通性が見られると思う。白村江の戦い以降に百済の上層階級が亡命してくるはるか前に日本列島に渡ってきた私達の祖先が伝えたのである。   (p.90)
 
 
【日本民族の特殊性】
 日本および日本人が特殊かと問われれば、残念ながら「その通り」と答えるしかない。
 しかし、日本文化の特殊性や純粋培養性を強調することは、相互交流の上では危険である。我々は、帰化人をはじめとして外来文化の影響を受けつつも比較的純粋性を保ってきた文化の差異を認識し、その特質を失うことなく外来文化と交流してゆくという難しい橋を渡らねばならない。   (p.129)
 

<了>