イメージ 1

 表紙に “愛するゆえに憂える、フランス人からの手紙” とあるけれど、正にそんな内容の書籍だ。


【日本に待望する “霊性の自覚” 】
 ああ、残念なことながら、多くの事柄からして、日本の目覚めに如何に甚大な人類の帰趨が賭けられているかについて、皆さんが無自覚であることは、明らかとしか言いようがないのです。甚大と申し上げるのは、日本人にとってのみならず、我々にとってもそうなのです。いかに、いま、人間が霊性の世界を必要としているか、そのことは、これを忘却したがゆえに窒息状態にある我々西洋人が誰よりもよく知っているからです。(p.46)
 霊性というものは、あればそれでいいというのもではない。霊格を審らかにできる審神力(さにわりょく)がないならば、中途半端な霊性など無いほうがいいらしい。振り回されるだけだという。

 

 

【日本人の美意識に潜む霊的鉱脈】
 有史以来連綿として、あなたがたは、宗教、建築、庭園、工芸など、あまたの領域において、自然から霊的鉱脈を引き出すことに成功してきました。・・・(中略)・・・。世界中、日本以外のどこにも、一節の竹、一個の巌塊、小石の一重ね、波形の一つに、かくばかりの燦爛たる輝きを見出した国はありません。
 これほどの能力を生来身につけていながら、皆さんは、ただそれを当然のこととみなし、いかにそれが豊饒を約束するものであるかに気づいておられない。  (p.60-61)
 日本に生まれ育っても、このことが分るようになるのは、普通の人なら早くても30歳を超えてからではないだろうか。思索好き哲学好きなフランス人一般は、こういったことを、アンドレ・マルローの著作、『マルロー 日本への証言』 (美術公論者)  『マルローとの対話 ------ 日本美の発見』 (人文書院) などによって、知的に理解しているらしい。

 

 

【 「対立」 と 「和合」】
 我々西洋人の精神構造は 「対立」 に基づき、あなたがた日本人の精神構造は 「和合」 に基づいています。願わくは、この特異性を保持せられんことを! けだし、破壊せずに統合する能力は、セクト主義や原理主義が猖獗をきわめつつある現代において、絶対必要不可欠なる特質だからであります。
 排斥なく、ただ聚むるのみといった日本人のお家芸は、どこから来るのかといえば、これこそは神道からくるものにほかなりません。神道とは、普遍的世界の広がりの浄化をもとめての、ドグマなき 「信」 だからであります。    (p.68)

 

 

【京都の街並みの変容を嘆く・・・】
 ロシア系フランス人の日本学者、セルジュ・エリセーエフは、戦時中、京都を空爆から守るために、どんなにか対米交渉に影響力を発揮したことか。その気になれば、あなたがたは、 「日本風」 に近代化しながらもこの珠玉を守りとおすことはできたはずです。何故、魂なきスタイルの凡庸のほうを好んだのでしょうか。  (p.80)
 このように日本の文化遺産を守ろうとしていたフランス人がいたことからも推察できるように、日本語を話せるようなフランス人の日本文化に関する教養レベルは、一般の日本人を遥かに超えている。以前トルシエ監督の通訳をしていたフローラン・ダパティーさんは 『 「タンポポの国」の中の私』 (祥伝社) という本を書いているけれど、それを読むだけでも日本に関する浅からざる教養を備えていることが分る。そんな彼がさんまさんのトーク番組に出ていたのを見たことがある。その時、彼が日本文学の作品について言及するやいなや、さんまさんは即座に話を変えてしまっていた。
 日本のお笑い番組は、フランス人の知日派から心底お寒いお笑いの対象にされかねない。この本の著者ならきっと嘆きの対象にするだろう。

 

 

【ケルト】
 ある雨もよいの日、筑波山神社に詣でました。山中で迷い、そのとき、再び神々の力を感じたのです。霧のなかにひとりさまよい、風と木々の生きた気配にかこまれたとき、直感として胸に閃いたのです。私共の先祖ゴール人 (もっとたどればケルト人) がキリスト教以前に持っていた信仰は、きっと、神道に近いものだったに相違あるまい、と。 (p.169)
 地球全体を神域と見れば、ケルトが鳥居で日本が本殿である。
 日本人の私が読んでいてもやや面映いと思えるような表現で語られている日本待望論は、翻訳者の日本語のせいもあるだろうけど、著者自身のケルトの血ともいえるのだろう。
 私共フランス人が民族として自覚を持ち始めたのは、ケルト人の流れをくむゴール(ガリア)人であった時代に遡ります。それはまた、民族の神秘感覚が、猛々しいばかりの独立精神と結びついたときでもありました。 (p.185)
 著者は自らをゴーリストと言うほどに、ド・ゴール派の政治活動でも有名な人だった。184ページにド・ゴール将軍の精神と足跡が簡略に記述されているけれど、戦後、左翼の論調で包囲されていた日本では、ド・ゴール派はただちに 「極右」 のレッテルを貼られてしまい、彼らの精神はほとんど正確に伝えられることはなかった。
 著者がケルト民族の神秘感覚の表れとしているものが、日本にもあった。それこそが、大和の神秘感覚が猛々しく復活し日本を守った明治維新だったのである。
 
<了>