《中編》 より
 

 

【精神と思想】
 中国には中華思想はあっても、中華精神はない。つまり大和魂みたいなものがない。
 一方の日本には、日本精神はあるけれど、日本思想がない。 (p.127)
 この原因を、著者は多様性にあると書いている。
 その通りだろう。精神や文化というものは共通性という基盤なくして生じない。精神がないから思想で結束しなければならないのである。
 イデオロギーや思想は民族を超えて拡張可能なものだから、周辺国家にとってはとことん厄介なものである。世界史上、共産主義というイデオロギーほど大規模な争いと混乱とを招いてきたものはない。ひたすら民族の結束を訴える中国共産党指導者が、国境を越えた中華思想に犯されているとしたら、世界にとってこれほど危険な因子はない。
 

 

【君子と小人】
 中国本来の 「君子」 「小人」 は社会階級の意味合いが強い。賄賂をもらえるのは当然 「君子」 であり、「小人」 は絶対にもらえない階級なのである。このあたり日本人の感覚と真逆なので、注意が必要であろう。(p.138)
 こんな記述を読んで “目から鱗” という人は、余りにも中国を知らなさすぎる。
 中国では、賄賂で家の一軒や二軒建てられないようでは、「君子」 にあらず、である。
 中国というのはあくまでも官僚不正が一つの前提として国家統一が保たれているわけで、不正が本当に禁じられてしまうと国政が回らなくなってしまう。「清廉潔白」 などもってもほかで、権=銭関係がなければ、官僚のなり手すらいなくなってしまう。不正のできない権力は誰もいらないのだ。(p.151)
 裁判も、賄賂の多寡で判決は決まるのである。
 中国にとっては、日本のような裁判員裁判の導入など、もってのほかなのである。裁かれる方は、「賄賂の額が嵩み」 裁く方は、「賄賂の学が減る」 からである。
 こんなことを書けば、日本の裁判所はマトモだという前提で書いていると思うだろう。そんなことはない。日本も完全に腐っている。
   《参照》  "裁判所"に関する引用一覧

 

 

【没法子(メイファーツ)】
 日本語で 「どうにもならない」 と言う意味。
 「没法子」 というのは、日本でいう 「長いものに巻かれろ」 より無力感が強く、中国人はそれだけ諦めも早い。戦争もそうである、勝てないと思ったら、すぐ投降するか、逃げてしまうのだ。(p.170)
 日中戦争の南京戦の具体例が書かれているけれど、現代で分かりやすいのは、2004年のサッカー・アジア杯。
 中国チームは1対1まではものすごく強気だが、3対1まで負けてくるとだいたいすぐ諦めるのがわかる。国歌を熱狂的に合唱していたサポーターも、さっさと引き上げて最後まで観ようともしない。もう、どうにもならないと思ったらすぐ諦めるのが中国人なのだ。(p.171)
 強かだけど、諦めも早い。
 つまり、中国の為政者は、このような民族性を利用しているのである。
 「没法子」 の文化に育まれた民衆だから、徹底的に弾圧するほど国が安定する、再起不能、反抗できないほど弾圧すれば、おとなしく奴隷になる。(p.171)

 

 

【道理が通じない中国人を生む中国語】
 中国人に道理が通じないのは、歴史的、社会的背景だけでなく、中国語の言語構造にも問題があるのではないかと私は考えている。
 そもそも、中国語と言うのは、ドイツ語や英語のような世界の言語と違って、文法がない。名詞・形容詞・動詞もごちゃまぜに使っている言語であり、要するに、文字の積み立てだけによって成り立つのが中国語なのだ。中国語の学習がむずかしいのは、文法が ――― それらしきものはあるが ――― 実際にはないからだ。
  ・・・(中略)・・・ 。
 言語学的な文法がないということは、論理的言語ではないということである。人は言語によって思考する。中国語は文法やロジックによって成立した言語ではないので、中国語しか使用しない民族が言葉を通じて道理をわきまえることは、事実上不可能に近い。中国人が自己中心的な人間集団になったのも、非論理的な言語によって育成されたからではないだろうか。
 よってここでも、中国人に勝つには、道理ではなく力の優位のみ有効という結論になる。彼らは日本的な 「話し合いによる円満解決」 からもっとも遠い部類の人々なのである。(p.178)
 「それを言っちゃあ、お終いよ」 という記述だけれど、これこそが、この著作の最重要ポイントだろう。
 かつて中国人のノーベル賞受賞者は5人、台湾人は1人いるけれど、全て英語で考え研究していた人々である。つまり自国内での研究成果ではない。中国語では論理的な思考などできないのだから。
   《参照》   『インドの科学者』 三上喜貴 (岩波書店)
              【アジア生まれのノーベル賞受賞者】

 日本語と比較してみれば、中国語がいかに内に向かう繊細さを持たない言語かは、明白である。
   《参照》   日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <前編>
              ■ 音読みの日本語 vs 訓読みの日本語 ■
   《参照》   日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <後編>
              ○○○ 世界で最も《 繊細 》な表現をもつ日本語 ○○○

 

 

【互恵】
 中国人は日本人と決して 「互恵」 できない。これは、中国人同士でさえ熾烈な利害対立を解決できず、今だに国内の経済格差が緩和されていないことからもわかる。もし 「互恵」 できるなら、今ごろ中産階級が出てきているはずであり、あれほど経済格差が広がるはずがない。(p.236)
 広大な市場に魅せられて、大企業を中心に中国に進出しているけれど、日本側企業が考えるような 「互恵」 に至っていないのは明らかである。賄賂構造国家・中国での企業活動は、日本における利益率の5分の1程度にとどまってはずである。
   《参照》   『新しい中国で成功する』 高橋基人 (草思社)
             【笑っちゃう収益:リベートの嵐】

 

 

【恐るべき自己正当化】
 中国の文化人・知識人がよく主張しているのは、「経済大国日本が今日あるのは、日中戦争で中国人を搾取・略奪した財産のおかげである」 というもので、日本人の戦後の努力は一切認めない。
  ・・・(中略)・・・ 
 この問題に関して、私が驚いたのは中国の民主活動家だ。正直、だから中国はダメなんだ、と思った。彼らは民主化、民主主義を主張しながらも、チベットの独立や台湾の主張については否定的である。(p,253)
 まさに、中華民族を覆う中華思想という民族的亡霊に憑依されている感がある。
 中国民主化運動の有名なリーダーの一人である王炳章という人物 ―― 医学博士号をもち、米国を拠点に民主活動を手掛けていた、民主活動家の草分け的存在 ―― がいる。 ・・・(中略)・・・ 。その彼に 「台湾がなぜ経済成長を成し遂げることができたか」 と問えば、「蒋介石政権が中国からすべての金を飛行機で持ち出したために、台湾が戦後繁栄したのだ」 というのである。これは他の民主活動家も同じ見解だ。(p.253-254)
 略奪と騙しのDNAが組み込まれている中華民族ならではである。民主活動家であれ何であれ、自分自身の民族性を通してしか発想できないから、こうなってしまうのである。
   《参照》   『アメリカはどれほどひどい国か』 日下公人&高山正之 (PHP) 《前編》
              【略奪経済】

 

 

【台湾人ビジネスマンの経験談】
 彼らがよく嘆いていうのが、「中国から生きて帰れば地獄も怖くない」 である。これは中国で 「殺されずに」 帰ってきた人たちの共通の言葉である。
 実際、彼らの中国での経験談によれば、中国ではイデオロギーの対立より、利害の対立で生死を決する事態にまで発展することが多いと言う。(p.275)
 中国に早くから進出していたマブチモーターという企業関連の事件が記憶に蘇る。
 中国人は日本にまで来て、社長宅に侵入し、奥さんや家族を殺害したのである。

 

 

【中国との腐れ縁を維持する人脈】
 中国とのつき合いは 「金の切れ目は縁の切れ目」 でもあるのだが、日本の政財界は、今までえんえんと食い物にされ続けてきている。この期におよんで日中双方ともしがみつくようにしてはなれないでいるのは、日本の対中ODA援助の利権にむらがる政治家たちがいるからにほかならない。(p.283)
 このような政治家の主要な人脈とは、経世会関連の人物なのだろう。日中国交回復をした田中角栄、金塊を貯め込んでいた金丸信、土建屋をわんさか率いてチャーター便で中国を訪問した竹下登、そして小沢一郎という権力の祭司たちの人脈である。
 アメリカは、 「日本の資金を中国に渡すくらいならアメリカが取る」 という決意で、小泉改革に乗じて経世会潰しに躍起になっていたのだろう。しかし、現在のアメリカは、オバマ大統領になってやや良心の復活が萌している。中国に良心の復活を期待しても空しい感じがする。文化的DNAのレベルで確定している民族性であるなら、話してもわからないのだから、いかんともしがたいのである。

 

 
<了>