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 この本が書かれた2012年頃は、世界的な経済不安がピークだったころなので、この手のタイトル著作が多かったように記憶しているけれど、中国の経済的崩壊はいまだに起こっていない。しかし、両対談者が「中国の終わり」を言っている根拠は、あくまでの中国人の民族性を基としたもの。この点は、数年、数十年でそうそう変わるものではないから、中国文化の基本として知っておいて損はない。

 

 

【「まえがき」】
 今回、黄文雄と石平という、中国を良く知る論者2人が対談したが、私たちの意見が一致したのは、日本人の中国観、とくに、「これからは中国の時代だ」といった幻想を抱いている人たちの中国観が、いかに間違っているかということであった。 (p.2)
 著者のお二人は日本に帰化しているとはいえ、中国生まれと台湾生まれの方々だから、日本人より中国人の考え方を知っているのは当然。そんなお二人によって、このような趣旨に則して、様々なことが記述されているのだけれど、本書が出た頃、読んでいた中国関連著作 の中では、ヴィクター・ソーンの 『次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた (上)』 (下) や、副島隆彦さんの 『中国バブル経済はアメリカに勝つ』 や、フルフォードさんの 『中国元がドルと世界を飲み込む日』 といった政経関係の本の方が印象に残っている。
 「拝金中国人の、人間的資質が悪すぎるから、遠からず崩壊する」と考えることはできるけれど、「拝金中国人だからこそ、強かな経済戦略で、国を動かし得る」と考えることもできる。
 ワンサイドの固定観念を維持したいだけなら、本なんて読む必要はない。複数の視点から異なる見解を出てくることを知悉しながら、注意深く状況を観察しつつ考えるのが知性というもの。大勢に流され噂をすぐに信じ込むるような人々は、大抵、殆ど本を読まないのである。

 

 

【両桿子】
黄  いまの中国には、「両桿子(りょうかんし)」という言葉があります。これは、「槍桿子」=軍と、「筆桿子」=メディアの両方をもつこと。すなわち統治に必要なのは「軍と言論」だという考え方です。要するにイデオロギーを支配する力、情報統制のことです。中国では、これが現在、最高潮に達しているんですね。(p.55)
 黄文雄さんのこの発言の後、石平さんは「インターネットの発達で、イデオロギー支配は崩れる傾向にある」と言っているけれど、どうしてどうして、現在の中国政府の「筆桿子」は、インターネットですら徹底的に検閲支配している。
 日本のメディアが日本国内で、中国に関するマイナス報道をおこなったことに対してさえ、ヤラセによるカウンター報道で報復するというありさまである。
   《参照》  『マンガ 中国入門』 黄文雄 (飛鳥新社)
            【日本人団体客、売春報道の裏側】
            【日本人留学生の破廉恥寸劇事件】

 

 

【世界でいちばん世俗化した民族の価値観】
黄  中国人には宗教や信仰はありません。そのかわりに、儒教を無理やり宗教のかわりに用いたのです。・・・中略・・・。だから、中国人は世界でいちばん世俗化した民族なんです。そうした世俗化した中国人が、中国は世界の中心だと考えている。もちろん、そう考えてもいいんだけれども、世界に新しい価値を提供できているかということは考えない。(p.58)
 中国人は基本的に宗教心がほかの民族より薄い。このような非常に世俗化した民族にとって、何がいちばん大事なことかというと、権力と金なんです。中国では「権銭(チェンチェン)交換」、あるいは最近の流行語では「権銭弁証法」といった言葉があります。つまり、権力で富を得るという意味です。
 これは中国にかぎらず韓国もそうですが、(p.59-60)
   《参照》  『中国人の金儲け日本人の金儲けここが大違い!』 宋文洲 (アスコム) 《前編》
            【中国人の人生観】
   《参照》  『驕れる中国 悪夢の履歴書』 黄文雄 (福昌堂) 《前編》
            【中国の国民性の根底を見極めよ】
            【対極的な日本と中国】
   《参照》  『歴史から消された日本人の美徳』 黄文雄 (青春出版社)
   《参照》  『韓国が日本を哀しむとき』 小板橋二郎 (こう書房)
            【サクラ(桜) と ムクゲ(槿)】

 

 

【江沢民がつくった「権貴階級」】
石  江沢民も、自分には徳もなければ、人気もないことはわかっていました。そこで、江沢民がどうやって自分の政権を維持したかというと、簡単な話で、みんなを腐敗させたのです。それで人気を得た。(p.91)
 人気が出たから、江沢民政権は13年も続いた。
黄  江沢民はみんなを汚職で腐敗させて、権力で富を築く「権貴階級」をつくったのですね。江沢民時代以降、権貴階級は肥え太りました。・・・中略・・・。とくに共産党幹部の子弟は、権力を利用して物資の横流しなどをして大儲けしている。これを中国では「官倒」と言います。(p.91-92)
 毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦涛、習近平と続いて来た中国共産党書記長だけれど、江沢民がもたらした「権貴階級」の腐敗があまりにもひどく人民の怒りを買っていたので、胡錦涛も習近平も「汚職撲滅」と言ってはいた。しかし、その実態は、単に権力闘争(敵対勢力殲滅)のために「汚職撲滅」を用いていただけ。
   《参照》  『アジアの行方』 長谷川慶太郎 (実業之日本社)
            【上納金システムを維持したままの「汚職撲滅」】
   《参照》  『破綻する中国、繁栄する日本』 長谷川慶太郎 (実業之日本社) 《前編》
            【習近平による汚職撲滅】

 腐敗しきった「権貴階級」の実態は何ら変わっていないどころか、蓄財額は一層巨大化していて、国家崩壊時の国外逃亡にそなえて国外へ持ち出されている「権貴階級」の資金が、経済崩壊リスクをより一層高めるほどの規模になっているのである。
 日本の官僚たちも、ノーパンしゃぶしゃぶ事件以降、アメリカの言いなりに日本の資金をジャンジャン横流ししてしまっているから、中国も日本も、いずれ官僚によって国が倒れるであろうことは同じである。
   《参照》  『この国を変える力』 中丸薫 (PHP研究所)
            【官僚の変質】

 

 

【「誠」と「詐」】
 日本の夜間金庫を見た中国人は、ビックリしていたという。
黄  中国では、銀行でもお金を預けるときは、金を渡すと同時に金額を記入した通帳をもらわないと、危なくてしかたがない。
石  日本では、お金を引き出すとき、銀行員がお客さんの通帳と印鑑を預かって、「あちらでおかけになってお待ちください」と言いますが、中国ではそんなことは絶対にありえない。座って待っていたら、もう二度と出てこない。「通帳も印鑑も預かっていないですよ」と言われて、行員にお金を盗まれる可能性が高いのです。
黄  中国に進出した台湾人の工場経営者に聞いたんですが、商品を買いに来たトラックが工場に着いたときには、必ずキーを抜かせておかないと、工場で荷物をいっぱい積んだとたんに運転手が金を払わずに乗り逃げすることが多いのだそうです。(p.120-121)
 黄文雄さんは、常々、“「誠」の日本、「詐」の中国”と言っているけれど、このような具体的事例と共に語ってもらえると、日本人も理解しやすいだろう。

 

 

【中華思想の自己中心主義】
石  何というか、まわりがみんな泥棒だったら、自分が泥棒であることすら忘れてしまうような感覚でしょうか。しかも、中国人の自己中心主義は、西洋哲学でよくいわれる「個人主義」とは全く違います。西洋の近代思想における個人主義には、神に対して自分という個人を確立するという意味合いがありますが、要するに、神からの独立への志向ですね。その自己に対する肯定が、他人の自己に対する尊重にもつながるわけです。
 しかし、中華思想の自己中心主義は、全く違う。とにかく、すべて自分が正しい。相手のことは何も考えないし、認めない、尊重しない。間違っているのはすべて相手だとする思考法です。(p.128)
 こんな中国人でも、中国国内にいる分には同族文化圏だからいいけれど、日本以外の国外に出たら、露骨に嫌われるどころか、かなり痛い目にあっているのである。
   《参照》  『バブル崩壊で死ぬか、インフレで死ぬか』 石平・有本香 (WAC) 《前編》
            【世界中で襲われている中国人】

 政治家なら、世界中から総スカンを喰らって、露骨にバッシングされるのである。
   《参照》  『帰化日本人』 黄文雄・呉善花・石平 (李白社) 《前編》
            【野蛮な批判こそが “優れている“ とされる中国】

 

 

 

【近代朝鮮人の性格を形成した李朝】
 日本人としては、中国と日本の間にある朝鮮人の性格傾向の基本は、きちんと知っておくべき。
黄  韓国の長い歴史の中で、中華王朝にもっとも隷属したのは、李氏朝鮮の時代でした。その前の高麗はそれほどでもなかったんですよ。また、高句麗はすごく強かった。隋や唐の大軍を何度も破っています。韓国人が誇りにしているのが、この高句麗の時代でしょう。
 しかし、李朝の時代は、公式の朝貢の序列は琉球のあと、つまり最下位でした。これには当時の朝鮮の両班(官僚)も嘆いています。また、この時代は、朝鮮人の中華王朝への阿諛迎合がもっともひどい時代でもありました。そして、近代朝鮮人の性格を形成したのが、おそらくこの李氏朝鮮の時代でしょう。(p.158)
 日韓併合時代の、日本の宗教持込みは大いなる遺恨らしいけれど、李朝時代にお寺で祀っていたのは、中国の皇帝か、『封神演義』や大河小説に出てくる奇人や怪物だったのだという。
 中華というご主人様に対しては奴隷のようにつくすけれど、周辺の民族に対しては、自分が小さい中華、つまり「小中華」として尊大にふるまう。そういう心理があったんですね。
 中華思想は、主人と奴隷の二つしかありませんが、朝鮮はこの2つの役割を同時に担っていた。中国に対しては奴隷、中国以外の国に対しては主人のようにふるまう。(p.158)
 企業内でも、上司に対しては屈従、部下に対しては罵倒命令である。
   《参照》  『韓国人は日本人をどう思っているのか』 朴相鉉 (新人物往来社) 《後編》
            【韓国人の優越意識】

 韓国の権威ある学者さんは、下記リンクに《“尚武”の日本、“尚文”の朝鮮》というデタラメを書いているけれど、これこそが、李朝時代に形成された性格のままに、朝鮮民族を美化したいという欲求の発露なのだろう。
   《参照》   『「ふろしき」で読む日韓文化』 李御寧 学生社
             【 “尚武” と “尚文” 】

 奴隷という言葉が出てきたので、下記リンクを付けておきます。
   《参照》  『アメリカはどれほどひどい国か』 日下公人&高山正之 (PHP) 《後編》
            【米中の奴隷経済蜜月関係】

 

 

【日本の国学者と朱子学者】
黄  私からすると、国学者のほうは自然と社会の原理原則から中国を見ていて、非常に目が鋭い。一方、朱子学者のほうは、古典を読んで学んだ中国なんです。だから、朱子学者はみんな、中国は「聖人の国」「道徳の国」というような言葉を発する。
 国学者は“唐心”と“大和心”について、ハッキリ定義しています。“唐心”については、彼らは「よこしま」という表現をしていますが、嘘つきで詐欺の心であるということです。対する“大和心”は、「真心」であるという主張なんです。国学者と朱子学者では、正反対の見方をしていたんですね。(p.161-162)
 チャンちゃんもビジネス書を読むようになる以前は、日本人特有の、“誠”の視点で解釈された孔子の『儒教』、(という偏向グラス)を通じて中国を理解していたから、中国は「聖人の国」「道徳の国」という認識でいた。
 しかし「その認識は、おかしい」、とハッキリ思ったのは、儒教国家といわれる中国や韓国に何度か行った際に、現地の実状に触れたからである。両国民とも日本人が理解している「誠」の『儒教』を体現している民族であるとは、到底言えないような状況を何度も目にしていたのである。
 それを機に、日本が享受した仏教は、漢訳仏典を元にしたものであったが故に、既に儒教思想や道教思想が混入していた可能性があったことを思い出しつつ、神道をかじった段階で、それまで意識していなかった仏教と神道の違いが分るようになるにつれて、仏教への興味が希薄化し、儒教の概念は頭からほぼ消えていったのである。
 何故なのかを、今もっともらしく書いてみるなら、「儒教の道徳観」は、“顕界”の「正」や「生」や「性」や「清」や「誠」となって神道の生活態度の中に既に組み込まれてしまっており、漢訳仏典仏教から儒教思想を分離したときに残るであろう「純粋仏教の三世思想」は、“幽界”の側にこそ重心がある「精」や「聖」となって、「神道の中今思想」の中に“顕幽一致”の「せい」として収斂しているように思えたからである。つまり、「“顕”のみの儒教と、“幽”を旨とすべき仏教は、“顕幽一致”の神道を前にして、強いて語る要はないかも・・」と思ったのである。
 そして中国語に“時制がない”のは、一見して「中今」を生きている民族のように思えるものの、その実態は、“幽界”を意識の射程に置かない現世(“顕界”)のみの儒教を基としているのだから、「神道の中今思想」とは“全く同等に語り得ないもの”であると観じたのである。
 下記リンクを書き出しておいたのは、そのような認識を肯う記述だったから。
   《参照》  『歴史から消された日本人の美徳』 黄文雄 (青春出版社)
            【日本と中国の道理の違い】