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 2006年5月初版。民間企業へ就職した若者たちは、この本のポイントをよく心得ておいた方が良いだろう。

 

 

【ビジネスパーソンの21世紀の世界標準時計】
 (アメリカ)その他の国でもビジネスパーソンは、だいたい30代で一人前と見なされるし、20代で完成するというタイムスケジュールで、多くの人は働いていると考えていい。
 つまり、これが21世紀の世界標準時計なのである。
 ところが、日本人だけはなぜか、50歳を過ぎてようやく事業部長を任せられるのが常識だと思っている。しかも大きなチャンスを与えられない35歳から50歳までは、ろくに勉強もせず、ひたすら社内営業という不毛な活動に励む。私は今から30年前にこれを 「魔の15年」 と名づけた。この15年の間に、若いころ持っていた自分なりの意見や向上心が失われ、見事にサラリーマンとしての染色体ができ上がるのである。(p.24)
 20世紀までは、 「日本の常識は世界の非常識」 と、日本だけ別枠で語れるようなビジネス慣行がまだいくらか残っていた。ボーダレス化への過度な行き過ぎから、やや揺り戻した点もあるにはあるけれど、昔の形態に戻ることはない。時代の趨勢として、企業はボーダレス化の中で落とし所を見出してゆかねばならないのである。
 つまり、ビジネスパーソンも世界標準の意識で自分を鍛えておかないと、最初から最後まで年収200万円の人生になってしまう可能性が高いのである。

 

 

【答えが見つかるまで考えさせる】
 私が数年前に調査したところ、ハーバード大学がケース・スタディのモデルにしていた企業のうち、半数近くはすでにつぶれるか、合併その他で企業の実態がすっかり変わるかしていた。この事実こそまさに、20世紀のルールや法則をなぞっても、21世紀は成功できないことを如実に物語っている。
 だから私の経営するBBT大学院大学では、ケース・スタディやフレーム・ワークのような方程式には重きを置いていない。いままでの常識が何であったのかを教えることは教えるが、主眼はそこから先である。課題だけを与えたらあとは、答えが見つかるまで徹底的に調べさせ、考えさせる。もし方程式が必要だというなら、「それごと自分で考えろ」 というのが私の方針だ。(p.42)
 こと21世紀のビジネスにおいては、過去の歴史・事例を学んだところで、そんなものは役に立たない。必要なのは 「考える力」 のみ。

 

 

【3種の神器 : プロフェッショナルを名乗る最低条件】
 私自身は、語学力、財務力、問題解決力の3つが鍵だと思っている。もちろんこれだけというわけではないが、この3種の神器があれば、まず世界のどこに行ってもある程度通用する。つまりプロフェッショナルを名乗る最低条件というわけだ。(p.48)
 今日のビジネス環境は、明らかにボーダレスになっている。日本人だけの発想、日本国内だけで通用するやりかたでは、もはや通用しない。平均的日本人が馴染みやすい "公務員頭" は日本を滅ぼすのである。

 

 

【語学力(英語力)】
 まじめな人のためにいっておくが、英語に正しい発音などないのである。アメリカ人だってニューヨークとテキサスでは、同じ単語でも発音がまるで違う。それでもなんとか通じるのだからそれでいいくらいに、アメリカ人は思っている。どちらが正しい発音だなんて問題にしているのは、言語学者くらいのものだ。(p.71)
 大前さんがいっている語学力とは、ディスカッションできる英語力である。世界中のビジネスパーソンがそれぞれに訛りの強い英語でビジネスの内容を議論しているときに、正しい発音がどうのこうのと言っていても、ほとんど意味がない。
 それでも発音を問題にしたがっているのは、経済的安定生活が保障されているがゆえに、時代状況をわきまえる必要を全く感じていない、ボンクラな公務員の英語教師位だろう。ボンクラは壊れたレコードのように何十年でも同じことを繰り返すだけである。
    《参照》   『トヨタ流英語上達術』 スティーブ・モリヤマ (ソフトバンクパブリッシング) 《後編》
              【発音より大切なこと】

 

 

【財務力】
 そのうえ国も国民を、財務が必要な一国一城の主と認めていない節がある。給与所得者に減損会計(減価償却)を認めないのは、個人にはバランスシートなど必要ないといっているのと同じだ。なにより商法の規定では、会社の従業員は 「使用人」 と表記されているではないか。使用人は財務などと偉そうなことをいわず、家計簿でもつけていろということなのだろう。
 このように財務を取り巻く日本の環境はあまりに劣悪なので、自分で意識して学ぼうとしないかぎり、財務能力もまた身につくことはない。ということは資産が殖えないだけではなく、気がつけば1400兆円もあった金融資産が、いつの間にか国の借金返済に流用されてしまっていたということにもなりかねない。
 そうでなくとも、自分の資産を金利が0.1%の定期預金に平気で預けておくような財務感覚の持ち主が、ビジネスの世界でプロフェッショナルとして活躍できるとは、私にはどうしても思えない。(p.76-77)

 

 

【問題解決能力】
 GEのCEOであるジャク・ウェルチ氏
 「アンチ事業部」 もウェルチ氏のアイデアだ。GEの既存の事業を否定する部門を社内につくったのは、いずれ他者に弱点を突かれて斜陽化するなら、その前に自分たちでやってしまえということだ。現状に甘んじることなく、企業は常に自己否定を続けよという彼らしい態度といえる。(p.100)
 繰り返される自己否定によって、進化を続けている日本の中小企業もある。
   《参照》   『吉本興業から学んだ「人間判断力」』 木村政雄 (講談社)
               【変化を躊躇わない】

 

 

【世代間の断層】
 40代と50代の間には、越えがたいフォッサマグナが広がっている。50代は逃げ切れても、40代はそうは問屋がおろさない。
 私の試算だと、現在700万人近いサラリーマンが、バブル期に取得した不動産のローンにあえいでいる。かつて6000万円したマンションが、いまや2800万円程度の価値しかなくなって、売るに売れず、安い物件に買い替えることもできない。(p.163)
 バブルがはじけた後、政府の詐欺的勧誘政策に乗せられて住宅をローンで購入した人々は、当時主に30代、現在40代である。マクロな経済状況を自分で判断して考える習慣のない人々が、政府に嵌められたのである。
 この事に関しては、『ロウアーミドルの衝撃』 という本の中に詳細に記述されていたけれど、この本にもポイントがコンパクトに記述されている。この世代は、年金に関しても先行きがまったく明るくないのである。
 (バブルがはじけ、土地が余っているという)この事実を、政府も銀行も不動産業界も、当然知っていた。知っていながら 「ゆとり返済」 というローン商品をつくってまで、国民に家を買わせたのだ。つまり、このとき高値で不動産を買った人は、まんまと彼らの策略に乗せられてしまった哀れな人たちなのである。
 彼らはいわば、国がゼネコンや銀行を救うための犠牲となったのだ。総量規制で不動産会社にお金が流れなくなり、このままでは多くの不動産会社が潰れ、被害は銀行にも及ぶと考えた政府は、国民に出来るだけ高値で家を買わせることで、景気を回復させようとした。しかもこれだけではまだ足りず、ゼネコンや銀行には債権放棄や公的資金という反則技まで使っておきながら、ローンに苦しむ人には自己責任だといって、なんら救いの手を差し伸べようとしない。国民を政策の手段としか考えないいまの日本政府の素性がこれほどよく出ているのに、まだ気づかずにじっとしている人が多いのだ。
 そして、年金だ。
 年金はすでに800兆円の債務超過だということを、あなたはご存じだろうか。しかもこれに、国債と地方債の負債を足すと、1500兆円となり、国民資産の1400兆円を超えてしまっている。
 この事実を知れば、いまの40代が、すんなり年金を受け取れると考える方がおかしいということがわかるだろう。もしもらえても、70歳以降であることは間違いない。(p.166)
 国家が行うことは、国民のためではなく特定業界のためである。そう明確に考えるようにしないと、国民はいつまでもカモられることになる。国の言うことを信じて高額な家を購入した40代のサラリーマンの手痛い実例をどう受け止めるのかは個人次第である。
 年金に関しても、自分できちんと判断して、その上で、年金を払いたい人は払えばいい。

 

<了>