《中編》 より

 

【ディフュージョン(普及)】
 キリスト教には、神の教えを広めるという布教活動があるので、欧米にはもともとそういう考えがあるが、日本人には、あまりディフュージョンという考え方がない。日本人は単に宣伝とかおすすめだと思っているが、彼らはもっと押しつけがましことを考えている。「神の教えをあなたに教えてあげます」「あなたは救われます」を本気で思っていた時代をまだ続けているのだから、強敵と思ってお相手をしなくてはいけない。
 中国では同じことを「解放」といっている。解放のためには解放戦争をしてもよいと思っていて、すべてはその準備工作だから隣国は大変なのである。(p.120)
 なんか笑ってしまうけれど、日下さんは、欧米のディフュージョンや中国の解放のやり方を、日本の高品質製品の普及に使いなさいと言っている。もちろん、厚かましくない方法で。
 アルマーニには、「ジョルジオ・アルマーニ」では高くて買えない人のために「エンポリオ・アルマーニ」とういうブランドも用意されているのだという。
 今は世界中で漢字がプリントされたTシャツをよく見かける。マンガが引き金なのであって、中国文化が意識されているのではない。日本文化が意識されているのである。
 若くて貧乏なうちはTシャツしか買わないにしても、だんだんと憧れの高級商品を買うようになり、さらにその先は和服を着るようになる。日本の和服文化の高さは世界の想像を絶して高い。・・・中略・・・。日本の若い女性に、最高の男の魅力は? と聞くと、将棋や碁の名人戦で戦う棋士の和服姿という答えがあった。いまに広がる。(p.126)
 意図的な普及活動であっても、その意図が何だったのか分からないくらいになったら大成功なのだろう。
 徳川将軍は武士の荒っぽい気性を治して、「少し落ち着け」と囲碁・将棋を奨励した。日本お大企業は労働組合運動鎮静化のために、会社の中に文化部をつくり、碁、将棋、お茶、生け花などの先生を呼んできた。だから、組合がおとなしくなったら、お呼びがかからなくなったのです。あながち不景気や経費削減のためばかりではない。(p.121)

 

 

【マンダム】
 資生堂はアジアの女性に、マンダムは男性に、というところが面白い。(p.131)
 国が経済的に成長してくると、先ずは女性がお化粧に凝り出し、ついで国家意識に目覚めて男性も化粧品を買うようになる。資生堂のみならず、マンダムは、中国にも東南アジアにも大々的に進出しているという。マンダムは、一本チューブではなく、一回使い切りの小分けジェルなどの販売方法で、普及に成功している。
 ところでマンダムの前の名前は「丹頂」だったとか。そしてマンダムという名前は「満々と水を貯めたダム」のイメージから作られたとか。「丹頂」だと「禿オヤジの一本毛」みたいなイメージだから、変えて正解である。
 ノー天気なチャンちゃんは今放映されているマンダムの宣伝が大好きで、「ヘアジャム、ヘアジャムじゃない、ヘアジャム、変態、じゃーん、ヘアジャム」って、いつも一緒に言っている。
 マンダムは資生堂に対抗して、女性用ブランドに「ウーマンダム」ってどうだろうか。「ウーマンとマダム」の合体イメージである。年齢層はちょっと高い。なんか、便秘が治りそう。

 

 

【日本人の物差しでは測れない国・中国】
 中国は、日本人のものさしでは測ることができないところがある。「まさかそんなことを人間がするはずがないだろう」と思うようなことが行われる。
 ・・・中略・・・。文化大革命のとき殺した反革命分子の死体2千万人か3千万人かを、毛沢東が、「畑に埋めれば肥料になる」といったのでそうしたという話がある。
 毛沢東が死んで華国鋒政権になったばかりのとき、中国を案内してくれた人に、「農村部を何百キロも自動車で走ったが、墓が全然ないのはなぜだ」と質問したことがある。もちろん答えはなかったが、そのとき、深く沈んだ表情が忘れられない。そんなこともあり得ると思わせる国民性や国情なのである。(p.82)
 たくさんあり過ぎたら肥料なのだけれど・・・・
 中国人は人間を料理して食う。二千年も前から『人間料理法』という本がある。(p.182)
    《参照》   『マンガ 中国入門』 黄文雄 (飛鳥新社)
              【食人文化】

 

 

【中国人留学生との会話】
 「日本人の親切な心が少しは通じたのかな」と思っていたが、やがて5年、10年経ってみると、何も通じていないことが分かった。・・・中略・・・。「私はその問題について、・・・中略・・・勝手にやっているのだろうと思っていた」ありがたいから、それは受けたが、だからと言って感謝するという心は中国人にはない。「いろいろ恵んでもらってありがたいから、明日もとことんもらってやれという気持ちで私は2年3年と暮らしました」
「だんだんと日本語もできるようになって、なぜこんなに私に親切にしてくれるのですかと聞いたとき、びっくり仰天しました。昔、日本は中国に悪いことをしたから、お返ししているんだといわれた。一人だけかと思ったら、みなそういう」。こういう考えは中国人には全く分からない。国家対国家の関係が、なぜ個人対個人の関係になるのか、中国人にとって国家と個人は全然別である。「国家が悪いことをしたから、私があなた個人に晩飯をおごる」とは「それは一体なんだ、この人は気違いか」となる。(p.171-172)
 「上に政策あれば、下に対策あり」というのが中国人だから、国家と個人が同じ意志で連動していると想定してはいけない。しかも、信用とか誠実といった日本人の価値観は、中国人には咀嚼されないのである。
    《参照》   『中国人の秘密』 ルー・ウェイ HIRA-TAI BOOKS
              【中国人にとっての “頭のいい人” 】

 

 

【日本人だけが飛び抜けている】
 上記書き出しの続き。
「こういうのが10年続きまして、やっと今頃わかりました」という。「なんですか」、「日本人は、何も考えていないということが分かりました」「正しい、日本人は計算しない、何も考えず、気の毒な人を見たら何かしてあげる。その何も考えない親切というのを、これから、考えなさい」といいながら、「あ、これでは一千年間ダメだ」と思った。しかし、そうはいいながらも、「ま、10年くらいでぽつぽつうまくいくんじゃないか」とも思っている。相当辛抱のいる話なのである。
 この話の結論は、日本人だけは飛び抜けて道徳が高い、という話になる。飛び抜けているから、外国人にはそれが分からない。アメリカ人も分からない。わずかにわかってくれるのは、フランス人、イギリス人、ドイツ人、半分わかるのはイタリア人ぐらいで、あとは絶望的である。
 だから孤立する、元々孤立しているのである。飛び抜けて我々は程度が高いのである。
 彼らはだんだん分かってきて、「日本は素晴らし国だ」という人もいる。(p.172-173)

 

 

【「近代化」という意識を卒業しよう】
 先進国は約30あって、“ポスト・モダン”を論じているが、それ以外の国はいまからモダンに入りたいと思っている。(p.186)
 それぞれの思惑に則して、それぞれに悩んでいるのだけれど、
 悩みをそもそもに立ち戻って考えれば、国家はもう不要ではないのか。経済は昔と比較すれば十倍も百倍も豊かになっているからこれで十分とすれば、経済発展も不要に見えてくる。・・・中略・・・。世界はどうなるかとか、日本はどうなるかとかの問題提起がもう古いことになる。
 問題の立て方が近代化を理想とした時代のもので、それは近代化を完成した現代にマッチしていないと思うが、それが分かる人とまだ分からない人に日本国内でも二つに分かれている(p.187)
 日本のみならず世界は二極化の様相を深めている。リーマンショック以降、世界中に供給されたマネーはとんでもない量になっているにもかかわらず、均等に行き渡ることはなく、二極は全く止まらないのである。不平等、不均衡が加速するだけである。これは近代化の延長は不可能であることを意味している。
 別の発展形態は用意されているのである。マネーを支配する国家という単位を不要にし、貨幣経済の元締めとなっているエネルギーを、フリーエネルギーに変えてしまえばいいだけのことである。各家庭にフリーエネルギー装置があれば、生存を脅かすものはなくなる。本質的に貨幣など必要ではなく、カネがらみの国家も必要ではないことが分かってくるだろう。
 ジョン・レノンが歌っていた 『イマジン』 の世界は、人類が近代の意識を卒業し、フリーエネルギーの封印が解かれさえすれば容易に実現するのである。
 日本が世界の中心となっていた1万2000年以前、天皇が“天の浮舟”で世界を巡航していた頃は、そんな世界だったはずである。その当時を再び地上に実現すればいいだけのことである。

 

<了>