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 著者は温州(うんしゅう)出身の中国人女性で、明治学院大学に留学中にこのエッセイを書いたのだという。中国人の性格を正直に書いているところが良い。語学雑誌として発行されている、ひらがなタイムズの大賞受賞作品なので、振り仮名つき日本語と英語で記述されている。

 

 

【拝金主義の中国人】
 女性医師は侮辱の言葉を患者に浴びせ続けた。
 中国で、性病の患者が医者からどんなに軽蔑され白い目で見られているかはいうまでもない。中国では性は卑しいもの、汚いものという考え方が何千年も続いてきた。性病にかかっている女性の中には、医者のいじめに耐えられず、病院へ行かずに一人で苦しんでいる女性がたくさんいる。・・(中略)・・。
ところがである。
 「あなたの職業は?」と女性医師から聞かれた患者が、「自分で会社を経営している」と答えた途端、両者の関係は逆転した。
 女性医師は、「へぇ」と突然明るい声を出し、・・(後略)・・。  (p.16-17)
 現在の日本には、月収50万円を稼いでいる中国人IT技術者は何百人もいるけれど、IT以外の技術者として日本に来ている中国人に、「IT技術者は月収50万円」などと話すと、にわかに色めきたつ。
 中国人にとって何よりの価値は、勤続や安定ではなく、単に高給であることにあるのである。

 

 

【中国人にとっての “頭のいい人” 】
 ほとんどの日本人は「誠実」を美徳と考えている。
 私は長く日本に住んでいるが、人に騙されたことは一度もない。日本は犯罪率が低いという点で世界のトップにあるが、人を騙す人が少ないという点でもおそらく世界のトップだろう。
 しかし、中国では正直者は馬鹿を見る。
 中国では、商売上において、人を騙すことはそれほど悪いことではない。それどころか、多少嘘をついてでも商売を成立させる人が “頭のいい人” とされ、肯定的に評価されるわけだ。 (p.38)
 “嘘をつかない”、“約束を守る” という人生の基本的なスタンスに関しては、竹村健一さんの名言通り、「日本の常識は世界の非常識」であると考えておいた方が無難である。
 産業界はこの様なことは既に十分承知であるが、一般日本人の中国人に対する認識は甘すぎる。
  《参照》   『 「道徳」 という土なくして 「経済」 の花は咲かず』 日下公人 (祥伝社)

 

 

【 “素直さ” よりも “面子” 】
 国に帰ったとき、私は友人に、「日本に行って学んだことは、自分のミスを素直に認めることの大切さ。中国人はなかなか素直に謝らないから嫌われるよ」と言ったことがある。
 中国人は謝ると自分の面子が潰れる、あるいは、罪が重くなると考える。実際、中国社会では、日本と違って謝ることによる利益はほとんどない。謝罪は不利益しかもたらさないのだ。 (p.48)
 謝罪に関しても、「日本の常識は世界の非常識」 である。
 日本も、格差社会が進行して、能力主義による人事評価が行き過ぎれば、“素直さ” という日本人の美徳を率先して放棄する人々が増えてしまうのではないだろうか。
 それとも、『落日、燃ゆ』 に描かれた広田弘毅のように、日本人すべてが、どのような裁定であれ、決して言い訳することなく従容と極刑を受け入れてしまうような人々の集団であり続けるのであろうか。

 

 

【「中国人に見えないね」が褒め言葉だという誤解】
 私たちは、日本人から「中国人に見えないね」と言われた時、その日本人が無意識のうちに日本が上で中国は下だと思っているように感じるのだ。 (p.146-147)
 普通の日本人は、日本語の上手さや容貌や服装を評して「中国人に見えないね」と言うのであろうが、中国人がそう思って解釈してしまうのなら、そう見える理由を具体的に述べた方がよさそうだ。
 ただし、私の経験では、台湾人や韓国人の女性に、「日本人みたいに見える」と言うと、ほとんどの女性は喜んでいた。逆に、日本人の女性に「韓国人に見える」と言ったら、たいていの方は困惑顔をするのだけれど、一人だけ「嬉しい」と言った女性がいたので、その時は、こちらが困惑してしまった。

 

 

【統制の対象が違う日中 ? 】
 (日本では)総理大臣の悪口を言うことはできても、「その服あなたに似合わないわ」、「この食事ちょっとまずいな」、「私疲れたから先に帰る」のような台詞は絶対に言ってはいけないのだ。もしも不注意で口を滑らそうものなら、傷つきやすい日本人はどうなってしまうか分からない。
 この雰囲気の中で、来日している外国人たちも、次第に本音で話が出来なくなってゆく。政府の「統制」 よりも、この民間による目に見えない「統制」の方が、人々の息を詰まらせるのだ。
 中国は違う。新聞やテレビは言論統制されているが、個人個人は政府の悪口も含め自由に意見を交し合う。日本のような重苦しいタブーはなく、「似合わない」、「まずい」、「帰る」とはっきり言う。敬語などというかたっくるしいものはない。
 私は日本に来て、「自由」とは何かということを改めて考えさせられた。 (p.52-53)
 中国は、政府による “統制がある” からこそ、民間の個々人は “自由” な行動形態をとるようになるのである。
 日本は、政府による “統制がない” からこそ、民間の個々人は “共生” を志しているのである。
 外国人の皆さんは、日本に長らく生活するようになったのなら、「自由とは何か」ではなく、「共生とは何か」と考えて欲しい。
 
<了>