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 ジョン・レノン亡き後も、世界の平和に貢献している草の根の人々に光をあてる 「レノンオノ平和賞」 を初めとする様々な活動をしている著者。2009年12月初版。オノ・ヨーコさんは1933年生まれの方である。もう77歳。
 

 

【芸術家ジョン・レノン】
 裕福な銀行家の娘であった著者は、そもそも芸術家としてアメリカで活動していたことでジョン・レノンと出合っていた。ジョン・レノンは音楽活動だけをしていたわけではない。
 たとえば、ジョンのリトグラフの個展 『バッグ・ワン』 がアメリカの田舎を巡回した時のことです。
 場所の提供をお願いしても、
「ロック・スターの絵の展示会なんてねえ・・・」
 とことわられることが多かった。彼の絵は美術館のキュレーターや批評家から歓迎されるような絵画ではありませんでした。 ・・・(中略)・・・ 。
 時代も、アメリカ全体が保守的で、平和よりも戦争をというムードに流されているときでした。学校で子供たちが 「イマジン」 を歌うと、いじめられたりするようなことがあった時期(レーガンが大統領であったとき)でした。(p.39)
 それでも、リベラルな人々が集まって絵画展を温かく受け止めてくれたそうである。
「イマジン」 という歌ができたとき、
「これを今すぐ出せば、戦争が終わるんじゃないかな」
 とふたりで話していました。ふたりともすごくせっかちだったのです。(p.71)
 しかし、戦争で利益を得ている軍需産業の経営者たちにとっては、平和を希求するジョンの歌は好ましからざるものだった。ふたりの願いが実現するどころか、ジョンは凶弾によって地上から消されてしまったのである。

 

 

【イマジン】
「イマジン」 という歌はあなたも知っているでしょう。あの曲も何か大きな存在の後押しが働いたんだと思っています。
「音楽はスイートでとってもいいんだけど歌詞がちょっと問題だね」
 と言う人もいましたし、宗教団体は、
「 『イマジン』 を使いたいんですけど、No Religion(宗教のない)という一行だけ変えて歌ってもいいですか」
 そんなことを言ってきました。私はそれに 「ノー」 と言いました。(p.41)
 こういう依頼をする宗教団体って、呆れるほどに世界が進むべき方向がまったく見えていない。大きな存在の意向が全く汲めていない。ジョンもヨーコさんも内心は辟易していたのではないだろうか。おそらくこのような依頼をするような宗教団体というのは、真っ当な民衆より霊的進化レベルが低いのである。宗教を謀る偽物であるとすら言えるはずである。
 キリスト教や仏教が世界各地に伝播する以前、それぞれの地域にはそれぞれの伝統に則した神々と共に暮らす生活があったはずである。当時の人々は、そういった生き方を “宗教” とは認識していなかったはずである。
 20世紀の世界を席巻したキリスト教や仏教といった世界宗教はドグマ(教義・教学)をもつ。他地域に割り込んでゆくためにレゾン・デトール(存在意義)としてそれが必要だったからだ。ローカルな宗教にはドグマなど必要ない。日常生活そのものであったからだ。仏教渡来以前の日本人にとっての神道もそのような伝統的日常生活そのものであったはずである。故にドグマなど最初からもっていないのである。
 『イマジン』 の歌詞の真実性を解せない人々は、宗教(ドグマ)のもつ暴力性ないし偽善性に気付けていないのであろう。ドグマを有する宗教団体の教祖ないし幹部といった連中の傲慢ぶりと、世界の貧困を語りながら大伽藍を建てて裕福な生活にうつつをぬかすそのデタラメぶりを疑問に思えない人々なのであろう。あるいは、宗教が善なる側面だけを進展させうる良きものであるといった、己の虚飾的無知ぶりに気付けていないのである。

 

 

【最後のページ】
 通常の書籍の最終ページは、著者名や出版社・発行元などが記述されているものだけど、この書籍にはそのページの後にもう1ページあって以下のように書かれている。
    夢をもとう!   
         オノ・ヨーコ

 

 

【付記】
 この読書記録が、タイトルに則した書き出しでないのは毎度のことだけど、ジョン・レノンに関することばかり頭に浮かぶから、ジョン・レノンの命運に関する事件を端緒として書かれている小説をリンクさせておく。
 下記リンクの小説は、マスコミの流す偽情報をそのまま元ネタとして記述されているから、そのタイトルには眉をひそめざるを得ない。いかなる作家がどのようにジョン・レノンを記述しようが、ジョン・レノンは明らかに高貴な魂を有する人だった。
   《参照》   『ジョン・レノンを信じるな』  片山恭一  角川書店

 

<了>