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 環境問題とはつまるところ、エネルギーと食糧問題である、という認識のもとに記述されている著作。

 

 

【地球温暖化問題の警鐘者アル・ゴア】
池田 : ノーベル賞をとったアル・ゴアの自宅も豪邸で、光熱費だけでも月に何十万円もかかるという。なぜこういうことになるのかというと、この人たちは誰ひとりとして、地球温暖化が驚異だなどとは本心では思っていないからである。だから自分たちはエネルギーを使いたいだけ使う。(p.3)

 

 

【炭酸ガス(CO2)が増え続けた場合】
池田 : 中生代白亜紀(約1億4500万~6500万年前)における炭酸ガスの量は、いまの5倍から10倍くらいあったらしい。それでも別にどうということはなかったのである。炭酸ガスの多い影響で地球の温度は現在に比べて平均6度Cほど高かったと考えられているが、それで大きな問題があったわけではない。(p.51)
 現在のような勢いで炭酸ガスが増えていき、もし仮に3倍くらいになれば、それはそれで植物が繁茂して、地球全体で養える生物の量が増えるという意味での生産性は上がるかもしれない。人間は、自分が現在享受できている状態をベストと考えて保守的になるから、炭酸ガス増加による変化が都合悪いと考えてしまうだけの話である。(p.52)
 

【地球温暖化の原因は、太陽の黒点】
池田 : 人為的ではない要因については、1987年にアメリカのライドという研究者が太陽の黒点数と北半球の平均温度が相関するという論文を発表している。(p.116)
 地球温暖化問題の情報については、『さあ5次元の波動へ宇宙の仕組みがこう変わります』 デーヴィッド・アイク&江本勝 (徳間書店) の中でも語られていて(書き出してはいないけれど)、アイクさんは上記に引用したのとまったく同じことを語っていたし、江本さんもそれを認めていた。
 ただし、江本さんは、地球温暖化問題の原因がCO2 でなくとも、「地球人にとって必要な新しいエネルギー開発へのモーメンタムになるから、それはそれでいいのではないか」 というような意見を述べていた。私も同じように考えている。
 地球環境の問題についての書籍には、たいてい、温暖化に向かうという説と、反対に寒冷化に向かうという説が記述されていて、専門家と言われる人々の中でもこもごもなのが実状である。
   《参照》   『このままでは地球はあと10年で終わる!』 (洋泉社)
   《参照》   『今そこに迫る「地球寒冷化」人類の危機』 丸山茂徳 (KKベストセラーズ)

 いずれにせよ、環境問題は、エネルギー問題であり食糧問題なのだから、それらに関わる巨大企業の利権に関与するということ自体は間違いないことである。

 

 

【エネルギー利権】
養老 : スティーブン・シュナイダーという学者は、原子力産業の手先みたいな人だけれども、1970年代には、石油をどんどん燃やすとそれによるスモッグの微粒子で大気が汚染されて太陽光を遮ることになって寒冷化が進むという主張をしていた。それが、今度は、CO2 によって地球温暖化が進むから火力発電はやめようということを、同じ人が言っている。結局は、火力発電の代わりに原子力発電にしよう、と言っているわけね。どっちにしろ、原子力発電推進が真の目的だったわけだよ。原発推進につながるのなら、寒冷化だろうが、温暖化だろうが、どっちでもいいんだ。(p.149)
   《参照》   『リアル経済学』 ベンジャミン・フルフォード (日経BP社)
            【テロ戦争派 vs 温暖化防止派】

 

 

【ペットボトル】
池田 : ペットボトルは、わざわざ金とエネルギーをかけてリサイクルして再製品化しても、ボトルが白濁してしまって、品質が悪くなる。ヴァージンの(未使用の純粋な)原料から作ったものと同じようには作れない。(p.54)
 生ごみにペットボトルを混ぜると、ペットボトルが熱源になるおかげで生ごみは燃えやすくなる。つまり、ペットボトルを生ごみの中に一緒に混ぜて燃やせば、わざわざ重油を使わなくともたやすく生ごみを燃やせるのである。 (p.55)
 分別処理する事で、かえてエネルギーとコストを過剰に使っていることになる。環境問題の目的とは全く逆の成果を上げていることになる。ゴミ袋についてもまったく同様である。

 

 

【ゴミ袋】
池田 : 指定ゴミ袋はヴァージンの石油から作られているから、原価が高いのである。ただ燃やされる目的のためだけにわざわざつくられている袋というのは明らかにもったいない。
 一方、スパーマーケットのレジでもらえるような袋(いわゆるレジ袋)は、廃油から作られるから、原価は非常に安い。ほとんどタダ同然である。(p.59)

 

 

【ダイオキシン】
 さて、ビニールごみなどを家庭で焼却した場合、発生すると言われているダイオキシンについてはどうかというと・・・・。
池田 : 家庭ごみ焼却炉から出るダイオキシンで赤ん坊が死んでいる、などということが一時期よく騒がれていたけれども、それらはみなウソであり、実はゴミを燃やして出るダイオキシンの量はそれほど多くないこともわかっている。 ・・・(中略)・・・ 。重大な健康障害を引き起こすような量のダイオキシンはゴミの焼却によっては生じないのである。(p.64)
 ダイオキシンに関する専門家の報告は、人体に障害がある “可能性はある” という程度のものだったのだろう。それでも、安全側に理解すれば誰だって心配になって家庭焼却を控えてしまう。
 しかし、高温にならない家庭での焼却であっても本当に問題ないなら、庭付きの住宅に住んでいる地方など、ゴミ袋を買ってわざわざ指定場所に運んで出すなど、バカバカしいかぎりである。

 

 

【リサイクル利権】
池田 : 自治体は、リサイクルをすればするほど、ゴミを分別収集すればするほど、大規模なハイテクのゴミの高級焼却炉をつくればつくるほど、どんどん金がかかって赤字になってしまう。
  ・・・(中略)・・・ 。
 それはやっぱり最初に刷り込んだ奴が悪いと私は思う。リサイクリ利権で儲けようとした人間が市民をだましているわけだから。(p.66)
 可燃ごみなら、自宅焼却で充分である。それを集めて高給焼却炉で処理すると赤字になる。集中処理より分散処理の方がコストはかからない。
 コンピュータの場合も、集中処理方式から分散処理方へと移行してきたのであるけれど、それはそのほうが効率がいいからである。
   《参照》   『テレビの消える日』 ジョージ・ギルダー 講談社
           【ニュージャージーこそピラミッドの頂点だった】

 発電にしたってゴミ処理にしたって情報処理にしたって、分散処理方式が自然本来のありかたである。集中処理方式という不自然な方法は、人為的な一極集中つまり利権を招く好ましからざるシステムなのである。

 

 

【食べ残し問題】
養老 : 農水省のデータでは、現在の全世界の食糧援助量の3倍を日本は棄てている。数字を聞くと愕然としますね。これは、うっかりすると、国際問題になる。(p.172)
池田 : 単純に言えば、省エネしたぶんを食とか何かほかのことで浪費してしまっているわけだ。(p.173)
 食に感謝のなくなった日本人をブタさんに例えたいけれど、ブタさんは食べ残したりしないんじゃないかなぁ。日本人ってブタ以下。
 そのうち日本の若者は 「 『もったいない』 って、どこの国の言葉を翻訳したの?」 とかって言いだすんじゃないだろうか。 ワンガリ・マータイさん はコケルだろう。

 

 

【賞味期限問題と環境問題】
池田 : 食品の賞味期限や消費期限の偽装問題にしても、あんなのは実質的に被害者ゼロなんだから。法律の方がおかしいに決まってる。(p.181)
 もともとは製造年月日の表示だけだったけれど、日本に輸出するアメリカにとってその表示では不利だから、という理由で賞味期限や消費期限の表示に切り替わったというのが、由来。
養老 : そもそも賞味期限や消費期限自体が無意味なんだから、そこから問い直せばいい話だと思うね。
池田 : 環境問題に対する日本人の感覚にもそういうところがあって、何のために環境のことを考えるかということよりも、環境のための法を守ること自体が大事だというような事になってしまうんだよね。そこから外れたことを言うのは許されない感じになってしまう。
養老 : すぐ倫理問題にしてしまう。 (p.182)
 この最後の会話は、まことにその通りだと思う。
 初冬に公共図書館の駐車場で掃き集めた落ち葉を、清掃係りの方が幾つもゴミ袋に入れて、役所のゴミ保管場所へ運んでいたから、「肥料に使いたいから、もらっていってもいいですか」 と環境課の人に訊ねたら、「決まりだから」 の1点張り。お役所頭とはかくも融通の利かない石頭である。石頭化すると石が流れて枯葉が沈むのである。落ち葉を有効利用したいという依頼より、コストをかけて償却する事が正しいと言うのである。はっきり言って馬さんと鹿さんの合体頭脳。
 殆どの日本人が、「法律がそうなっているから」 とか、「そう決められているから」 という理由で、その前に遡る頭のない公務員頭化しているのだろう。

 

 

【あとがき】
 養老さんが 「あとがき」 を書いているのだけれど、その最後の最後189ページの記述は最高である。書き出したいけど、長すぎるから我慢しよう。

 

<了>