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 家族の絆を調査している岩村暢子さん、不耕起農業を実践している岩澤信夫さん、植林を実践している牡蠣養殖家の畠山重篤さん、山林の伐採を研究している鋸谷茂さん、4方との対談本。2012年8月初版。

 

【家族より自分が大切】
岩村  私は広告会社でマーケティングの仕事をしていたのですが、1990年代初頭に「主婦」や「お母さん」が大きく変わったと気づいたのです。一昔前のように、自分のことはさておき家族に尽くすお母さんではなくなって、「自分が大切」とはっきり言うようになっていた。(p.18)
 どのような意識の変化であれ、必ずや一長一短だけれど、意識進化の正しい方向に「自立」があるのは確かだろう。
 1990年調査時点の親を30代とすれば、1960年代に生まれた親たちが、意識の変曲点にあると言っている。

 

 

【家の破壊】
 岩村  昔は、仕事もしないでブラブラしている人間が親戚にいても、みんなで助け合ってなんとか食わせていました。それが今では、親戚を頼れなくなったので、それぞれ保険に入ったり、行政の福祉サービスを受けたり、あるいは生活保護を受けるしかなくなっています。(p.24)
    《参照》   『オヤカタはデメリットだけであったのか』 八洲次良 東京図書出版会
              【 社会福祉 vs 家福祉 】

 親戚を頼れなくなったからといって、保険や行政に依存するだけなら、まだマシかもしれない。しかし、そうなる前段階で、親方意識とか家意識をもっている人々は、「与える側の義務」「受け取る側の権利」のような意識を残しているのだろうけれど、既に20年以上にわたって経済が停滞し疲弊している段階で、このような意識を維持していても、与える側で実施不可能な状態になってしまっている人々は少なくないだろう。今や、そのような関係性を前提とした意識をもち続けるのは時代錯誤であり無神経である。
 ところが、大家(おおや)としての義務を果たさないからと言って、情熱をもって恨み言を言い続ける新家(しんや)とか、年金収入しかない実家の預金を横領して尻をまくっている嫁に行ったバカ娘とか、今は凄まじい連中が少なくない。「個を大切にする」ためには、「自分以外の家族は、捕食対象でしかない」とでもいうような阿漕な行動を平気でとるのである。

 

 

【1930年代生まれの親たち】
岩村  先生は1930年代のお生まれですよね? ・・・中略・・・。1930年代の半ば以降に生まれた人々は戦中・戦後の食糧難時代に成長期を過ごしていて「昔ながらの家庭食」を食べずに育った、歴史的に特異な世代ですよね。だから、戦争が終わっても回帰すべき家庭食の原点を持たない人々だったと気づかされたんです。・・・中略・・・。
「何事も時代時代で変わるから」と言って、子供に自分のやり方や価値観も伝えようとしない。聞いても「こうすべきだ」とは言わず、「いろいろ考え方があっていいから、あなたのしたいようにしなさい」と言うんですよね。
養老  僕たちの世代が受けた最も大きな影響は、やはり「1945年8月15日」でしょうね。大人の世界が180度引っくり返るのを幼くして目の当たりにし、そのときの敗戦のショックをひきずっているんです。(p.35)
 この世代(1930年代)の親たちが、「個を大切にする」世代(1960年代)を生んだと言っている。つまり、
岩村  自分の個性や自分らしさを大切にするようにと、家庭でも学校でも言われて育ってきたんです。そして「自分らしさ」「自己」は周りとの関係抜きで見出せると思っているし、私らしく生きることが自己実現だと思って、悩んでいるんですから。(p.48)
     《参照》   『「かまやつ女」の時代』 三浦展 (牧野出版)
               【らしさ】
養老  僕が心配しているのは、今の若い人は案外頭が固いのではないかということです。僕は若い頃、周りの年配者の頭が固いものだから、自分も年をとれば頭が固くなるものだと信じていました。ところが、最近の若者を見ると、僕らよりも頭が固い。ルールにこだわるし、杓子定規だし、不自由な生き方をしているように僕の目には映ります。(p.48)
 チャンちゃんもそう思う。
 ルール順守一辺倒なのは公務員なら定番の石頭だけれど、若者全体が総じてこれなんだからホントたまんないですよ。
    《参照》   『ハーバード、マッキンゼーで知った一流にみせる仕事術』 富阪美織 (大和書房) 《前編》
              【マッキンゼーと官僚組織】

 そして、行動も意識も内向きじゃあ、江戸時代の島国根性意識に戻ってしまう。
 相当にヤバイですよこれ。
    《参照》   『AKB48の経済学』 田中秀臣 (朝日新聞社)
              【国内回帰】

 

 

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