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 適度に中身があって楽しい書籍である。スパーマーケットのベンチに2時間近く座ったまま、時に爆笑しながら読み終えてしまった。秋の終わりとはいえ、寒くないから、最近はへんな場所で本を読むことがある。
 著者の中に筒井康隆さん名前を見つけ、最も興味をもったのであるけれど期待外れ。河合さんと養老さんの話は相互補完的で興味深い。

 

 

【教会と劇場】
 西洋の古い街へ行きますと、街の真ん中にある立派な建物は二つしかないんです。一つが教会で、もう一つは劇場ですね。西洋の街へ行かれたことのある方は、ある程度の大きさの街であれば、必ず劇場と教会があることに気付くと思います。
 劇場とは、その中で起こることは全部真っ赤な嘘です、ということですね。誰も芝居を本当だと思って観ている人はないんです。 ・・・(中略)・・・ 。その嘘を保証するために、外観はできるだけちゃんとしなきゃいけないわけですね。ボロボロの小屋ではいかにもほんとうらしいことをやっていると、ほんとうに思えちゃう(笑)。(p.37)
 これを読むと、大伽藍を立てたがる新興宗教団体が内に含んでいる真っ赤な嘘を暴いてもいると思えてきてしまう。伝統的な日本の中心である伊勢神宮の本殿など掘立小屋程度の簡素なものである。なのに新興宗教団体ほどドデカイ伽藍を建てたがる。西洋の思想に汚染されてきた結果というべきか、まさに日本における教会と劇場の合体である。
 西洋の一神教の概念が、唯一の現実解があるという嘘を導出し、それが今日の私たちの思想に大きな影響を及ぼしている。八百万の神々が集う日本人には、唯一の現実的な解などというものはなかった。それが自然なのである。しかし新興宗教団体の会員は、教団の定めた思想(教学)を唯一のものであると墨守し、それを愛だと偽装して家族をバラバラにし財産を教団につぎ込ませる。最後に残るのは宗教団体の大伽藍だけである。これをブラックジョークと言わずして、一体何というのだろう。

 

 

【思想の枠組み】
 ホーキングや、現代の一番最先端の天文学は、宇宙の始まりはピッグバンと言うでしょう。日本人の学生にそういう講義をすると、ちょっと気の利いた学生は、必ず聞きますよ。「先生、ビッグバンの三秒前は、宇宙はどうだったんでしょう」(笑)。ホーキングの話を聞く西洋人がそれを訪ねないのは、聖書がおそらく創世記から書き出してあるからで、彼らの考えの枠組みはその中に入っているわけです。(p.50)
 西洋の思考の枠組みは ”概念の詐術” と言うべきか “底が浅い” というべきか。底が浅いから基礎工事は容易で、それなりに科学や宗教の大伽藍を建築(思想を普及)することも容易だった。

 

 

【反動としてのジョーク】
 アメリカ人というのは、ある意味で非常にまじめですね。ですから、テレビを観てますとみんなでアメリカジョークで笑ってますけど、それは真面目なほうを御存じないから、アメリカ人はよく笑うと思ってるんでしょう。それからイギリス人がすごく皮肉を言うのは、あれはイギリス人もものすごく真面目だからなんですよ。ご存じでない方は、直接イギリスで苦労されないとわからない。(p.111)
 欧米には、強固な階級制度があるから、民衆は笑いや皮肉がふんだんに込められた演劇などに集って憂さ晴らしをしていたのであろう。日本も士農工商の階級制度があった江戸時代には、ジョークや皮肉を込めた川柳などの文芸が盛んだった。

 

 

【ジョークと弁解】
 「スピーチをするときにアメリカ人はジョークで初めて、日本人は弁解で始める」。 ・・・(中略)・・・ 。アメリカ人と言うのはみんな個人、バラバラでしょう。パーティーの席でも、みんなバラバラなんですよ。一緒に話を聞いてもらおうと思ったら、笑うってのが一番いいんです。みんなでわあっと笑うと、一体感ができるでしょう。一体感を作っといて、しゃべる。
 日本人は、来てすぐみんな一体になってしまう。そうすると、ぼくも本来ならば聴衆の側にいるべきなのに、演壇に立たされるわけでしょう。これは絶対に弁解せにゃいかんわけですよ(笑)。(p.113-114)

 

 

【ヨーロッパでは人形劇が大変高い評価を受けているのはなぜか?】
 スウェーデン国立人形劇団のミカエル・メシュケさんの回答。
 「芝居っていうのは真っ赤な嘘だから、これはリアリティーではない。リアリティーは劇場のドアの外にある。ところが、人形劇は人形遣いというリアリティーが一緒に出てくるから、安心して子供の見せることが出来る。だから大事に扱われる」 (p.126)
 だったら、落語なんてそのものである。でも子供向けとなると落語は面白さをあまり表現できないだろう。どうしても視覚的に分かりやすい芸能にならざるをえない。

 

 

【音の刷り込み】
 三林さんは、著者名には入っていないけれど、シンポジウムに参加していた女性の噺家さん。
三林:今の子供が、短調の音が聞けなくなっているらしいんですよ。
養老:そうなんですか。
三林:それはなぜかというと、テレビから出てくる音が殆どの場合長調で、パッと刺激のある音ばかりですから、お母さんが 「ねんねんころりよ」 と歌ったら、みな嫌がるんですって。おなかの中からテレビの明るい音を聞いてるから。短調の音を聞くとね、むずかる子がいる。(p.145)
 なるほど、そういうことか、と今頃わかった。既に胎教の時点で、その子供の生涯にわたる文化の基本的方向性は定められてしまう。幼児教育としては当然の知見だけど、各国独自な文化に関わって非常に重要な点である。

 

 

【生きてるだけで丸儲け】
 子供は正直ですから、大人の影響をまともに受けると思います。子供が安心してアハアハと笑っていられる環境ってのが本物だとすれば、笑いに大事なのはやっぱり、安心感でしょうねえ。まあ、高尚な笑いには繋がらないとは思いますが、「生きてるだけで丸儲け」 って言いますでしょう。そういう気持ちでいればいつも楽しいはずです。(p.148)
 権力や制度に対する皮肉とかではなく、日本人に一番ふさわしい笑いは、この 「生きてるだけで丸儲け」 という感じの笑いなのだろう。人生の様々な場面で極端な事象に遭遇しても、「生きてるだけで丸儲け」という思いで笑うことができれば、多くの難局を乗り越えることができるだろう。

 

 

<了>