日本で言うならば「桃太郎」に相当するのが、ロシアの「イリヤ・ムウロメツ」なのだという。ロシアの民間伝承文学が筒井康隆さんの文章と、手塚治虫さんの挿絵で構成されている。
【イリヤ・ムウロメツの背景】
【イリヤ・ムウロメツの背景】
イリヤ・ムウロメツはいつごろの人か。この勇士が実在の特定の人物ではないことはあらためて言うまでもないが、おおよその時期を知る手がかりはある。イリヤのたてる手柄や生涯の事跡はある種の史実と結びついているからである。
イリヤの生涯はロシア民族の最初の時期、つまり11世紀から14世紀の間の史実と結びついている。確証があるわけではないが、ヴィリーナと呼ばれる叙事詩が成立したのも多分この時期であろうと一般に考えられている。 (p.114-115)
ロシアのフォークロア研究が始まったのは19世紀の後半で、この時期に、ルィブニコフとギリフェルジングのヴィリーナ集や、アファナーシエフの「ロシア民話集」や「ロシア伝説集」が刊行されたのだという。そして、この時期はツルゲーネフ、トルストイ、ドストエフスキーなどの巨匠が活躍したロシア文学の黄金時代でもあった。イリヤの生涯はロシア民族の最初の時期、つまり11世紀から14世紀の間の史実と結びついている。確証があるわけではないが、ヴィリーナと呼ばれる叙事詩が成立したのも多分この時期であろうと一般に考えられている。 (p.114-115)
【イリヤ・ムウロメツの誕生と旅立ち】
ムウロムという町に男の子が生まれた。その日は預言者イリア(=エリア)の日だった。しかしその子は手足の萎えた子だった。ムウロメツとは、ムウロムの人の意味である。
イリヤ・ムウロメツが30歳の時、3人の老人が家を訪れた。この時、不思議と手足の萎えは回復し、老人が与えた蜜のようなものを飲むと力も漲り、イリヤ・ムウロメツは勇士となった。
イリヤ・ムウロメツはギリシャ正教のために戦うべく、ウラジミール公のいる都キエフを目指して旅に出てゆく。(p.7-17)
手足のなえた状態で生まれたとこや、3人の老人の訪問は、蛭子を葦の船に乗せて川に流したという話や、キリスト誕生を告げた “東方の3博士” という聖書の中の話に擬せられているのだろう。イリヤ・ムウロメツが30歳の時、3人の老人が家を訪れた。この時、不思議と手足の萎えは回復し、老人が与えた蜜のようなものを飲むと力も漲り、イリヤ・ムウロメツは勇士となった。
イリヤ・ムウロメツはギリシャ正教のために戦うべく、ウラジミール公のいる都キエフを目指して旅に出てゆく。(p.7-17)
【漫画的な英雄譚】
旅立ち後のイリヤ・ムウロメツの活躍は、まさに英雄譚というに相応しい。そして、その記述は、かなり漫画的である。例えば、
旅立ち後のイリヤ・ムウロメツの活躍は、まさに英雄譚というに相応しい。そして、その記述は、かなり漫画的である。例えば、
勇士イリヤ・ムウロメツ、悪魔を縛った紐をひっつかみ、強力無双、振りまわした末に屋根よりも高く、雲ぎわの高みにまで投げ上げる。小石のごとくまっさかさま、土間に落ちてきて、ここに匪賊ソロウェイ、そのからだ中の骨がすべて粉微塵となった。 (p.51)
この記述は、まさに手塚漫画にピッタリである。手塚治虫さんは、このようなロシア伝承文学に接することで漫画家としてのイメージ力を養っていたのではないだろうかと思ったほどである。
【ハッピーエンドではない「イリヤ・ムウロメツ」】
日本の民間伝承文学(童謡)は、桃太郎に見られるように、たいてい平穏な終わり方をしている。しかし、イリヤ・ムウロメツは違う。
戦いのさなか、イリヤ・ムウロメツは神に許しを請いつつ、終には石となってロシアの大地にうずくまってしまう。興味深いことに、最後の戦いの相手は天軍と記述されていて、自らの思い上がりを罪と認めて神に許しを請うている。
イリヤ・ムウロメツの最後は老齢の勇者であるが、桃太郎は思い上がりとは縁のない少年のままである。
このような主人公の設定とエンディングの違いは、まさにその国の過去のあり方を反映したものであり、未来をも予言するものであるに違いないのである。
日本の民間伝承文学(童謡)は、桃太郎に見られるように、たいてい平穏な終わり方をしている。しかし、イリヤ・ムウロメツは違う。
戦いのさなか、イリヤ・ムウロメツは神に許しを請いつつ、終には石となってロシアの大地にうずくまってしまう。興味深いことに、最後の戦いの相手は天軍と記述されていて、自らの思い上がりを罪と認めて神に許しを請うている。
イリヤ・ムウロメツの最後は老齢の勇者であるが、桃太郎は思い上がりとは縁のない少年のままである。
このような主人公の設定とエンディングの違いは、まさにその国の過去のあり方を反映したものであり、未来をも予言するものであるに違いないのである。
<了>