イメージ 1

 人には誰でも、「頭がいい」 時と、さして 「頭がよくない」 時がある。

 

 

【すっきり感】
 あとがきに、以下のように書かれている。
 「頭がいいとはどういうことか」  ・・・(中略)・・・ 。 少なくとも私の場合、ごく最近 「文脈力」 という概念を思いついて、ようやく形がはっきりした。
 すっきり定義するのは、なかなか大変な作業だ。考えが整理されてみると、すっきりして気分がいい。力も湧いてくる。 「幽霊の正体見たり」 といった気分でもある。この本を読んでくださった方が、私の感じている 「すっきり感」 を共有してくださったならば、この本の存在意義もあろうというもの。(p.234)
 そう、著者の言う 「すっきり感」 を私も共有できた。
 多くの人々がこの本を読むべきだろう。(チャンちゃんの読書記録は “まとめ” ではないのだから。)
 著者の言う 「文脈力」 という言葉の周辺理解こそが大切である。

 

 

【意味をつかまえたときの幸福感】
 意味をつかまえたときのすっきり冴え渡った感覚が幸福感に繋がります。(p.16)
 知識の集積自体は、ただそれだけのものであって、それらの相関や連係の中に、あるいは会話の中に、つまり文脈の中にこそ “つかまえるべき意味” が伏在している。
 勉強ができることが必ずしも 「頭がいい」 ことだとは思いません。とはいうものの、意味をつかまえるトレーニングとして、勉強はひとつの有益な方法であることも事実です。(p.18)

 

 

【文脈力のポイント】
 4つのポイントが記述されている。
①  事柄の意味をつかまえ、文脈を押さえられること
②  相手の文脈や、場の文脈に乗れること
③  自分の文脈をきちんと伝えられること
④  文脈を逸れても、元に戻れること  (p.53)

 

 

【文脈を切断する 「っていうか」 】
 女子高生を中心に若い人たちの間で、「っていうか」 という言葉が頻繁に用いられています。
 「これからあなたの話を切りますよ、ぶった切っていいですか?」 という意味になってしまっているのです。(p.61)

 一人前の大人がやったら、間違いなく嫌われます。人の話をぶった切って、自分の都合でしか話さない人は、場の感知力がない人間として敬遠されます。(p.63)
 文脈力の4つのポイントは、読解力のみならずコミュニケーション能力としても、そのまま適応できるけれど、著者の言う 「文脈力」 は、高校生や大学生レベルの、ただその場がそれぞれに楽しければいいというようなコミュニケーション能力ではない。意味の連鎖をぶった切る会話力では 「文脈力」 にならないのである。
   《類似参照》   『日本語の現在』 陣内正敬  アルク

               【だから、・・・】

               【・・・じゃないですか】

 

 

【相手をやりこめるのは 「頭がいい」 ことではない】
 一般的に言えることですが、人をやり込めたほうがやり込められたほうよりも頭がいいという風潮がありますね。これは全く意味がないことです。 ・・・(中略)・・・ 。
 大事なのは、相手の言いたいこと、本当に言いたいことをしっかりつかまえる文脈力があるかどうか。揚げ足を取って枝葉末節を議論したりするというのは、ただ自己顕示欲が強いだけなのです。そういう認識が世の中全体に共有されていないように思います。(p.69)
 つまり、著者は 「論理力」のみの視点を排除している。大切なのは、ロゴスに根差した 「論理力」 ではなく、むしろエートスやパトスに根差した 「共感力」 といった方が相応しいのだろう。
 文脈力という言葉には人の感情世界を汲み取る、相手が持っている文脈と自分の文脈を絡めることができるという意識が基本にあります。関係の中で新しいものを生みだしていけるような力。そういう力を 「頭がいい」 と見なしたいのです。(p.74)
 著者は、別の著作の中で “論理の基底にあるものが感情である” というような意味のことを書いていた。
 この本の中にも書かれていた。
 感情のエッセンスがたっぷり込められている詩を読み、記憶にしっかり植えつけることで、こうしたものが生涯にわたって感情の源泉になるはずなのです。
 ・・・(中略)・・・ 。
 人間の諸活動というものは、論理的な行為にしても、行動にしても、感情という川の流れの中で生み出されていくので、太い流れというものがないと、やる気が枯渇してしまいます。(p.210)

 

 

【イメージ記憶のメリット】
 著者は、こどもたちに 『平家物語』 を、場面をイメージしつつ何度も音読して暗記させている。
 言葉がイメージにぴったりと貼り付いているから覚えられるのです。
 これは言葉に質感があるということです。(p.144)
 質感 = クオリア である。
   《参照》   『クオリア立国論』 茂木健一郎  ウェッジ  《前編》

 

 
【人に話す】
 声に出すことは記憶を促進させますが、もっといいのは人に話すことだと私は考えています。(p.145)
 夕食後お母さんが、「今日何を学んできたの?」 と問いかけ、こどもが 「今日は、え~と・・・」 という会話は有効なのである。

 

 

【ひとつのことを考えつづけた場合の飛躍】
 ひとつのことを考えつづけるということが、「頭がいい」 状態にとって重要な要因なのです。
 要するに、脳みそに体力があるということ。
 あることを考え続ける、工夫しつづける、その脳の粘着力というか、粘り強さがあると、「頭がいい」 状態をキープし、さらに上へと高めていくことができるわけです。(p.157)
   《参照》   『人を敵にまわすか味方にするか』  小山政彦  大和出版

              【3年間の集中があなたを天才にする】

 

 

【疲労の先にある飛躍】
 たとえば、音読を2時間、3時間とぶっ通しでやります。今の子どもたちはすぐに 「疲れた~」 と言いますが、休ませない。 ・・・(中略)・・・ 。
 このとき、体力的にはかなりの疲労に達しているんですが、頭のほうはものすごく活性化している。一段上にギアチェンジしたようなイメージです。高速回転モードに入ってる。だから、やっていることが完璧に頭に入る。(p.201-202)
 普段の自分ではない脳の状態にするのには、こういった方法の他にもいくつかあるのだろう。
 例えばビジネスの場で、「できないでは済まされない強烈な負荷がかかっている状態」 で、人は脳が高速回転しだすことがあるはずである。それを経験したことがある。脳に発電機が入ったというか、ターボが入った状態というべきか、頭の中でビューンという回転音が本当に聞こえているような冴えた状態で、直感的にミスの部分に気づけたことがある。やり尽くしていたはずなのに、どこかしら腑に落ちない懸念の思いがあったのだけれど、その見えざる懸念のポイントが、直感的に分かったのである。
 脳の回転力を飛躍的に高める方法の原則は、何らかの方法で “負荷をかける” ことなのだろう。
   《参照》   『「並の人生」では満足できない人の本』 ロベルタ・シェラー (三笠書房)
              【サーボ機能】

 

 

【読書の醍醐味】
 本を読むことは、その意味の集積を読むこと。文脈の連なりを読み解くこと。すべてを現実として体感できれば一番リアリティがありますが、人間そうはいかないから、優れた書き手による意味の集積から、各々が新たな意味を再発見していくわけです。それが読書の醍醐味です。(p.186)
 著者の 齋藤孝さんや、茂木健一郎さんなどは、古来から日本にあったものの中に 「新たな意味を再発見」 して、日本の若者達に教えてくれている人々である。

 

 

【 「型」の国、ニッポン】
 今、この国で 「頭がいい」 といわれている部分は、ほとんど再生能力にとどまっています。これもある程度必要ではありますが、クリエイティブにものを生みだす、もっといえば、誰に対しても爆発力を持つような 「型」 を編み出すこと、それが頭の良さであるという観点がない。目指していない。だからこの国が衰えているのです。(p.215)
 日本には様々な 「型」 があった。教育の中にも古来から沢山の 「型」 があった。それらの 「型」 は、数量化できない “質感=クオリア” を基として構成されていた。
 ところが、欧米化する過程で、数量化できないが故に、意味が見いだせないとされた 「型」 が廃棄され続け、「型」 の意味を説明する者とてなきままに、日本から様々な 「型」 が失われてきたのだろう。

 

 

【大きな文脈を自分の文脈に繋いで生きる】
 国家という文脈、東洋という文脈、時代という文脈、自分自身から離れた様々な文脈がある。
 どれだけ大きな文脈を自分の文脈と繋いで生きることができるかが、本当の頭のよさを決めます。(p.218)
 
<了>