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 人文系教養書としてはかなり多く読まれた本であることは知っていたけれど、タイトルが気に入らなかったから長いこと読む気になれなかった。読んだのは初版から6年目の今年の春頃。そして、やっぱり内容が気に入らず読書記録を書かずに放っておいたのだけれど、折り返してあったページを読み返しつつ、『日本中心論』に発展させるべく読書記録を書いてみた。2009年11月初版。

 

【いきなり結論】
 私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかにつての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に「決定版」を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです。
 日本文化と言うのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません(あら、いきなり結論を書いてしまいました)。すぐれた日本文化論は必ずこの回帰性に言及しています。(p.23)
 「日本とは何か」を問い詰めても、「ラッキョウの皮を剥くのと同じで、最後には何も残らない」と表現することもあるけれど、これは、「原点や祖型があるわけではない」ことの別表現だろう。
 ゆえに、「エンドレスの問いのかたちを繰り返すしかない」という結論なのだけれど、このような回答は、誰だって不満の「ブ~~~」を言いたくなるだろう。
 だったら、「なぜ、日本文化は回帰性に帰着するのか」、その理由を知りたいのである。

 

 

【アイデンティティの次数を一つ繰り上げるしかない】
 私たちは変化する。けれども、変化の仕方は変化しない。そういう定型に呪縛されている。どうして、そんな呪いを自分にかけたのか。理由はそれほど複雑なものではありません。それは外部から到来して、集団のありようの根本的変革を求める力に対して、集団としての自己同一性を保持するためにはそういう手だてしかなかったからです。もっぱら外来の師匠や方法の影響を一方的に受容することしかできない集団が、その集団の同一性を保持しようとしたら、アイデンティティの次数を一つ繰り上げるしかない。 (p.29)
 「変化する」という『不変の法則』の中で、自らを保とうとすれば、「変化の仕方は変化しない」という「回帰性」のスタンスを定めるしかない。それは「アイデンティティの次数を一つ繰り上げる」ということになる。
 「次数を一つ繰り上げる」を別の表現で言えば、「抽象度を上げる」と言うことになるだろう。
 それは、アイデンティティを語るのと同一の地平ではなく、一つ上の地平に立つことを意味しているのだから、日本人のアイデンティティは高次なのであって、必然的に抽象度は高いのである。だから日本人のアイデンティティを具体的に語るのは容易ではない。
 つまり、簡単にアイデンティティを語れるような諸国は、いわばその程度の単純な文化なのであって、それに比べて、日本は複雑で次元の高い文化なのだということになる。キャッ! 独尊的なタカビーな言い方に思えて不愉快に感じる外国の方がいるかもしれない。読解力がない人は、そう思うしかないだろう。それはそれで仕方がない。
 日本は何故、抽象度の高い、高次元な国になったのかは、下記リンクに紐付くリンクを末端まで全部辿れば何となく分かるかも。
    《参照》   『独走する日本』 日下公人 (PHP)

              【世界思想】 【理屈はたくさん】

 

 

【辺境人】
 ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以降「辺境人」と呼ぼうと思います。(p.44)
 私たちに世界標準の制定力がないのは、私たちが発信するメッセージに意味や有用性が不足しているからではありません。「保証人」を外部の上位者につい求めてしまうからです。外部に「正しさ」を包括的に保証する誰かがいるというのは「弟子」の発想であり、「辺境人」の発想です。そして、それはもう私たちの血肉となっている。どうすることもできない。私はそう思っています。千五百年前からそうなんですから。ですから、私の書いていることは「日本人の悪口」ではありません。この欠点をなんとかしろと言っているわけではありません。私が「他国との比較」をしているのは、「よそはこうだが、日本は違う。だから日本をよそに合わせて標準化しよう」という話をするためではありません。私は、こうなったらとことん辺境人で行こうではないかというご提案をしたいのです。(p.100)
 「日本人は辺境人ではない」とチャンちゃんは断言する。
 外部に「正しさ」を保証された「ノーベル賞」を貰ったからといって、「凄い! 立派!」と思っているのは、団塊の世代以上の方々くらいだろう。
 芸術においても、確定した世界標準などというものは、そもそもないのであり、先発優位のデファクトスタンダードが世界標準と看做されているというだけのことである。
    《参照》   『「知」のネットワーク』 大前研一 イースト・プレス

              【文化は本当に先発優位か?】

              【デファクト・スタンダード文化対策】
 今はもう、日本人が世界を評価すべき時代である。多くの、特に高齢の日本人の認識が現実に遅れをとっているというだけのことである。既にそのような時代になっているからこそ、その魁として「京都賞」が作られているのではないか。マンガやアニメの世界標準は、既に揺るぎなく日本である。
    《参照》   『あと3年で、世界は江戸になる!』  日下公人  ビジネス社

              【評価されるノーベル賞より、評価する京都賞】

 長らく欧米人がトップに君臨してきた芸術的スポーツにおいて、「陰陽師」を演ずる羽生結弦くんは、技術力および芸術性において、もはや断トツのフィギュアスケーターだろう。このような日本人を見て育ってゆくこれからの日本の若者たちが、外部に「正しさ」を保証されることを望むことなどないだろう。
 これらの事象は、実は、地球風水である『ガイアの法則』によって起こっていることである。世界の中心(脈動点)は、経度ゼロの英国から、東経135度の日本にシフトしているのである。
 多くの文献に通じた従来型の学者さんたちは、「千五百年前からそうだった」と言うだろう。しかし、遡って調べ得た文献はたかが千五百年前までである。地球史や人類史の起点が、僅か千五百年前であるわけはない。
 その頃から左脳優位の経度ゼロのロンドン文明が世界の中心となり、世界を駆動させてきたというだけのことである。その趨勢から出ることのできない左脳頭の学者さんたちの認識と知見では、だから『日本辺境論』などというタイトルの著作に収斂してしまうのである。
   《参照》   『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
             【文明の盛衰を定める『ガイアの法則』を知っていたシュメールの叡智】
              ~ 【経度0度と経度135度の文明的特徴】

 これからの日本は『辺境』などではない。
 日本はこれからますます『世界の中心』に返り咲いてゆく国である。

 

 

【新渡戸が語った武士道の精髄】
 新渡戸によれば、武士道が武士階級から平民たちに流下し、「全人民に対する道徳的標準」となったとき、それは「大和魂」と呼ばれます。
「『大和魂』は遂に島帝国の民族精神を表現するに至った。・・・中略・・・。本居宣長が
 敷島の大和心を人問わば
     朝日に匂ふ山桜花
 と詠じた時、彼は我が国民の無言の言をば表現したのである。」
 新渡戸は武士道の神髄を「山桜花」の審美的なたたずまいに託して筆を擱いてしまいます。それは結局「匂い」なのです。場を領する「空気」なのです。(p.130-131)

「かく美しくして散りやすく、風のままに吹き去られ、一道の香気を放ちつつ永久に消え去るこの花、この花が大和魂の型(タイプ)であるのか。日本の魂はかくも脆く消えやすきものであるか。」
 文章は修辞的な疑問文であり、「そうではない」という答えと「そうである」という答えの両方に対して開かれています。新渡戸はこう言いたいのです。「日本の魂はかくも脆く消えやすきものである」がゆえに、当然にも脆く、消えやすい(これは認知的事実です)。しかし、だからこそ決して消えてはならず、いつまでも人類史上例外的な光輝を放ち続けねばならない(これは遂行的希望です)。まさに「脆く消えやすいもの」であることを至上の美質とみなすような文化であるがゆえに、それは脆くあってはならず、消えてはならない。これが新渡戸稲造の採用したトリッキーな論法です。捨て身の論法といってよいでしょう。(p.132-133)
 “トリッキーな論法”と表現されているけれど、日本人はこれを“トリッキーな論法”とは思わないだろうし“捨て身の論法”とも思わないだろう。チャンちゃんは学生時代に読んでいた日本の文学小説の中で、このような表現を何度か読んだ記憶がある。
 なぜ日本人はこのような表現をするのかを考えれば、日本人は繊細な霊的次元(非物質次元)こそが先天の世界であり、この荒々しい物質次元は後天の世界であると、魂が見定めているからではないだろうか。
 後天の側で「脆く消えやすい」としても、先天の側にカンデラブロの地上絵のように「型」があることを魂が知っているので、それを担保として日本人はこのような表現をするのだろう。決してトリッキーではない。チャンちゃんは、そのような認識で 【文学を著す者たち】 を擁護している。
    《参照》   『心ゆさぶる平和へのメッセージ』 村上春樹 (ゴマブックス)

              【「壁と卵」 村上春樹のスピーチから】

               ~ 【文学を著す者たち】
 カンデラブロの地上絵に関しては下記。
    《参照》   『[UFO宇宙人アセンション] 真実への完全ガイド』 ペトル・ホボット×浅川嘉富 《3/4》

              【ナスカの地上絵の役割】