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 毎日ひたすらボ~~~ッとしているだけの人以外なら、このタイトルに必ずや惹かれることだろう。しかし、現実はそう単純ではないから、オールマイティの「段取り法」などというものがこの世の中に存在するわけなどない。だから「段取り力」というタイトルになっている。2003年11月初版。

 

 

【これが重要なポイント】
 何かに失敗したとき、自分には才能がないとか、能力がないと言ってしまう。しかし才能や育ち、環境のせいにしてしまうと改善のしようがない。改善のしようがないから、努力もしない。だが「段取りが悪かったからうまくいかないんだ」と考えることで、対処法が違ってくる。これが重要なポイントだ。(p.9)
 受験の経験者なら周知のことだけど、試験問題を最初から順番にやってゆく場合と、できそうなところから先に手をつける場合を比べたら、明らかに後者の方が高い得点をとれるだろう。これこそが、能力や才能の差ではなく、段取り力の差である。
 あらゆる物事において、共通する段取りなどというものはない。だから、この本に書かれているのは、いろんなケースの段取りの具体例である。そこに共通する何かが見出せたら、もう鬼に金棒だろう。

 

 

【上達のコツ】
 家庭的なタイプで料理は上手だが、仕事はうまくいかないという人は、料理の「段取り力」を持っているが、それを仕事につなげる回路がないということだ。自分の得意なものをモデルにして、苦手なものを克服していくのが、上達のコツだ。(p.13-14)
 上達のコツとあるけれど、「コツ」を漢字で書けば「骨」である。皮膚でも肉でもなく骨なのである。骨を掴んでいたら絶対に失わないはずである。
 定められた時間に定められた人数分の美味しい料理が作れるとしたら、相当高度な段取り力を発揮しているはずである。その当たり前に行っている料理の段取りを、自分で客観的に眺め、そこある全体像を抽象化してみれば、それこそが骨子であり「コツ」なのである。このようにして料理におけるコツを自覚しておけば、必ず他のことに使えるはずである。
 部署が変わっても、仕事が変わっても、技化された「段取り力」を応用して行っていけばいいから恐くない。移動して仕事が変わったからまたゼロから出発だと思うのと、経理で培った「段取り力」があるからそれを応用すればいい、と考えるのとでは大違いだ。(p.144)

 

 

【「段取り力」を鍛える秘訣】
 自分がいる場所でただ言われたことだけをやっているのではなく、全体で何が起こっているのかを、マニュアルを構築する側の立場に立って見通す。これがマニュアルを盗む力だ。段取り力を盗む力になる。マニュアルは作る側から見ると智恵の結晶である。アルバイトなのにマニュアル作りを見通せる人間は、窪山のように将来、経営者になっていくだろう。(p.48-49)
 段取り力を上げようとするなら、いかなる段取りであれ、その段取りが成立した過程に思いをはせなければならないだろう。つまり視点を上げて見ることが必要である。それは客観的に見ることから始まり、高次な抽象化を可能にする前提である。
 トイレ清掃でスタートしたときから、彼はつねに物事を俯瞰して見る視点を忘れなかった。それが「段取り力」を鍛える秘訣である。(p.52)
 例えば、料理を作っている主婦なら、料理を教える先生になった視点で見てみればいいのであり、平社員なら部課長、部課長な専務とういように、最低でもワンランクかツーランク上の立場で見て考えるようになれば、段取り力は自ずと向上するはずである。

 

 

【書くのが苦手という人のために】
 まず前提として、書く行為は読む行為と極めて親和性が高い事を認識すべきだ。だから書く段取りが苦手な人は、まず読む行為からスタートし、その延長線上に書く行為を置けばいい。
 どういうことかというと、まず本や資料を読んで、気になる部分や重要だと思う部分に3色ボールペンで線を引く。そして線を引いた部分を「かぎかっこ」で引用して、パソコンに打ち込む。同時になぜそこに線を引いたのか、つまりなぜ面白いと思ったのかも書き込んでおく。すると引用+コメントである種のまとまりができてくる。引用だけで、全体の1、2割は埋まるだろうから、精神的にも安心する。(p.117)
 これって、チャンちゃんのこの読書記録の手法そのものである。違うのは3色ボールペンは使わずに、その頁の隅を折っておくという点だけである。
 どの部分を抜き出して引用するかは、その人の読みの力や経験と直結するから頭を使わなければならないが、それでも引用なしでゼロから書くよりはるかに楽だし、それについてコメントするのも比較的楽なはずだ。(p.117)
 そう、引用した上でのコメントは困難じゃない。
 そもそも何かコメントを書いておかないと、引用した内容ですら自分自身の記憶から消えてしまいやすいというのが、経験上の真実である。
 チャンちゃんが読書記録をブログに書くようになって6年ほど経つけれど、現在の形式が最適であると思い落ち着いたのはブログを始めて2年目くらいの時だろうか。そこそこ量も溜り、リンクもしやすいからこうなったのである。

 

 

【偏愛マップ】
 さて会話が始まったら、最初は相手の好きなものについて語る。人は自分の好きなものに対して語るのは楽しい。私は自分の授業で、お互い自分の好きなものをぎっしり書いた「偏愛マップ」を作らせておいて、それを相手に見せながら話をする方法をとっている。
 するとお互いに好きなものについて聞きながら会話をするので、笑顔が絶えない。始めて会う人同士でも、数分でかなり楽しい会話ができる。これがないと「よろしくお願いします。えーと、何から話しましょうか」ということになるだろう。「偏愛マップ」は潤滑油というか、最初に会話の滑りをよくするシートのような存在だ。(p.124-125)
 初対面の人々が集う場面なら、どこであれこれが有効だろう。
 「好きなものマップ」などとは言わずに「偏愛マップ」としたところにも、著者の優れた段取り力が発揮されている。

 

 

【「坂道力」ではなく「段取り力」】
 階段と坂道の違いを想像してみればいい。ずっと一直線に伸びていく坂道より階段にしたほうが登りやすいし、登っているという実感がつかめる。段をつけて登りやすくすることが「段取り力」の基本的イメージである。(p147)
 どうしても長~~~い坂道状態のような過程になってしまうなら、せめて「山頂まで○○km」というような、表示をしてあげることが「段取り力」になるだろう。
 階段は人類が発明した最も合理的な発明の一つだ。ピラミッドは階段状になっているが、階段という様式はいまだに変わっていない。紀元前から現代社会まで、つねに階段が存在したことを見ても、驚異的な発明だったことが分かる。自然界は、だらっとした連続で成り立っている。それを非連続にして、あえて省いたり、強弱をつけたり、断絶させて、ゴールまでくっきりメリハリをつけていったところに人間の知恵と文化があるのだ。(p.147-148)
 連続面を不連続な階段状にするところに人間の知恵と文化があるという説明は、アナログからデジタルに移行してきた今日の情報化社会のありようを説明するのにぴったりである。
<以下は完全に横道>
 しかし、ピラミッドに関しては、最初から階段状に作成されていたのではない。当初は化粧石で覆われ、完全な三角平面形状に作成されていたはずである。エネルギー発生装置としてのピラミッドの機能は、三角形という幾何学形状が保たれていなければ発揮できないはずである。例えば3つの三角形を三角形状に並べ、その真ん中の隙間にクラスター化された大小の相似三角形を次々に組み込んで行けば、類稀なるエネルギー発生装置になるはずである。微積分形状の疑似三角形ではこのようなエネルギー装置はできない。

 

 

【メリハリ】
 この本で最終的に言いたい「段取り力」は、メリハリの効いたエネルギーの使い方である。あるところでは軽く手を抜いているが、ここぞという勝負どころでは最大のエネルギーを投入できるということである。だいたい「できる人」というのはほとんどがそうであって、メリハリの効かない平板な「できる人」というのはあまり見たことがない。(p.154) (p.185)
 メリハリをつけるエネルギーの使い方である「段取り力」を、ひと言で言うならば、「中庸」である。
   《参照》   アイデアのつくり方』 ジェームズ・W・ヤング 阪急コミュニケーションズ
            【 「パレートの法則」 と 「中庸」 】

 

 

<了>