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 女流名人3連覇を果たした女流棋士と言わずと知れた脳科学者の対談。矢内さんは茂木さんの著作を全て読み込んでいて、その上で対談しているのではないだろうかと思ってしまった。つまり所々迎合してるんじゃないかと思えるような会話を感じるのである。だからあんまり面白くない。2009年6月初版。

 

 

【男性と女性の脳の差】
矢内  脳科学的には男性と女性の脳の差というのはどこにもないのですか。
茂木  いえ、あります。「脳梁」 という、左右の脳半球をつなぐ部分が女性のほうが太いので、「左と右の脳の使い方のバランスは、女性のほうがいい」 というデータはあります。(p.24-25)
 脳梁については、以下の著作を参照のこと。
   《参照》   『しあわせ脳 練習帳』 黒川伊保子 (講談社)
            【いい女は直感力だ!】

 もう一つ、男性と女性の脳の差として語られているのが共感回路。

 

 

【共感回路】
茂木  それから 「共感回路」 というのがあって、相手の痛みを感じているときに、自分の脳も痛みを感じているかのような活動が生まれます。
 男性の場合、相手がルール破りをして 「こいつは悪いヤツだ」 と思うと、その共感回路を一時的にジャットオフできるのです。だから相手が痛みを感じていても、それに共感しないでいられる。
 でも、女性は、相手がルール破りをした悪人という場合でも、依然として共感しつづけることができる。フローレンス・ナイチンゲールのように、戦場で敵味方の区別なく兵士の手当てができるというのは、やはり女性ならではのところがあるのです。
 ただしこの違いはさっきも言ったように、あくまでも傾向、平均値であり、絶対的な差ではありません。(p.25)
 現在では女性の裁判官も少なくないけれど、その裁判官が平均的な女性としての 「共感回路」 を有しているなら、判決はいくらか軽くなるのではないかと期待しがちだけれど、おそらく過去の判例に照らして男性の裁判官とほとんど同じ様な判決を下すだけだろう。
 女性の社会進出が量的にある閾値を越えて、女性的共感回路が託し込まれた社会的コンセンサスができるまで、既存の男性社会のデメリットを完全に克服できるようにはならないだろう。

 

 

【直感】
矢内  ええ、過去の知識や研究からヒントを得て作りあげていくという道筋になっていると思います。
 直感的にひらめいた一手一手を選ぶとき、それは自分で意識しなくても、流れを受け継いでいる手なんです。でも、直観以外に魅力的に見える手や、迷いが生じる手というのは、どこかでその流れを断ち切って、違う方向に行ってしまう手のことが多い。(p.35)
 この、 “直感” に関する見解は、以下の著作に記述されている “ひらめき” と同じである。
   《参照》   『ひらめきの導火線 トヨタとノーベル賞』  茂木健一郎  PHP新書
              【「ひらめきは個人に宿る」 は 「フィクション」 である】

“ひらめき” とか “直感” という言葉を、人はそれぞれに使っている。矢内さんの場合は、
 直感やひらめきは、自分では意識的には思い出せない記憶なのではないかと思うのです。(p.80-81)
 けれど、チャンちゃん的には下記の著作にあるような 「価値の転換」 を惹起する程のものでなければ、それらに値しないように思えてしまう。
   《参照》   『ひらめきはどこから来るのか』 吉永良正 草思社
             【ひらめきの実体】

 それらは、自分の中にあった思い出せない記憶の発現ではなく、他から流入した意識によって惹起されるもの、と言ったほうが相応しいと思っている。

 

 

【記憶の編集力=創造性】
茂木  「記憶力のいい人は必ずしも創造的というわけではない」 という言い方がときどきされますが、「記憶力がいい」 ということが単純に 「何かを正確に覚えている」 ということを意味すると思っているから、記憶力と創造性は関係ないと思われてしまう。
 しかし、脳の記憶力というのは、実は 「記憶の編集力」 であり、「記憶の編集力=創造性」 というのが、脳の研究をしているわれわれが強く思うことです。(p.131)
   《参照》   『天才論』 茂木健一郎 (朝日新聞社)
             【創造性】

 通常の創造性は、この記述にあるとおりだろう。しかし天才と言われるような人々は、殆どがスピリッチュアルな脳力(○⇔×能力)を備えた人々だったのだから、彼らの創造性は、上記の記述の枠外にもあるのである。

 

 

【直感と感情】
茂木  今日お話を伺っていて感じたのは、棋士の感情の激しい浮き沈みがいかに大切かということ。それが直感やひらめにきかなり関与している、貢献しているような気がしました。
 冷静に指すのと、勝負に対する情熱や、ある種の喜怒哀楽を持って指すのとでは、経験の蓄積のされ方が変わってくる。そしてそれが、いざという勝負に働く直感を左右しているのではないかと思うんです。
 この視点は教育論としても非常に示唆に富んでいて、たとえば沈着冷静に勉強するよりもまさに喜怒哀楽とともに勉強に臨んだほうが、自分のもっと深いところに経験が積まれていくのではないでしょうか。
 直感やひらめきというのは間違いなく、感情の回路、たとえば扁桃体や線条体、前頭眼窩皮質などの働きが非常に強いので、そこへどれぐらい自分をコミットするか、どれだけかかわらせるかというのが、とても大事だと思うんです。
 要するに、目の前の将棋盤で起こっていることが、自分の人生のほんの一部だと思うのか、 ・・・(中略)・・・ 自分の存在自体がこの盤面にどれくらいかかっているか、ということですね。(p.70-71)
 米長邦男さんが名人位を獲得した時は、経済的に非常に厳しいときだったと記憶している。人生がかかっていたからこそ、脳力全開で名人位を奪取できたのかもしれない。「絶壁を背にして立つ」 とか文字通りの 「命がけ」 状態であるなら、「火事場の馬鹿力」 的に直感が機能し易いのだろう。
 上記の書き出しに続いて、以下のように書かれている。

 

 

【集中力】
 集中力というと、普通は冷静にその対象に注意を向けることと思いがちですが、そうではなく、自分自身をそこにすべて乗せることなのかもしれないですね。(p.71)
 人を呪い怨むことに、この様な集中力が発揮されれば、まさに生霊(いきりょう)である。
 即ち、六条御息所の世界。
 タイトルが 『女脳』 だから、こんなことを思いついてしまった・・・。蛇足だったかな。

 

 

【ここで何かを発見しよう!】
茂木  たとえば対談一つとっても今日、僕は矢内さんと久しぶりにお話ができるというので、「ここで何かを発見しよう!」 と自分に負荷をかけているんですよ。 ・・・(中略)・・・ 。
 どんな仕事でもそうですが、「これで歴史を変えてやるんだ!」 ぐらいの負荷を毎回かけておくと、自分自身が楽しめていいですよ。(p.129)
 “自分自身が楽しめていい” と感じられるのは、脳が活性化しているから。 ポヨヨ~~ンとした状態の脳であれば、世界は自分自身の脳に照らしてポヨヨ~~ンと映るのである。
「ここで何かを発見しよう!」 というのは、脳からレーザー光を発するような志向性の強い態度である。志向性が強ければ、対象物が何であれ、必ず反射を得られるのである。これって、「生き方原論」だろう。
   《参照》   『美人の仕事術』 中谷彰宏 (ぜんにち)
             【どんなことを通しても、勉強しよう】