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 本来ドロくさいものである仕事を、美しくやる人になれるための仕事術が記述されている。

 

【どんなことを通しても、勉強しよう】
 勉強になるものは何もないということはありえません。
 何をやっても勉強になるのです。
 行った先で勉強になったと言えるものを1つでも見つけることで、
 「行った」 ことに意味が生まれます。(p.21)
 仕事上のこととか、付き合いで行かねばならないことでも、こんな視点で臨めば勉強の機会になる。

 

 

【アドバイスのもらい方】
 教える側は、「今、この人には聞く余裕がない」 と判断したら、
 それ以上は言いません。
 聞ける余裕のない人にアドバイスしても、
 何の役にも立たないことを知っているからです。
 アドバイスして欲しいと思うなら、聞ける余裕を持つことです。
  ・・・(中略)・・・。
 美しさ、余裕のある人は、素直になれます。
 アドバイスされた時に、「なるほどね」 と言えるのです。
 アドバイスが違うことがわかっていても、
 それを踏まえて、「なるほど、たしかにそうだね」 と言いながら、
 自分の中で振り分けて行けばいいのです。(p.28)
 アドバイスをクレームに置き換えても同じようにできたら、まさに 『美人の仕事術』 なのだろう。

 

 

【礼儀正しいことの目的】
 礼儀正しくすることと、へりくだることは違います。
 礼儀正しさは、相手にへりくだらなくていいように、
 対等でいるために必要なことなのです。
 礼儀正しくしていると、対等でいられます。
 相手と対等でいるために、礼儀正しさを覚えるのです。
 仕事の現場でアイデアを出すときは、まったく対等です。
  ・・・(中略)・・・。
 対等でいるために、先輩に対して礼儀正しくするのです。
 美しく仕事のできる人は、礼儀正しくできるのです。(p.31)
 NHKの若者向けの仕事番組で、外資系(スウェーデン?)企業のイケヤという家具販売会社の様子を取材して放映していた。外国人の社長に対して、社員の誰もがニックネームで呼びかけていた。上下関係意識がアイデアの提言を阻むことになるから、という理由からだ。
 しかし元々、欧米では年齢の上下に係わらずニックネームで呼ぶ習わしがある。アメリカなどではそれはリラックスのためというのではなく、そうするのが正しいスタンスであるから、というふうな慣習からされていることである。
 日本と欧米では文化的な成りたちが違うのだから、アイデアの創出という目的地点が同じだとしても、外資系企業のやり方をそのまままねるのはどうだろうか。この著書の文章のように、対等でいるために礼儀正しくしておきさえすれば、あとは自在にアイデアを述べることが十分可能なはずである。
 礼儀作法のような形式が嫌だという人は、その美しさがもたらす効果を理解していない。礼儀という簡単な形式が保たれていさえすれば、そこから先は自由が許容されているのである。礼儀という自主規制を欠いた自由な社会は、発想の自在性どころか、放縦な態度を生み、規範の喪失化から、最終的に訴訟社会へと向かうのである。
 実際、NHKの番組の中で司会兼リポーターをしていた男性芸人は、社長の正面のソファーで、まさにふんぞり返るような姿勢で座ることまでしていたのである。これはアイデア創出の対等性という目的を越えた、完全な無礼である。社長をニックネームで呼べるからといって、職場内のソファーでしかも社長の前でふんぞり返るという信じ難い態度にまで及ぶその神経に、私は震撼した。身の毛がよだつほど愚かな日本人である。

 

 

【本番の後、練習しよう】
 本番後の練習のほうが、伸びていきます。
 道で外国人に道を聞かれて、うまく答えられなかった時も、
 「なんて言えばよかったのかな」 と、後で辞書を引きます。
 「なんだ。こんな簡単な言い方でよかったんだ。
 どうしてあの時思いつかなかったんだろう」
 と復習しているのです。
 本番の後は、必ず復習効果があります。
 準備よりも、復習効果のほうが大きいのです。(p.53)
 準備できていないからといって尻込みするより、やっちゃって少々失敗しながら復習したほうがいい。
 何にしても、完璧主義ではなかなか結果を残せない。

 

 

【オンリーワン】
 英語を生かせる仕事をやりたいというだけでは、
 オンリーワンになれません。
  ・・・(中略)・・・。
 英語と何かを掛け合わせます。
 英語ができるタクシーの運転手さんは、グッと少なくなります。
 しかも、京都の歴史に強いとなれば、
 オンリーワンの要素はますます強くなります。
 検索の 「アンド」 の軸を持つのです。 (p.85)
 言われてみれば、
 確かに 「and条件」 で検索すれば対象がグングン絞られる。
 しかし、人は普通 「or条件」 で考えてしまっている。
 オンリーワンは遠くなるばかり。

 

 

【元気費】
 エステの目的は、やせる・肌がきれいになる・脱毛する
 ということではありません。
 結果として元気になればいいのです。
  ・・・(中略)・・・ 。
 20歳を過ぎると、それをすることによって元気が出るということが大切になります。
 これが死ぬまで続くのです。(p.98-99)

 元気費にお金をかけよう。(p.100)
 昔の人々にとってのハレの日という非日常は、祭りなど年に数回程度しかなかったのだろうけれど、今日ではいつでも望めばハレの日にできる。ケに対するハレは、蓄財の大いなる蕩尽として人々に精神的充足すなわち元気をもたらしていたのだから、今日の人々は、自ら選択的に元気費を使って自らに元気をもたらすことが精神的充足には必要である。
 「宵越しの金は持たねえ」 江戸っ子が元気だったのは、元気費に使い果たす風習ないし気概があったからなのだろうか、と思ったりする。先のことを憂えて貯めることしか考えないようになると、確かにつまらないし元気がなくなる。どっか行こう。

 

<了>