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 本を読む気になれない時の中谷本。95年8月初版。

 

 

【静脈型サービス】
 コーヒーのお代わりを持っていくのを動脈型サービスとするなら、すんだコーヒーカップをさげることが、静脈型サービスです。
 これからの時代は、動脈型サービスにかわって、静脈型サービスが求められる時代になっていくでしょう。
 なんだそんなことかというほど簡単ではありません。静脈型サービスは、動脈型サービスに比べて、圧倒的に難しいのです。(p.17)
 利益にならない「片付け」を静脈型サービスと捉えている。このような美意識に基づいたエコでもあるサービスは、日本文化の基本としてあったもののはずである。
 メーカーも営業マンも、売りっ放しは最悪で、アフターケアのほうが圧倒的に大切であることはよく分かっているだろう。

 

 

【お喋りというサービス】
 アメリカ映画には必ずといっていいほど、精神分析医のところに行く場面が描かれます。
 カウンセリングというよりは、ただ訪れた患者がひたすら話しているのを聞いているだけなのです。
 精神分析医は、二言三言励ましただけで、次回の予約時間の相談に入ります。
 懺悔という文化のない日本社会では、なかなか精神分析医というビジネスは成立しないかもしれませんが、違った形ですでに入り込んできています。
 そもそも男性が会社の帰りにクラブや赤ちょうちんに行くのも、飲みにいくのではなく、喋るのを聞いてもらいに行くのです。
 これからのサービス業は、ものやサービスを売るだけではいけません。
 お喋りをすることもサービスの一部なのです。 (p.42)
 理容師さんって、髪に関する技能だけでは必ずしも繁盛しない。お喋り上手で聞き上手な理容師さんなら、大いに繁盛するという。
 まあ、どんな職業でもコミュニケーションは大切である。チームでプロジェクトを推進する場合、仕事に関すること以外に関しても、メンバー間で常にコミュニケーションをとっていれば、とんでもない不測の事態は未然に防げるだろう。オジサン世代は「飲みニケーション」でこれをやっていたけれど、若い世代はこんなのにつきあいたいとは思わない。職場で話に巻き込んで喋らせる技術が必要である。
 女性の場合、男性に比べて、コミュニケーション不足はストレスになりやすいから、特にお喋りタイムは重要らしい。
   《参照》   『「無邪気な脳」で仕事をする』 黒川伊保子・古森剛 (ファーストプレス) 《中編》

             【女性脳の活かしかた】

 

 

【フェスティンガーの認知不協和理論】
 住宅に限らず、すべての消費者は、商品を買ったあと、「いい買い物をした」という満足を求めています。
 これを「フェスティンガーの認知不協和理論」といいます。
「人間は、一度何かを信じると、その信じたことを強化するような情報を得たがる」ということなのです。
 広告を一番真剣に読むのは、これから買おうとしている人より、最近買ったばかりの人なのです。(p.66-67)
 口コミ集客は、この理論に裏づけられている。自分が買ったものを人にすすめ、すすめられた人が買ったとき、最終的に自分も満足に達するのだという。
 『イソップ童話』のスッパイ葡萄の話も、この理論に該当する。

 

 

【鏡をみる男女の違い】
 鏡と回転ベッドが、ラブホテルからファッションホテルという名前に替わると同時になくなってしまっていたのです。
 おかみの禁止の理由は、卑猥であるからというものらしいのですが、ラブホテルというものは本来卑猥な場所なのだから不思議です。(p.168)
 失笑してしまうけど、おかみ(公務員)って、ほんとアホ!
 しかしここで注目すべきことは、ラブホテルの鏡が、男性よりもむしろ女性に人気があったということです。
 女性は、そのことに没頭しながらも、没入している自分を鏡で確認してますます没入するのです。
 女性が、オープンテラスの店が好きなのも同じ理由です。
 男性は、景色だけを眺めます。
 ところが、女性は景色を眺めながら、同時に景色の中にいる自分を眺めているのです。(p.168)
 男性は目的達成にポイントが置かれるけれど、女性は予定(目的)に向かってゆく過程(ストーリー)を楽しむ傾向が強いらしい。女性が見つめる鏡には、自己愛的自己満足以外に、揺らめく空間に物語が流れているんだろう。頭の中に描かれた小さなエピソードに則して日々が流れて行けば、いちばん幸福なのかもしれない。
 ナルシス(男)はたまたま水面を鏡として自分の美しさに気づくけれど、シンデレラ(女)の物語では、未来を占う役割のように鏡が用いられている。男は美のために命を落とすことも辞さないけれど、女は酔いしれる物語のために鏡を用いるのである。この差らしい。

 

 

<了>