しばらく著者の本を読んでいなかったけれど、読書欲不振の時には、簡略に書かれている中谷彰宏さんの本がいいと思い出して読んでみた。184ページの本だけど1時間で読み終えてしまう。2007年2月初版。
【驚いた時に、目は輝く】
仔鹿のバンビのような瞳をした女性に出会ったら、男はみんなイチコロである。
村上龍の小説に、そんな女の子をヒロインにしたのがあった。
《参照》 『69 sixty nine 』 村上龍 集英社
「エッ、なんで」とびっくりしている時の目は、チャーミングです。
オードリー・ヘップバーンの目の魅力は、びっくりして目がパチパチパチッとまばたくところです。
その時に最もかわいい目になるのです。
バンビの目も、びっくりした時にまばたきます。
何かに出会った時に、好奇心の目、驚きの目、感動の目になるのです。(p.65)
バンビの目って、透き通っている。純粋で無垢だと世界は驚きに満ちていて感動的なはず。オードリー・ヘップバーンの目の魅力は、びっくりして目がパチパチパチッとまばたくところです。
その時に最もかわいい目になるのです。
バンビの目も、びっくりした時にまばたきます。
何かに出会った時に、好奇心の目、驚きの目、感動の目になるのです。(p.65)
仔鹿のバンビのような瞳をした女性に出会ったら、男はみんなイチコロである。
村上龍の小説に、そんな女の子をヒロインにしたのがあった。
《参照》 『69 sixty nine 』 村上龍 集英社
【「愛」はこれでいい】
【言葉の挨拶と目の挨拶】
茶道などのお稽古ごとをしている人にとっては基本的なことだけれど、日本文化には“残心”と表現される姿がある。上記の例は“残心”の真反対である。拝金ベースのアジアで経験するのなら、いかにもそれらしからまだいい。それを日本で経験するとなると心底興醒めである。
《参照》 日本文化講座 ⑥ 【 茶道 】
言葉と目の挨拶を同時にしようとすると、どうしても目の挨拶のほうが先に終了してしまいます。相手があなたを見たときには、目がそれているのです。
アジアで買い物をすると、それがよく起こりがちです。
感じの悪いショップは、店員が「どうもありがとうございました」と言って、横を向くのです。商品を渡して、頭は下げています。
でも、気持ちは次のお客様に行ってしまっているのです。(p.103)
「目は口ほどにものを言う」という諺があるけれど、実際は、目は口以上にものを言っている。だから、上記の例は、本当に心がゾッとするのである。アジアで買い物をすると、それがよく起こりがちです。
感じの悪いショップは、店員が「どうもありがとうございました」と言って、横を向くのです。商品を渡して、頭は下げています。
でも、気持ちは次のお客様に行ってしまっているのです。(p.103)
茶道などのお稽古ごとをしている人にとっては基本的なことだけれど、日本文化には“残心”と表現される姿がある。上記の例は“残心”の真反対である。拝金ベースのアジアで経験するのなら、いかにもそれらしからまだいい。それを日本で経験するとなると心底興醒めである。
《参照》 日本文化講座 ⑥ 【 茶道 】
○茶道用語 『 残心 』
【見る】
安直な対比だけど、「視る」は部分的で左脳的、「観る」は全体的で右脳的といえる。
真ん中に集中しないで全体を見ていると、あらゆることに臨機応変に対応できるのです。(p.108)
「見る」には、「視る」と「観る」があるから使い分けないといけない。安直な対比だけど、「視る」は部分的で左脳的、「観る」は全体的で右脳的といえる。
【体と目の向き】
注意しなきゃ。
乳首で、相手を見よう。(p.161)
体と目線の方向が違っていると、相手が受け取る印象がかなり違ってしまう。注意しなきゃ。
【目力を鍛えようと思ったら・・・】
ことろで、この個所を読んでいて、中学生の頃のことを思い出してしまった。
夜、居間で『氷点』のクライマックスである陽子ちゃんの綴った遺書の部分を読んでいる時だった。悲しくって悲しくって活字がぜんぜん読めないほどに瞳は涙に満ちて伏し目になっていたのに、その時たまたま通りかかった母親が「そんなに眠いんなら寝なさいよ」と言った(!)のである。
チャンちゃんは、思いっ切り悲しい時と眠い時、同じ目をしているのだろうか。結構ショックである。
目力を鍛えようと思ったら、本を読むことです。
本を読むと、活字を追う力ではなく、活字を映像に置き換える力がつきます。
今、目の前にない映像を見る力がつくのです。
自分では気づきませんが、本を読んでいる時の目線はとてもきれいです。
西洋絵画には、「手紙を読む女性」というモチーフがたくさんあります。
手紙を読んでいる時の女性は、いい表情、いい目線をしているのです。
決して力んだ目ではなく、リラックスしているのに、うっとりしています。
ラブレターでも悲しい手紙でも、手紙を読む人の目は美しいのです。
単に字を読んでいるだけではなく、手紙を書いてくれた人の映像を思い浮かべているからです。
本を読んでいる人は、本の世界に没頭しています。
自分が本を読んでいることすら忘れています。
本の世界に完全に入って映像を見ているので、美しい目になるのです。
ふだん本を読んでいない人は、その映像を見ることができません。
そういう人は目に涼やかさがなくなるのです。(p.169-170)
目に涼やかさを与える本って、限られているだろう。内容を問わないわけにはいかない。ラブストーリーみたいな本ならいいけど、いかに売上を伸ばすかをテーマにビジネス書を読んでいるだけならキツネみたいな目になっちゃうんじゃないだろうか。本を読むと、活字を追う力ではなく、活字を映像に置き換える力がつきます。
今、目の前にない映像を見る力がつくのです。
自分では気づきませんが、本を読んでいる時の目線はとてもきれいです。
西洋絵画には、「手紙を読む女性」というモチーフがたくさんあります。
手紙を読んでいる時の女性は、いい表情、いい目線をしているのです。
決して力んだ目ではなく、リラックスしているのに、うっとりしています。
ラブレターでも悲しい手紙でも、手紙を読む人の目は美しいのです。
単に字を読んでいるだけではなく、手紙を書いてくれた人の映像を思い浮かべているからです。
本を読んでいる人は、本の世界に没頭しています。
自分が本を読んでいることすら忘れています。
本の世界に完全に入って映像を見ているので、美しい目になるのです。
ふだん本を読んでいない人は、その映像を見ることができません。
そういう人は目に涼やかさがなくなるのです。(p.169-170)
ことろで、この個所を読んでいて、中学生の頃のことを思い出してしまった。
夜、居間で『氷点』のクライマックスである陽子ちゃんの綴った遺書の部分を読んでいる時だった。悲しくって悲しくって活字がぜんぜん読めないほどに瞳は涙に満ちて伏し目になっていたのに、その時たまたま通りかかった母親が「そんなに眠いんなら寝なさいよ」と言った(!)のである。
チャンちゃんは、思いっ切り悲しい時と眠い時、同じ目をしているのだろうか。結構ショックである。
<了>