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 なんでこんなタイトルにしたのか、出版社の意図がわかならい。実写とアニメの違いはあるけれど、いずれも世界的な名声を博している黒澤監督と宮崎監督の対談だから読んでみた。

 

 

【見る】
黒澤 撮影をしているときに監督というのは、いま演じている俳優さんをじっと見ているかというと、そうじゃないんです。わりとよそ見をしたりね。泣かせたいなと思う場面でスタッフの照明部さんが泣いてたりすると、「あ、いいんだな、これで」 と思ったり。わりとそういうふうによそ見しながら隅々まで感じているのね。変だとスッとわかります。それがほんとに 「見る」 ということだと僕は思う。ジーッと見てるのは見ることにはならないね。自然じゃないですから。(p.34)
 凝視や注視は視点が狭いゆえに “視る” であり、広い視点の見方は “観る” ということだろう。 日本人と日本文化の見方は、基本的に “観る” のはずである。
 そもそも映画の“観客”は“観る客”のだから、製作する監督が“視”て映画を作っていたら、優れた作品などできるわけがないということか。
   《参照》  『目力の鍛え方』 中谷彰宏 (ソーテック社)

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【映画とスタッフの顔つき】
黒澤 現場が楽しんで仕事していると、映画の顔つきがいいんです。だからスタッフに、「映画ってのは不機嫌な状態で撮ってたら、いやな顔になる、楽しくやろうよ」 といって、ゲラゲラ笑ったりなんかしてやってる。
 これがやっぱり必要ですね。 (p.37)
 なるほど確かに、黒澤映画には笑顔のシーンが比較的多いだろう。
 では、アニメーションを製作しているスタッフはどうかというと、
宮崎 僕も苦虫をかみつぶして、肩凝りと戦いながらやってます。よくないですね、アニメーションって。・・・(中略)・・・ただ、笑顔が多く出てくる映画を作ると、描きながらみんなの顔が笑ってるんですよ。自分で表情を作りますから。(p.37)
 通常の映画は人が中心だから、人が輝く場作りとしてスタッフも笑顔が基本。でもアニメーション映画はキャラクターが中心だから、それを描くスタッフはどうしたってキャラクターの感情に支配されざるをえない。宮崎監督は、いかのようにも言っている。
宮崎 変な話なんですけど、僕らは漫画で世界を作っていますね。映画が出来上がってしまって、映画から離れると、自分の頭の中にあるキャラクターは、もうマンガじゃなくなっちゃうんです。一種、生身の人間になるんですね。(p.99)
 イメージ力の強い人ってたいていこうだろう。 
 「トトロの世界こそが実在で、現実なんてヘン」 と思っている子供たちを笑う大人は、未来向きの才能が欠乏しているのである。

 

 

【 『平家物語』を撮るならキルギス共和国で・・】
宮崎 そういえば 『平家物語』 を一度映画にしてみたかったと、どこかでおっしゃってましたが・・・。
 ・・・(中略)・・・
黒澤 ・・・(中略)・・・ 第一、平家の公達の顔がないね。今の人ではまずやれない。・・・(中略)・・・鎌倉武士の顔も揃わない。
宮崎 どっかモンゴルのほうから俳優をつれてきて・・・。
黒澤 : ロシアのキルギス共和国へ行くと、完全にみんな日本人の顔してるんですよ。で、立派でね。馬の扱いはすごくうまいし、馬も揃ってる。だからあそこへ行けば撮れるなと思うんですけどね。(p.21)
 大相撲を見ることなんて最近は殆どない。だからたまに見ても日本人なのかモンゴル人なのかわからない力士が多い。大相撲の力士を対象に、国籍を伏せて鎌倉武士の役を選出したら、やはりモンゴル人力士が選ばれてしまうのかもしれない。なんたって、近年の番付上位は外国人力士が殆どである。番付なりに気力と迫力に満ちた顔をしているはずなのだから。

 

 

【日本人のたたずまい】
 現代の日本人から失われてしまったのは、「顔」 だけではない。「たたずまい」 でさえ失われている。
宮崎 町を撮ったときに、そこにいる人のたたずまいが、ある時代までは 「日本の町」 というたたずまいを持っていたと思うんです。・・・(中略)・・・しかしなくなっちゃったでしょう。今の人はハンバーガー屋の前に立っている分にはちょうどぴったりなんだけど、ほかのところに出したら、なんだか情けないだけでね。ヨーロッパへ持ってったらもっと情けない。さっきの話じゃないですけど、時代劇にはとても出せない。どうしたらいいんだろうと思いますね。(p.61)
 江戸時代までの日本人たちが持っていた身体意識がなくなってしまったから 「日本人のたたずまい」 が崩れてしまったのである。その傾向は、戦後、特に加速したらしい。
      《参照》  『意識のかたち』  高岡英夫  講談社

               【現代の日本人は、江戸時代の日本人より退化している】

               【日本語に隠された秘密】
 洋服をやめて和服にし、洋室文化ら和室文化へと戻し、日本語表現を尊ぶ方向で国語力が高まれば、おのずと身体意識は徐々に復元されるはずである。けれど・・・・

 

 

【『七人の侍』の乱闘シーン】
 土砂降りの雨の中の乱闘シーンが印象的だけれど、地面がたいそうぬかるんでいて、それゆえにこそ迫力が増している。これは計画的にしていたわけではないという。
 撮影当時、会社は労働争議中で、この映画は身分保障もなく収入も少ない臨時雇いが主力となってつくられていたのだという。そんな状態だったから、撮影に手間取り最後の合戦場面だけ残っている段階で、会社から要求があった。
「これまでのところを編集して見せてくれ」 と。 「でも肝心なところが撮れてないですよ」「いいから見せてほしい」「でも2月ですから、もし雪が降ったりするとまた延びて大変なことになりますけど、それでもいいですか」 といったら、「とにかくみせてくれ」。(p.112-117)
 それで、一週間かかって編集して見せたら、「思う存分撮ってくれ」 となったのだけれど、案の定、たっぷり雪が降った。それでもって雪を溶かすために1週間かけて消防車で水をかけたので、あの泥沼状態ができていたのだという。
 おじちゃんたちも、タップリ泥んこ遊びができて楽しかったんだろう。
 などと、お気楽なことを書いたら、たいそう失礼になるかも・・・。

 

 

【 『七人の侍』 のしごと 】
 この本の最後に、 『七人の侍』 の撮影に携わっていた、当時の助監督のひとりである廣澤榮さんの記述が掲載されている。
 30ページほどにわたるこの記述を読んだら、 『七人の侍』 を全く知らない人でも、きっと観てみたいと思うだろう。それどころか、その撮影スタッフの一人としてその現場に居たかったと思ってしまうことだろう。
 その最終カット。久蔵、菊千代が討死し、野武士はことごとく斃れふす。・・・(中略)・・・そのとき木村功は声を震わせ激しい声でせぐりあげていた。その顔は涙と鼻水と泥でぐしゃぐしゃの顔だった。そして 「カット」 の声を聞いても、そのままいつまでも泣きじゃくっていた。 ―― それはもう演技ではなかった。なせなら、それを見守る我らスタッフもその場に崩折れて泣き出したい思いだったから。 (p.204)

 

 

【時代を象徴する両監督の対談】
 対談を通じて、宮崎監督は黒澤監督に敬意をもちつつ、現役の監督であるいじょうライバルであるという感じが、はっきり伝わってくる。
 下記は、会談を終えた後の編集者との対談。
◆ ―― これは他の機会に黒澤監督からお聞きしたことなんですが、宮崎監督に 「実写を撮ってほしい」 というようなこともおっしゃってましたが・・・。
宮崎 それは、外交辞令なのか、それとも本音なのか分かりませんが、もし本当にそうおっしゃったとしたら、僕は失礼だと思います。それは、僕が黒澤監督にアニメーションをやってほしいというのと同じぐらい、現実性はないですよ。アニメーションと実写は共通するところを沢山もっているだけで、違うジャンルなんです。また、もし、アニメーションに比べたら実写のほうが上だと思ってそうおっしゃったなら、異議申し立てをするつもりです。(p.168)
 まったくまったく。
 イメージ優先のアニメ映画は、現実をベースとする実写映画とは次元が違う。
 時代は、体主霊従から霊主体従へと移行しつつ、その遷移傾向を深めている。霊とはイメージの世界そのものであり、体とは現実の世界そのものと言い換えることもできる。
 『七人の侍』 が製作されたのは1954年だという。世界的に評価されている黒澤作品の殆どは、1960年代前半までに出来上がっているだろう。1962年以降、霊と体の比重は霊の側に移ったのだから、もう黒澤映画を超える実写映画の優れた作品は生まれないだろう。
      《参照》  『神霊界』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》

                 【物質文明と精神文明の逆転】

 すでに時代の趨勢は、宮崎アニメや 『アバター』 のようなCGアニメ化にほぼ移行してしまっているのである。

 

<了>