《中編》 より
 

 

【 「事上練磨」 の陽明学】
 役人は役人という仕事の上において人欲をなくし、教育者は教育者という仕事の上において、本来の良知を出す修行をしなければならないのだ。このように、日々の生活や仕事の中で人欲をなくし聖人になる修行をしなければならないと、王陽明は説いたのである。そして彼は、こうした日常生活の中での修行を 「事上練磨」 と呼び、これこそが最も大切であると主張したのである。
ここが、老子の思想と根本的に異なるところである。 (p.186-187)
 陽明学といえば、幕末の志士たちが、理想を実現せんとして即行動へと結びつけた 「知行合一」 という言葉が浮かんでくる。陽明学は、明治維新を強力に推進させた思想であることに違いはないけれど・・、
 そうした事情があるためわが国では、陽明学というと、とかく革命思想のように考えられている面もあるが、そんな浅薄なものではなく、もっと深遠な内容を説いているのである。(p.188)
 王陽明が語った 「山中の俗を征するのは易く、心中の賊を征するのは難し」 という “事上練磨” は、小乗仏教的ではなく大乗仏教的である。またより包括的に言うならば仏教的ではなく神道的である。
 日本神霊界のエッセンスに則していたからこそ、大乗仏教は日本の歴史に根付き、陽明学は危急の時代に用いられたのだろう。欲望に歯止めなき現代社会で、“事上練磨” ができている人は立派である。
 “事上練磨” は、視点を変えれば “動中の静” という用語に置き換えることもできるだろう。
   《参照》   『こんな恋愛論もある』 深見東州  たちばな出版
              【没入、忘我で顕現する動中の静】

 

 

【至誠の道 : 日本人の魂】
  『太平記』 の主要な人物である楠正成公に言及した後、以下のように書かれている。
 七生報国 ―― これが、日本の惟神(かんながら)の道の本旨である。涅槃寂静を知り、罪業深い妄執であると十分知っていて、あえて勇を起こし、無私をも超えた苦患(くげん)への大挑戦があったのである。
 ここに大和魂の発露を感じることができるのである。決して、妄執の右翼思想家の一生涯などではない、 
「生まれ変わって、また苦しまなければならないのか。できることなら、生まれ変わりたくないな」
 などというのとは次元が違う。自分の思い、自分の願いなどを乗り越えて生きたい、人々のために生きたいと願う。これが至誠の道であり、日本人の魂である。
 なぜこのようなことをいうのかというと、 ・・・(中略)・・・ (p.207)
 なぜこのようなことをいうのかというと、生前に自分のカルマを刈り取っていた釈迦やイエスやマホメットといった聖人たちが、この地上がよくなることを願い、神使として働くことを選び、満たされた神霊界からあえて地上に生まれ変わることを選んでいるからだと書かれている。
    《参照》   『地球維新 天声会議 宇宙の黙示録』 監修・中今悠天 (明窓出版) 《後編》
              【小泉大志命先生が深見先生に言ったこと】

 

 

【明治維新は月神霊界と太陽神界の分岐点】
 月神霊界が中心になるとは、どのような意味なのであろうか。
 月とは、ツキかためるの月であり、肉月の月であって、一般には物質や仏教を意味する。(p.216)
 そうして、月の時代は終わりを告げ、いよいよ太陽神界の時代を迎えるというときが、明治維新前後だったのである。お釈迦様が予言した、「弥勒の世」 の幕開けである。(p.217)
 アセンション・オタクの皆さんは、これからいよいよ弥勒の世が始まると期待しているのだろうけれど、明治維新の時点から既に始まっていた。
 幕末から明治にかけての時代が、月神霊界中心から、太陽神界中心へと移りつつあった時代であったことを象徴的に表している事象は、国体の面にも見られる。
 幕府の影に隠れていた天皇が前面に出てきた明治天皇の即位、国旗・日の丸の制定、廃仏毀釈などである。
「明治」 という年号の漢字自体、「日と月で治める」 という意味合いになっているけれど、「明るく治める」 太陽の時代とも解釈できる。
 また、大本教をはじめとする神道系教団がたくさん出現したのが明治時代だった。

 

 

【物質文明と精神文明の逆転】
 さて、明治天皇が即位されたのと時を合わせて、太陽が東の地平線上にその一部を現し、それ以降、加速度的に明るさが増していくわけだが、太陽がその全体を現しきったときはいつかというと、昭和37年である。・・・(中略)・・・。今日まで誰も明かさなかった神霊世界の秘密なのである。
 こればっかりは信じていただくしかないのだが、とにかく、昭和37年を境に、月と太陽の関係は逆転したのである。(p.223)
 昭和37年は、1962年。東京オリンピック以前。浩宮様はまだ2歳。
 ちょっとピンとこないけれど・・・・。
 このあたりのことをとらえて 「火の洗礼期に入った」 とか、「霊障が吹き出す時代が来た」 とかいって、盛んに霊障と精神文明が来ることを予言していたのが、真光文明教団の岡田光玉氏であった。そして、これまでのつなぎと別次元からの予言を行っていたのが、岡本天明氏による 「日月の神示」 である。
 そして、いよいよ我が師、橘カオル先生に引き継がれて、全ての神霊界の仕組みと展望が可能になったのである。 ・・・(中略)・・・ 。
 すでに述べたように、月神霊界は物質を司る世界である。これに対して太陽神界は精神を司る世界である。その月と太陽の位置関係が逆転したということは、昭和37年を境に、霊主体従の時代に入ったということなのである。(p.223-224)
 霊主体従の時代の到来を語っていた 「日月神示」 については、下記参照。
      《参照》  『大除霊』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》
                【「日月神示」の純度】

 童謡 『鯉のぼり』 の歌詞にもなっている橘カオル先生は、愛子さまが生まれる数年前にお名前を植松愛子先生に変えられていたけれど、皇室の現実界を神霊界から先んじて牽引しているのだろう。
 かつて皇室にあった 「十種の神宝」 は、戦後、数人の民間人によって保持されている。もしも宮内庁が保持していたら、GHQに接収されて、今頃日本は完膚なきまでに沈没させられていたことだろう。

 

 

【終末予言の問題】
 陣痛なくして出産はないように、人類の歴史や時代に、新しいものの誕生を迎えるときは、必ずや陣痛の時期も必要となる。これが主神の大愛であり、自然の道なのである。
 この見方のポイントがずれているのが、今日の終末思想問題であるといえよう。 ・・・(中略)・・・ 。
 予言の特殊空間より、未来の苦しみの時期をみて、騒ぎ立てるのは主神の真の御心ではない。只今の己の御魂を磨き、只今の家と社会をみつめ、より改善し、さらに改善し、前向きに努力を惜しまぬ赤誠こそ、主神が望まれるのである。
 私の立場は、これしかない。人の恐怖をそそる予言は、たとえ克明に知っていても、一切口外はしない。道を8割、神通力を2割説いて、本当の救済と建設と育成を図るのみである。(p.230-231)
 著者は、神学びをしている会員に対して、近年、日本に迫っている危機を語っていたけれど、何も語らないと、会員さんたちの国を思う愛念が育たないからということなのだろう。近年の日本は、本当に際どいところを渡ってきたのである。まだ終わっていない。 数年前、 「日本に死相あり」 という神霊界のメッセージを受け取っておられた方々も何人かいたと聞いている。
 しかし、我々凡人は、暗く重たい思いで沈鬱な顔して生きていたら、日本を守り助けるどころか足を引っ張ることになってしまう。だから、現状がどうであろうと、「日本の先は途方もなく明るいという未来の真実」 を疑うことなく、明るく元気に生きてゆくべきなのである。

 

 

<了>
 
 

深見東州・著の読書記録