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 昨日、『ひとめぼれの法則』 という運命に関する表層的な内容の本を読んだので、やや変わったタイトルのこの本を読んでみた。 

 

 

【いい結婚を摑む3条件】
その① 好みで選ばぬこと:好みとは・・(中略)・・はっきり言って、男性の胸に抱かれたときの感覚なのだ。 (p.20-21)
その② ひとつの仕事を地道に、長く続けている男性を選ぶ。 (p.22)
その③ 相手の家族の結婚運を見る。 (p.25)
 その①は、好み=因縁の選択、であることを示している。
 女性は性的な好み(先天)を超えれば後天の結びができる (p.89) と書かれている。
 その因縁を超えるポイントが、下記の “素直” である。

 

 

【素直な人には良縁がどんどん舞い込む】
 小さい頃から、お父さん、お母さんに厳しく育てられてきた人は女性でも男性でも、非常に素直だ。いつも厳しく言う人でも、一度注意すると「はい」と素直に反省するので、あんまり言うと可哀想だと思って、一回注意したらそれ以上言わない。だから、素直な人はあんまり叱られないことになる。これは叱られ上手でもある。
 ・・・(中略)・・・。
 生まれ育った環境の中で、少なくともわがままを言わないで素直に「はい」と言う人というのは、女の子として非常に運がいい。だから、男の子もそうだが、親にしっかりしつけてもらえるというのはすごく運がいいことなのだ。 (p.62-63)
 親にしっかりしつけてもらえなかったからといって、本人が今更どうこう言っても始まらない。今現在の本人が素直になろうとしない限り、結婚運を含めてあらゆる運は良くならないということ。

 

 

【悪い霊を寄せつけない体質改善】
 筋肉を鍛えて、己に対して勝っていくんだというふうな日々を送ると、その意思の力が剣になるから、あまり霊がやってこなくなる。また、来ても気にならなくなる。
 自分に勝ってゆく強い意志力を持つことが一番大切だ。そうすれば寄せつけない。それから、筋肉を鍛えてゆく運動力が、物事を気にしないという大らかな霊界を広くするので、さらに霊に憑かれたりしなくなる。 (p.111-112)
 著者のように霊界に対する感度を自在にコントロールできるような達人で無い限り、普通の人ならば霊に振りまわされかねないので、それならばいっそのこと、肉体と意志力を鍛えて霊的な世界に関与しない方が良いらしい。
 意思力を強くしようと思うならば、甘いものを控えてやや塩辛いものを多めに摂るという方法もある。拷問によって自白を強いられた囚人は、自分のオシッコを飲むことで塩分を取り込み、決して自白しないという不屈の意志力を維持したそうである。

 

 

【没入、忘我で顕現する動中の静】
 「忙中閑あり」 という言葉があるが、動中の静はそれに少し似ている。
 この動とは何なのか。動の中に不動のお城を作ろうと思ったら、他のことを一切忘れて、とにかく夢中で情熱を持って、何事かに打ち込むことだ。
 例えば、押し花パウチ作りに命をかける。祝詞を何万回もあげる。一心不乱に祈るか、一心不乱に絵を描くか、一心不乱に書を書くか、一心不乱にパチンコで777をねらうか。何でもいいが、ともかく打ち込む。白隠さんは言っている。
 「とろとろとろとろ眠るような禅をするぐらいなら、ねじり鉢巻をして朝までバクチをやれ。よほどそのほうが禅の道にかなっている」と。
 一つの物事に没入、徹底して、我を忘れた状態と言うのは、動中の静の中で目に見えざる自分の台(うてな)が開いているときなのだ。ああだろうか、こうだろうかなんて念が頭にあるうちはまだだめだ。とにかく目の前のことに意識を向けて、明日のことも昨日のことも考えない。自分の顔の悪いことも、失恋のことも全部忘れてグワーッと集中しているとき、それが台が輝いているとき、御魂が発動しているときなのだ。
 いかなるときにもそれができるような人間が、動中の静をきわめた人間であるといえる。会社が潰れようと、大丈夫。また再建したらいいんだと動じない。失恋しても、また次を見つければいい。こんな顔なら、あっ、手術したらいいんだと結論が早い。両親が亡くなったら供養すればいいんだ、ということだ。
 もちろん、悲しくて一時は泣くかもしれない。しかし、一時泣いたらもういい。いかなる人生のドラマがあったとしても、すぐもとへパッと返って、目の前のことに没入できる。これは、動中の静を体得している人ならできるのだ。
 こうなっていない人は、動中の動。要するに状況にふり回されっぱなしだ。   (p.118-119)
 私が十数年前、著者のいずれかの本の中で読んで、最も印象的だったポイントが、この本の中にも書かれていたので書き出しておいた。
 仏教的な “苦” とみる人生観しか知らなかった人にとっては、やや衝撃的な記述内容だったのではないだろうか。しかし、これが、神国・日本、本来の人生観のはずである。
 御魂が発動していないどころか、“怠り” は、神々からは最低と評価される状態なのだそうである。長らく御魂が発動しないまま、怠り続けていれば、気も枯れてしまいかねない。“気枯れ=穢れ” は神道では最も忌むべき状態とされている。
 著者の著書には、難解な古典の内容が、とても分りやすく平明に書かれている。「難解なことを分りやすく書ける」、これは達人技である。ついでに、著者は様々な分野で八面六臂の活躍をしている人のようであるが、その中に実践・神道家としての一面がある。なので、どの著書であれ楽しく読みながら “日本” を学べてしまう、というオマケが付く。

 

 

   《参照》  深見東州・著の読書記録

 
<了>