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 このお二人の対談は、普通の人々のそれとは違って特異な角度で語り合っているから面白い。 『人生の錬金術』 ほどではないけれど、それぞれの得意技の中身を開示しているので、この対談もなかなか興味深い。

 

 

【背伸び:それは立派な向上心】
 勉強とは、背伸びをすることです。
 小学校6年生で中学3年の本を読もうとすることが、勉強なのです。
 ・・・中略・・・。
 たかだか3年ぐらいの差で大したことはないけれども、それは立派な向上心なのです。(p.76)
 言えてる。一般的に偏差値の高い大学に入る学生は、大人びたところがある。背伸びをして覗いて知っている世界が多い。背伸びにつられて興味は広がり、知的素材の豊富さがさらなる向上心を招き入れ、ついでに偏差値も上がってしまうのだろう。

 

 

【思い込み】
 0と1は、アルファベットの O と I とよく間違えます。
 デジタルコードで明らかに違う組み合わせでも、目で見ると変わらないのです。0と書いたつもりでも、パンチャーが間違って打てば、Oになります。
 厄介なのは、一度こうと思い込んでしまうと、それが間違っているとは思わなくなることです。どうしてコンピュータが0を読んでくれないのだろうかと考えて、考え抜いて、会社をやめた人もいるくらいです。(p.127)
 このような思い込みによる時間の空費は、IT技術者なら誰でも経験していることだろう。一度思い込みによる失策を経験すれば、自ら戻ってチェックし直す習慣が身につく。しかし、これによって性格上の頑固さが直るということではない。
 ところで、考え抜いて会社をやめた人というのは謙虚過ぎなのだろうか? 
 極度に思い込みの激しい人はたいてい短慮の性があり、PCに向かって当たり散らすのではないだろうか。

 

 

【知のスケッチ】
 間違った道に行っても、それがその人の個性だったり、武器になります。
 クロッキー、スケッチも、線1本でなく、何本か引いてあるから味があります。
 最後に1本になるのです。
 マイナスの線も、たくさんたまれば、立派な1本になります。
 プロの画家は、スケッチの線を力を入れて濃く描きます。
 素人は、スケッチだからと、いつでも消せるように、薄く描いてしまいます。
 これがプロと素人の差なのです。 (p.140)
 失敗を怖れず経験を増やせば、やがては最適な解を見いだすことになる。
 超一流と言われる画家は、たいてい膨大な量のデッサンを残している。
 量が質を生むのである。
 "一発必中"は、天才的な離れ業として物語の題材にはなるだろうけれど、一般人の手本にはならない。

 

 

【瞬間主義で、一生懸命やっている試作品】
 私は全作品未完成のつもりでいます。完成100%で出し切ることはできません。そんなことを言っていたら、永遠に本は書けません。私は、推敲段階で、ゲラで直したくなります。でも、直さないで、次の本で書こうと思うことにしています。もう1段深く行けると思ったら、次の本で書けばいいのです。その瞬間主義で、一生懸命やっています。と同時に、全部試作品のつもりで書いているのです。文庫になるとき、猛烈に直したくなる欲望に駆られますが、それでも直しません。その時しか書けない素描として残しておきたいのです。(p.214)
 中谷さんがあまりにも多くの本を出版している理由がこれ。
 タブロー(完成品)ができたら奇跡。人生は果てなきエチュード(試作品)の連続である。

 

 

【博覧強記の人が使いこなす「印象情報」】
 ある日突然 「あれはああいうことだったのか」 と気づくことがあります。
 わからないなりにも気になったところはちゃんと記憶しているから、そういうことが起こるのです。
 博覧強記の人は、頭の中に何でも使えるまだ整理されていないストックがたくさんあり、それをあたかもこのために知っていたかのような顔で出せる人のことです。
 固定化された情報ではなく、まだなんとも形容しがたい印象の山を持っています。(p.247)
「博覧強記の人は、印象の山を使いまわしている」、とまとめられている。
 荒俣さんならではの表現である。
「個別の客観的情報の山を使いまわしている」 だけならばどう頑張ったってPCには勝てない。
「印象の山」 だからこそ、人間の脳内で広範な領域を一挙に捕捉できるのだろう。
「印象情報」 という言葉が新鮮である。
 PCが 「印象情報」 を検索できるようになったとしたら、大したものである。
 
 
<了>
 

  荒俣宏・著の読書記録

     『0点主義』

     『図像学入門』

     『王様の勉強法』

     『人生の錬金術』

     『なつかしのハワイ旅行』

 

  中谷彰宏・著の読書記録