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 『エグザイルス』 を読んだ時は、ロバート・ハリスさんを自分に近い人と勝手に感じていたけれど、この本の序盤を過ぎた辺りから、その思いは明らかに違っていたことに気付いた。
 この対談本は、部分的に不快な印象を与える。この本の中盤以降で記述されているような男と女のあり方に、かなり違和感を持ったからだ。

 

 

【一緒にいて、違う本を読める関係がいい】
私は、恋人と一緒に、別々の本を読むのが好きだ。
誰かと一緒にいて本を読むのは、普通はちょっと失礼な感じがする。
カップルとしては、それがきまずくない空気のできあがる関係がいい。
「最高の形だよね」
はたから見ると、「2人で一緒にいるのに、なんで本なんか読んでいるの?」といわれそうだ。
映画「ある愛の詩」の中に、そんなシーンがある。
一緒にいる恋人たちが、それぞれ本を読んでいる。
彼女はそもそも図書館司書だった。
2人が一緒にいながら別々の本を読んでいるのはカッコイイ。
バラバラに何かをして、ご飯を食べる時に、「今日お昼に読んでいた本さあ・・・」と話したり、私が本を読んでいる間に彼女が買物にいってもいい。
「それが、いいね」 (p.36-38)
 これは、全く同感。
 

【男のウソと女のウソ】
女性のウソは、ウソをついている意識がない。
男性のウソは、ウソをつているぞという意識でやっている。
「男性は、後ろめたい顔をしているものね」
目を見ることすらできない。
女性は、目を見つめてウソを言える。
女性は、つくり話をしながらそれを信じてしまうから。だからウソ発見器では絶対に見つからない。
どれだけウソがつけるかで、「その人が、いかに生きてきたか」がわかる。     (p.137)
 女性のウソに直面して、唖然、呆然、憮然、いずれも経験したことはない・・・・と思ったけれど、恋愛ごとでない日常の場面で、ウソをついている意識のないままに立派なウソをついている女性に出くわしたことがあった。その時はたいそう憮然としていたのであるけれど・・・・やはり女性は逞しいということで納得しておこう。

 

 

【スピード感やリズム感】
「中谷さんの本には改行が多いけれども、僕、あれ好きだな」
ページめくっていくスピード感が大切だ。
行と行の間は読む人が埋める。
シナリオだし、マンガのカット割りだ。
ゲラでチェックするのは、流れすぎているところはないか見るだけだ。
つかえているところはないかというリズム感だ。
 リズム感がある文体とか、詩的な表現を持つ文体は、近年、若者を中心に好まれているのだという。たいそう売れているけれど、読んでみて何処がいいのかはっきりとは表現できない場合、その作家の長所は、リズム感とか詩的な文体なのだという。具体的には村上春樹である。中谷さんはこういったことを知っていて自分の著書を構成していたのだろう。
 この対談本も、中谷さんの手法で、改行の多い構成になっている。しかし、男女関係に関する記述の中で、私には行と行の間が埋められない箇所がいくつかあった。私の想像力では埋められないほどに、男女関係に関する経験の差があったということなのだろう。対談本を読みながらその会話が理解できないなんぞは、そうめったにあることではない。読者によっては中谷方式が適さない場合も稀に存在する。
 
<了>