時間に関して、「なるほど」 と思える文章が並んでいる。
【段取りと精神力】
時間の使い方とは、半分は段取り、もう半分は精神力です。
ゆったりとした気持で、素早く行動することが大事です。 (p.19)
段取りと精神力は比例関係にあるのではないかと思う。空虚な精神状態でいたら段取りは滅茶苦茶になってしまう。ゆったりとした気持で、素早く行動することが大事です。 (p.19)
【長さではなく頻度】
人とのつながりは、距離ではなく時間で決まる。時間は、長さではなく頻度が大事だ。 (p.22)
腕のいいセールスマンは、100軒の取引先を1回ずつ訪問するより、10軒を10回ずつ訪問します。
腕のいいセールスマンは、100軒の取引先を1回ずつ訪問するより、10軒を10回ずつ訪問します。
【完璧主義の弊害】
あまり根をつめて頑張り過ぎると、擦り切れてしまう。いい加減であるからこそ、あれもこれも長く続けられて最終的にものになる、という考え方。燃え尽きてポトリと落ちてしまったら、もともこもないのである。これも知恵ある時間の使い方。
100点主義になると、いつまでも始められない。40点でスタートすれば、やっているうちに80点になる。(p.54)
どんなことでもやってしまう “凄っごい実績のある方” が、「そのコツは、何でもいい加減、あれもこれもいい加減。いい加減に何でもかんでもやり続ける」 と言っていた。その人の実績を知っているから、繰り返される 「いい加減」 という言葉に、過度な謙虚さを感じて厭味とも取れないことはなかったけれど、言いたかったことは、中谷さんのこの記述とほぼ同じことだろう。あまり根をつめて頑張り過ぎると、擦り切れてしまう。いい加減であるからこそ、あれもこれも長く続けられて最終的にものになる、という考え方。燃え尽きてポトリと落ちてしまったら、もともこもないのである。これも知恵ある時間の使い方。
【つきあう人の忙しさのレベルは一致する】
「自称・忙しい人」 は、自分に時間を合わせてくれる暇な相手とばかり付き合うようになります。
時間の使い方は、伝染します。
人は時間の使い方が同じレベルの人とつきあう、という法則があるのです。 (p.57)
言えてる。 時間の使い方は、伝染します。
人は時間の使い方が同じレベルの人とつきあう、という法則があるのです。 (p.57)
【「少々お待ち下さい」】
民営化されたとはいえ、回線設備に関しては市場独占状態の以前となんら変わりないのだろうから、NTTのこのサービス精神のなさというか配慮のなさは、永遠に続くことだろう。待たされる立場での想像力が働かない企業(人)というのは、相当に悪質である。
「少々お待ち下さい」 では、待っている人はイライラする。待ち時間がわかると、イライラは解消できる。(p.82)
3月末の引っ越しシーズンに電話回線の移動のため、NTTに電話した人々は、必ずやこのイライラに直面しているはずである。 「少々お待ち下さい」 が、実に3分を超えるのである。相当にイライラしていたから、私は著者と全く同じことを電話の向こうの担当者に言ったことがある。民営化されたとはいえ、回線設備に関しては市場独占状態の以前となんら変わりないのだろうから、NTTのこのサービス精神のなさというか配慮のなさは、永遠に続くことだろう。待たされる立場での想像力が働かない企業(人)というのは、相当に悪質である。
【エレベータより階段】
ところで、日本人は本当に足を使わない。ロンドンのテムズ川をくぐる地下鉄路線のあるチャリングクロス駅だったかエンバンクメント駅の地下鉄乗り継ぎには列車の半車両分もあるかと思われるような長い大容量のエレベータが用意されていて、それはかなりの深度まで降下している。そのエレベータの乗員に余裕があるのにもかかわらず、脇の薄暗い照明の狭い螺旋階段をえんえんと駆け下りている少なからぬロンドンの大人たちを見ながら、日本との違いをつくづく感じていたことがある。下りですら階段を使う気のない日本の若者達を当たり前に見ているから、チャンちゃんは日本の将来を危ぶんでいる。笹川良一さんは晩年になっても下りは必ず自分の足で階段を下っていたという。足を使わないと、体も脳も衰えて、人生という長距離レースの後半で多くの時間を失うことになってしまうだろう。
《笹川さんのことを書いている読書記録》
『よく考えてみると、日本の未来はこうなります。』 日下公人 WAC
混んでいるエレベータに並ぶより、階段を上がったほうが早い。(p.90)
そうであるけれど、東京駅で京葉線から山手線に乗り換える時、これをやってマイッタことがある。流石にこの階段を上っている人はめったに見たことがない。ここは半端な階段数ではないのである。ところで、日本人は本当に足を使わない。ロンドンのテムズ川をくぐる地下鉄路線のあるチャリングクロス駅だったかエンバンクメント駅の地下鉄乗り継ぎには列車の半車両分もあるかと思われるような長い大容量のエレベータが用意されていて、それはかなりの深度まで降下している。そのエレベータの乗員に余裕があるのにもかかわらず、脇の薄暗い照明の狭い螺旋階段をえんえんと駆け下りている少なからぬロンドンの大人たちを見ながら、日本との違いをつくづく感じていたことがある。下りですら階段を使う気のない日本の若者達を当たり前に見ているから、チャンちゃんは日本の将来を危ぶんでいる。笹川良一さんは晩年になっても下りは必ず自分の足で階段を下っていたという。足を使わないと、体も脳も衰えて、人生という長距離レースの後半で多くの時間を失うことになってしまうだろう。
《笹川さんのことを書いている読書記録》
『よく考えてみると、日本の未来はこうなります。』 日下公人 WAC
【日本財団会長の笹川陽平氏】
【持ち物と時間】
家が広くなると、清掃に時間が奪われる。
持ち物を捨てれば捨てるほど、時間は増える。(p.98)
後半は、名言かも。持ち物を捨てれば捨てるほど、時間は増える。(p.98)
長さも密度も増えることだろう。
【速くすることも遅くすることもできる人】
速度を、速くすることも遅くすることもできる人が、時間の使い方のうまい人です。
駅の立ち食いそばもフレンチレストランのディナーも、同じスピードでしか食べることのできない人は、人生を愉しむことができない人です。
時速150キロは出せるけど、時速4キロが出せないというようでは、車をガレージに停めることはできないのです。(p.117)
最後の例えは笑っちゃうけど、イケテル。駅の立ち食いそばもフレンチレストランのディナーも、同じスピードでしか食べることのできない人は、人生を愉しむことができない人です。
時速150キロは出せるけど、時速4キロが出せないというようでは、車をガレージに停めることはできないのです。(p.117)
<了>