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 尻尾をくわえたウロボロスの蛇が夢に出てきて、これがベンゼン環の発見に繋がった、などという、この手のタイトルの書籍になら、どこにでも必ず書いてありそうなことが書いてないところが優れた著書の証しである。養老さんの本より遥かに面白い。真面目に、しかも、楽しく読める良質な本である。


【ひらめきの実体】
 ひらめきが生まれる直前と直後とでは、頭の中にある情報と知識の量に大きな変化が起きているわけではない。同一の情報や知識が、ひらめきの瞬間を境にして、それまでとは異なった意味をもつようになるのだ。ここで起きていることは、ものの見方や考え方の変換、ひとことでいえば「価値の転換」である。これこそが、ひらめきと呼ばれる現象の実体であろう。 (p.52)

 この部分を読んでいて、深く納得できるのである。大学生の頃、「物質と精神」 というテーマを長らく心中に抱いていた。通りなれた市街地をバイクで走っているとき、突然、眼前の世界が白光に撃たれ、分かったのである。「分かった、分かった」と心中で繰り返しながら、数日後、その内容が書けなくなっていた。夢のような忘却であった。その日のうちに書き留めておくべきだった、とは思ったものの、いかんせん後の祭りである。


【相対価値による存在価値の忘却】
 私たちの日常意識はつねに、社会に支配的なさまざまな相対価値による自己評価によって幾重にも覆われている。それによって、自己の存在価値が隠され、忘却されるとき、「われ在り」はその本来性から「頽落」してあたかも自明なことであるかのように、思考の背景へと退くのだ。「われ在り」が突如として本来の姿を見せるのは、だから相対価値のぶ厚いベールがはがれ落ちたときにかぎられる。そうした例外的ケースが、一つには「障害の受容」であり、また一つには既成の理論を根底から変革するひらめきの瞬間だといえるのではないだろうか。 (p.70)

 この文章を、分かりやす表現に変えるならば、「観念(相対価値)を外すことで、直観力(ひらめき)が働いて、自己の存在価値を知ることができる」 ということである。観念を外すためには、良き指導者か良き書物に巡り合えればいいのであろうが、強固な観念を持つ人々程、その必要性を皆目感じていないようである。自然界に甲殻類が存在するように、人間界にも観念という甲冑を心に纏っているのが常態である人々もいるのである。


【人間の記憶】
 犯罪捜査を前提にした犯人捜しの検証において、写真を選ぶ正解率はわずかに9%で、面白いのは、最初迷っていた人がいったん写真を選んでしまうと自信を強めたことだ。・・・・(中略)・・・・ “人間の記憶は客観的な事実を覚えるための記憶ではない”んだなと思い知らされます。人間には、質問した相手に合わせるような気持ちが働きます。相手が警察官や検察官となればなおさらでしょう。何も知らないと答えると自分が馬鹿みたいに感じてしまうし、役に立ちたいという気持ちもある。社会的な圧力というものがあって、事件について、いろいろなことが報道されれば、そのストーリーに合わせてしまうということでもある。 (p.92)

 現場で働いている警察官は、おそらくこのようなことの教育は受けてはいないのではないか。警察手帳を見せて、「この人物が万引きをするかどうか調査している」 と言いながら顔写真を提示しておけば、殆どの店員は万引き現場を決して目撃することなく、「盗みました」 と応えるのである。賭博については、「非現行」が成立しても、窃盗について現行以外が成立しない根拠はここにあるのである。
 私服をいいことに、仕事などせず遊んでばかりいるボンクラ私服刑事に、窃盗に関する現行犯逮捕必要性の理由を質問してみるといい。おそらく答えられない。


【おもしろい記述】
 神経伝達物質の機能説明で著者は面白い記述をしている。
 単純化していえば、ドーパミンが「見るまえに跳べ」と勇気を与え、ノルアドレナリンが「日常生活の冒険」を支援し、セロトニンがキレなくさせることで「われらの狂気を生き延びる道を教え」てくれているようにも思える。 (p.160)
 著者はわざわざことわり書きなどしていないけれど、いずれも、大江健三郎の作品名である。他に、「饒舌」や「性的人間」なども加えてあったら、私は拍手をしていたであろう。


【医食同源】
 「医食同源」という言葉を耳にして、さすが中国四千年の知恵と感心する。しかしこれがとんでもない思いちがいで、実際には「医食同源」などという成句はいかなる中国の古典にも存在せず、また日本でも「戦前にはまったく聞かれなかった言葉」だという。医食同源の思想が日本人の常識となってゆく過程は、近代栄養学の成立・発展と密教に絡んでいる。そもそもの発端は脚気対策だった。 (p.189)

 ということです。なんでもかんでも、中国といえば “悠久の歴史と優れた文化” と思い込んでいる日本人が多いように思う。過去の読書記録の中でサンザン書いてきているけれど、“歴史・文化において優なるは、日の本なり。脚下照顧せよ” と私は何度でも言いたい。


【その他・ポイントの書き出し】
 「意味を期待するということは、意味を持ち込み、意味を付加することと殆どおなじである」 (p.147)

 ある研究者は私におよそ次のようなことを語ってくれた。「時間とお金をかければ誰がやっても同じ結果を得られるような二番煎じの研究は、多くの情報をうまく使いこなすことで成り立っている。しかし、何か本当に新しいことを始めるには、自分の頭の中でアイデアを成熟させていくための長い時間が必要で、この時期にあまりに大量の情報が入りすぎると、かえってマイナスになる」 これは非常に重大な発言であると思う。 (p.142)   

 

<了>