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 24年前に書かれた本だから古書と言えるけれど、アジア地域を巡るビンボー旅行に関しては今でも十分現実的な内容だろう。1989年9月初版。この頃の活字は、現在のものより若干小さめである。

 

【世界を駆ける日本人旅行者】
 自分で旅行してみて初めて知ったことであるが、世界にはひとりであちこち旅行している日本人が意外に多い。日本人旅行者というと、団体、買物、記念写真で代表されるパック旅行者がかなり有名な存在だが、それとは別に長期旅行を楽しむ個人旅行者もかなりいるのである。
 分けても多いのが大学生で、彼らが他を圧倒して個人旅行者の輝ける第1位である。近年ますますその数は増加の一途をたどっている。ところがこの大学生を除くと、日本人の個人旅行者には、日本の社会から大なり小なりはみだしてしまった人という感じの人が多い。これがわが日本人旅行者の一大特色ではなかろうかと僕は思っている。(p.10)
 この本が書かれたのは、日本においてバブル真っ盛りの頃だから、仕事が嫌になったと同時に、資金的にも余裕があって、俄かに「外こもり」を実践してみた人たちが多かった時期である。
     《参照》   『日本を降りる若者たち』 下川裕治  講談社現代新書
              【外こもりのメンタル】

 当時と今で違うのは、正社員から契約社員への労働形態のシフトが起こり、プロジェクトの合間に気軽に海外に出て行く契約社員たちが増えていることだろう。そして女性の一人旅が明らかに増えている。ドミトリー(相部屋)には相変わらず男性旅行者が多いけれど、近年、安価な個室宿に泊まった時、宿泊者の多くが日本人女性だったことに驚いたものである。

 

 

【旅のよさを実現するもの】
 旅のよさというのは、長さや、金の有無や、数の多さでわかるというものではないと僕は思っている。要するに自分の中にあるものが旅によって引き出されてくるだけなのだから、どんなに長く多く旅しても、何もない人からは何も出てこないのだ。だから、逆にそういう人にとっては、いかに長く、いかに多く旅しているかだけが大切な問題となるのであろう。
 こういう人に限って、自分より旅行期間の短い人を見つけては、説教なんかしたり、威張ったりしたりしているような気がするけど、まあいいか。(p.31)
 読書の量は質を生む可能性が高いけれど、ここに書かれているように、旅の量は必ずしも質に結びつかないだろう。旅の量が質に近似したものに転化するとしたら、旅の後、幾星霜かを経る間に、直接経験や読書などの間接経験を通じて旅の経験が次第に発酵するからではないだろうか。旅の記録を自分で書いてみれば分かるけれど、直後の記録というのは事実の記録と感想程度で、豊饒なものになどなっていないのが普通だろう。旅の前後に積み重ねられたものがなければ、旅は豊饒なものにはならないはずである。
    《参照》  『日本語トーク術』 齋藤孝・古館伊知郎 (小学館) 《後編》
            【「量より質」 ではなくて 「量こそ質」】
    《参照》  『涙の理由』 重松清・茂木健一郎  宝島社  《前編》
             【折り合いのつかない抽象性】
    《参照》  『勉学術』 白取春彦 (Discover) 《後編》
             【独学】

 

 

【眠れない夜】
 ヒマラヤの山の中の宿だと、さぞ静かな夜が送れるだろうと誰しもが思うのではないだろうか。・・・中略・・・。しかし現実は意外な展開となってしまうのである。
 隣にディスコやカラオケがあるのでもないのに、すごい騒音なのだという。
 犯人は、馬とロバと虫である。何しろあたりは異常に静かなところなので、村につながれている馬やロバのいびきや寝言が村中に響き渡ってしまうのである。これがうるさいのなんの。・・・中略・・・。ヒマラヤの生き物の力はすごいのだ! (p.56)
 馬やロバって、いびきをかいたり、寝言を言うの? 
 インドの聖地のワイルドな夜は、猿の襲来と孔雀のいななきで、なかなか眠れないのであった。(p.62)
 その他にも、ネパールで山小屋に泊まった時は、ネズミが寝袋に入って来て「ギエーッ」と悲鳴を上げたとか。そりゃああげるだろう。また、タイのコサムイという島では、高床式のバンガローの下で犬どもが吠えまくって眠れなかったとも書かれている。
 生活において動物たちと一線を画してしまっている近代文明人たちは、自然の威力に慣れるまで、眠れない夜を過ごすことになるらしい。

 

 

【目醒めのよい朝】
 インドのラダックでは、鶏の声が日本のそれを超えているという。
 これには一発で目が醒める。そしてそれが最後、もう再び眠ることなどできないのである。(p.74)
 イスラム圏でグウタラ寝をしていたら、スピーカーから流れてくるヒビ割れた音質のアザーンの騒音に起こされてしまったという人はいるだろう。宿泊場所の近くにモスクの尖塔が見えたら覚悟しておいた方がいい。
 
【あるドミトリーの光景】
 シンガポールは暑くて湿度の高いところである。しかしドミトリーにはもちろんクーラーなど入っていない。そうすると、彼らは男女を問わず裸になって眠ってしまうのである。これには最初びっくりした。朝なんかすごい光景で、若い女の子がパンツ一枚でアチコチにゴロゴロしているのだから視線のやり場に困ってしまう。・・・中略・・・。うれしいといえば嬉しい光景ではあるが、ああいうふうに寝ぼけまなこで頭をボリボリ掻きつつ「グッモーニン」といわれても、あまり色っぽくない。(p.78)
 これを読んで、「よし、次はシンガポールに行こう」と思ったオニイちゃんは、どうぞ。
 シンガポールのドミトリーは、ベンクーレン・ストリートという所にかたまっているそうです。
 ただし、トップレスが平気なのは欧米系の女の子たちで、アジア系の女の子たちはちゃんと服着てます。

 

 

【東南アジアの漫画】
 アジアを旅していると、意外なくらい日本の漫画やテレビのキャラクターたちの人気があるのに驚く。「一休さん」や「ドラえもん」は東南アジアでは大人気だし、「鉄腕アトム」もかなり有名なヒーローである。(p.108)
 ほかに海賊版の「アキラ」が読まれていたという。
 タイは仏教国だから「一休さん」。「ドラえもん」は息が長い。
 欧米圏とアジア圏では流行りが違うけれど、『アキラ』は世界共通らしい。
    《参照》   『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』 竹田恒泰 (PHP新書) 《前編》
              【日本アニメが世界に与えた影響】

 

 

【「歩き方の墓場」】
 インドのカルカッタには、ここを最後に日本へ帰国する旅行者が置いていった『地球の歩き方 インド編』を何冊も売っている古本屋があり、ここは「歩き方の墓場」とまで言われている。(p.142)
 『地球の歩き方』は、大勢の若者が利用しているはずなのに、文句を言う人が多い。何度改訂版が出ていても、常に詳細な情報を完璧に提供することなど不可能なのは分かっている。それでもやっぱり憮然としつつ「違うじゃん」と言ってしまうのである。
 それで旅行者の間では「地球の歩き方」じゃなくて「地球の迷い方」だとか「地球のだまし方」だとか、いろいろといわれているのである。(p.142)
 「迷い方」だとか「だまし方」というのは言い過ぎだろう。完璧ではないことを事前了承した上で、うまく使えば十分利用価値のある本である。

 

 

【最善の情報取得法】
 旅するのにもっともいい情報源は、何といっても旅行者である。世界中のあらゆる場所について、紙にとどめることのできない新鮮な情報が、すぐそこを歩いている。それをいかにキャッチするかが旅行者のウデなのだ。(p.143)
 これを実践したいならドミトリーを宿泊場所に選ぶことである。日本人専用のドミトリーなら申し分ないけれど、ドミトリーなら何処でも誰かしら日本人がいるだろう。夜は情報交換タイムである。

 

 

【旅が教えてくれたもの】
 結局、旅はインドのことでもなく、中国のことでもなく「自分自身のこと」を教えてくれた。そしてそれは、自分の住む日本のこと、家族のこと、つまり「社会」の有り様でもあった。「世界」にはいいことばかりではないが、いろいろな人が暮し、様々な価値観がある。世界を旅して、そこで生きるということは、その多様さを認め、尊重していくことでもある。それは翻って、日本で生活していく場合にも当てはまることではないかと思う。ほんとうにいろいろな暮らしや生き方がある。それだからこそ、世界はおもしろいし素晴らしい。(p.181-182)
 日本国内だけで生きていると、生まれながらにして刷り込まれてきた日本人に固有な「正しい」という基準について疑うことができない。相対化できないからである。相対化できないということは、違いを起点に考えることが出来ないということ。差を取ることができない。差取り(悟り)に至らない。
「本も読まず、旅にも出ず、何も考えない。そんな人生って、何か本質的に欠けてない?」 と思ってしまう。
    《参照》   『榊原式スピード思考力』 榊原英資 (幻冬舎) 《前編》
              【「考える力」は、異質な世界の人との出会いから】

 

<了>
 

  蔵前仁一・著の読書記録

     『旅で眠りたい』

     『ホテルアジアの眠れない夜』