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 この本に書かれているのは、“ひきこもり” ならぬ “外こもり” と表現される現在日本の若者たちである。

 

 

【カオサンで “外こもり“ する方法】
 “外こもり“ の人々がもっとも多く集まっているのは、タイ、バンコックのカオサンという地域。以前はビザなしでも、30日間に1回出国すれば、再び30日間の滞在が延長されるという決まりに従って、これを繰り返していればいくらでもタイに滞在できた。しかし、
 2006年の秋には、ビザのない外国人は6カ月間のうち90日を越えてタイに滞在してはならないという通達が出された。外こもり滞在にも、しだいに制限が加えられてきているのだ。(p.24)
 最近は日本で働いて数十万円蓄えてから、外こもりのために生活費の安いカオサンにやってくる者、あるいはワーキングホリデイを利用してカオサンに滞在する者たちが主流だという。カオサンには長期滞在者が蟻集するため、バンコク一のゲストハウス街になっているという。当然のように、日本人専用のゲストハウスがある。年齢層は、
 20代後半から30代の日本人が集まってきていたように思う。(p.55)

 

 

【外こもりのメンタル】
 ワーキングホリデイ組が、バンコクのとろけるような居心地のよさに魅了されて、すぐ外こもりの道を突き進むのというわけではない。外こもり暮らしに入るタイプには、どこか日本社会を否定するというか、日本という舞台から降りたようなところがあるが、ワーキングホリデイ組は、まだ日本社会を捨てているわけではない。つらい生活が待っていると薄々気づいているのかもしれないが、日本という国で何とかしようと思っているところがある。(p.72)
 留学斡旋業者の話では、留学先のレベルを決める材料として成績の調査をするけれど、成績のよい者ほど現地採用などで帰ってこず、成績の悪い者ほど早く帰ってくる傾向があるという。(p.80)
 留学やワーキングホリデイ先として、オーストラリアなどの欧米圏を選びながら、自分から輪の中に入ってゆかないと友達ができないという欧米型社会に馴染めなかった者たちが、帰国途中で立ち寄ったバンコクに誘引されるらしい。
 (カオサンで)それぞれが口にする話には、雲をつかむような話や明らかな眉唾物もあったが、そんな話をする日本人は皆、同じ匂いを漂わせていた。全員が日本嫌いだった。正確にいえば、皆、日本の仕事を嫌っていた。日本という国に生きづらさを感じとってしまった若者たちだった。(p.123)

 

 

【タイで働く気?】
 バンコクの日本企業の採用基準
 「仕事は仕事。基本的に日本と変わりません。面接はバンコクでやります。わざわざ来てもらうわけですから、その前にメールでいろいろ聞きます。いじわるな質問もする。だいたいそれでわかりますね。仕事をしようとしているのか、日本が嫌だからタイに住んでみようと思っているだけかどうかっていうことは」(p.90)
 こんな感じだから、外こもり組があわよくばと思いつつ応募しても採用される可能性はまずない。
 それに、タイの国内企業に就職するにしても、
 タイはアメリカ式の転職社会です。辞めてゆく社員を説得するような風土はないんです。
 働こうと思っても、プレッシャーに弱ければタイ社会は甘くない。
 しかし、自発的に辞めるならその理由もまったく御随意である。無断欠勤のタイ人の例。
 上司が連絡をとると、ひとこと、 『飽きた』 っていう返事だったそうです。それを聞いた上司や社員は皆、 『飽きたんならしょうがない』 って納得しちゃったんです。(p.103)
 「ウッソー」 って感じだけれど、こんなところが、外こもりがタイ人気質を好む理由なのだろう。

 

 

【タイの農村】
 農村部の女性と結婚した日本人男性の事例も書かれている。タイの農村は、もともと大家族だから、食いぶちが一人くらい増えたからといってどうということもないらしい。
 金がなければなにもできず、働かなければ人ではないような日本社会を思うと、タイの田舎の懐は深かった。文男が手伝うといっても、父親は笑顔で断るだけだった。(p.110)
 羨ましい・・・のかどうか。

 

 

【怠惰な人たち?】
 暮らしてみるとわかることだが、タイ人という民族は、本当に怠惰な人たちだと思う。 ・・・(中略)・・・ 。タイ人は暑い昼間、本当に外に出ようとしない。冷房がきいた涼しい部屋で、「サバーイ、サバーイ(快適、快適)」 といってすごすのが大好きである。日本のパッケージツアー客が、気温が35度を超える昼日中、観光地を巡っている姿に目を丸くしていたという逸話は、いまでもバンコク初心者向けに紹介されるタイのライフスタイルである。(p.147)
 タイ人に限ったことではない。東南アジアの国々ではどこも同様である。現地の人々が集う遊園地などは、昼間は休園で夕方になって開園するのが普通である。
 熱帯ではそれが必然的な生き方なのである。適度な気温と太陽の光に常に恵まれている日本人が 「勤勉」 であるからといって、適度な気温と太陽の光に恵まれた時間帯に制限のあるタイ人や東南アジア人を 「怠惰な人たち」 と言うのは、明らかにおかしなことである。
 古来、文明が栄えた地域や、現在、経済が発達している地域は、いずれも温帯地域が殆どである。日本人がタイ人より働く時間が長いことを苦に思わないのは、気候・風土上、当然のことであって、日中休んでいるタイ人を 「怠惰な人たち」 と表現するのは不適切である。
 外こもりの人々は、熱帯という気候・風土に住んでみれば、おのずから労働時間に制限のあるところから生じた民族性に染まれるからこそ、そこにこもりやすいのであろう。何も、日本を嫌わなくても、タイの気候・風土・民族性を愛するからここに住むと胸を張ればいいではないか。
 結局、日本人は 「頑張る」 という言葉を巡って人生が展開される、そうも思える。いや、日本人というより、資本主義の世の中では、どこも同じなのかもしれない。現に、外こもりファラン(白人)もカオサンやプーケットにわんさかいる。 ・・・(中略)・・・ 。突き詰めると、近代がどういう時代であったか、そして、近代資本主義がもたらした豊かさに対する問いかけなのかもしれない。(p.216)
 日本人の 「頑張る」 性は、何も仕事だけに直結したものではない。「頑張る」 = 「勤勉」 ではないのである。日本人は、「元気がない」→「気枯れ」→「穢れ」 を厭うからこそ 「頑張る」 ことを尊んできたのであろう。「頑張る」 という表現を使わなくても、好きなことに熱中できたらいいのである。
 日本を降りて外こもる若者たちが多いのは、熱中できるものがないからでもあるのだろう。そうであれば、経済的に恵まれづらくならざるを得ないのだから、生活費の高い日本は確かに住みづらくなる。
 社会格差が進めば、経済的弱者は発展途上地域での外こもりを志向し、経済的強者は資金力に応じて老後は環境に恵まれた海外リゾート地域に移住するようになる。それは既に世界的な潮流として起こっていることである。
 歴史の中で、一時期、人・物・金を収斂させてきた国は、いずれそれらを散逸させる過程へと移行してゆく。圧政国家では、収斂段階で散逸は生じているものであるけれど、日本のように安定した政治を行ってきた国であっても、制度疲労を起こしている政治の改革やら対応が遅れると、散逸を止められなくなってしまうのだろう。
 日本を降りる若者たちの数は、日本の文化・教育・政治の衰退を示すインデックスである。
 
 
<了>