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 日本の昔ながらの絞り染めの着物にありそうな絵柄を表紙にあしらっている。タイトルは 『人生讃歌』 となっているけれど、 『日本讃歌』 と言った方が相応しい対談内容である。
 

 

【廃れゆく日本の色】
美輪 : 京都の方の職人さんが 「最近は着物の色がけばけばしくて、汚くなった」 と言うんです。日本画の絵具の色ではなくなったということですね。 (p.35)
 着物ばかりではなく陶器の色彩もそうなっているのではないだろうか。昨年訪れた金沢兼六園付近の土産物店で売られている九谷焼も、本来の青緑と赤銅が鈍色の金色で縁取られた渋い発色が、やけに安っぽく発色する金色系の軽い色になっていた。店主さんは、「この色の方がよく売れる」 と言っていた。おそらく韓国・中国・台湾などの外国人観光客の嗜好に合わせて変色させてしまっているのである。
 台湾の鶯歌にある焼き物街を一日歩いたことがあるけれど、日本人の好むような色合いはまったくない。まさにケバケバしく深みなき色調陶器のオンパレードである。「せめて一つくらいは買っておこう」 と思っても欲しいものは一つとしてなかったのである。
 今はまったくぼかしがなくなってしまったんです。だから夢やロマン、あやかし、﨟長たけたというところがなくなってしまうんです。(p.35)
 ルビは振られているけれど、なければ﨟の字が読めなかった。 「ろう」 と読む。﨟とは、辞書には “僧侶の出家後の年数。僧侶の授戒後、安居を過ごした年数” とある。すなわち、「﨟長けた」 とは、 “年功を積む、経験を重ねる、洗練される、上品である” などの意味。

 

 

【日本画と油絵の線の違い】
斎藤 : 僕は日本文化というのは、伝統的に息の文化 ――― 呼吸の文化だと思います。
 美輪さんは日本画の修業をされていますが、日本画の線は、描くときにものすごい緊張感がありますね。首筋の線といった、ただ一本の輪郭線に勝負をかける。油絵で線を描くのとは、全然違う緊張感があるのではないかと思います。
 日本画の線は一気に描く。ところが、油絵は何度もやり直しがきく。途中で引っかかってもいいんですね。
 一気に線を描くためには、息とともに線がある。見る側も、その線の息づかいを楽しむ。そのためには呼吸が大切ですね。
 ゴッホが弟に宛てた手紙などを読むと、日本の浮世絵の職人的な仕事の仕方とか、あの線の簡潔さというものに対して、とても憧れていたことがわかります。
 日本画と油絵の線の違いには、端的に日本文化と西洋文化の違いというのが出ているように思えます。(p.39-40)

 

 

【日本文化防衛隊の同志】
美輪 : 斎藤さんが素晴らしいと思うのは、日本文化を何とかしなくてはいけないと、身をもってやられていることです。しかも孤軍奮闘、味方がいなくても正しいと思うことなら一人でもやる、というところ。(p.86)
美輪 : わが愛する同志 斎藤さん、これからも手に手を取って頑張りましょう。ヤッホー。(p.229)
 後ろの書き出しは、この対談集のクロージング・センテンスである。美輪さんも、斎藤さんも日本文化に関して深い見識をもっている。美輪さんは日本文化の奥深さを解さず破壊してしまった軍国主義者のことを “脳みそが筋肉でできているような連中”(p.80) と面白い表現で揶揄していたり、近頃の日本文化の様相を “ウンコ文化”(p.109) などという上品な(↓)言葉で嘆いていたりするけれど、その心根の基がどこにあるかはよくわかるから、この対談は安心して読める。
 

【紫色】
斎藤 : 僕は、オレンジ系の色がすごく好きなんです。 ・・・(中略)・・・ 。でもじつは一番好きな色は、紫色だったんです。幼稚園の頃から、絵を紫色中心で描いていました。人からは、紫色が好きなんていうのはスケベだとか、いろいろ言われました。まあ、そう言われてもなぜかわからないけど、紫色が好きですね。
 美輪さんの最初の本は 『紫の履歴書』(水書房) というタイトルですが、このタイトルからして、もうひかれるところがありました。(p.141)
 紫色は英語でマジェンタ。日本神界に基をおき、新しい時代の仕組みを担う女神の瞳は本当に紫色をしている。仕組み人であるシャーマンさんが、期間限定でこの女神の瞳を転写してくれたことがあった。その期間、チャンちゃんの瞳はカラーコンタクトをしているかのように本当に紫色をしていた!
   《参照》   『幸せを手にする人は、「色の言葉」を聴いている』  武藤悦子  主婦の友社
            【マジェンタ・愛がひそむ場所・日本の色】

 

 

【教育を考える視点】
斎藤 : さっき美輪さんは、舞台に出た瞬間に観客の 「構え」、それが敵意をもっているのか、あこがれているのか、沈んでいるのかなど、一瞬にしてつかみとることができるとおっしゃいました。僕はどうしたらみんながやる気になる 「構え」 をつくれるのかということをテーマに教育学を始めました。
 だから、そのために 「呼吸」 や 「気」 や 「指圧」 の研究をしました。しかし、そういう研究を、たとえば 「教育における息の研究」 としてまとめても、誰も評価してくれない。それどころか、論文審査で落とされてしまうような始末でした。そういうことを重要だと思っている人はまったくいなかったですね。(p.160)
 教育学界で落とされても、一般大衆は斎藤さんの著作の内容を、良きもの正しいものと知っているからこそ、多くの人々が斎藤さんの著作を買って読んでいる。斯界の権威が常に正しいなどとは誰も思っていやしない。むしろ単なる権威主義の牙城として存在しているにすぎないところですら少なからずあることを知悉している。
   《参照》   『大人の読書』  渡部昇一・谷沢永一  PHP

            【安藤次男の 『完本風狂始末』 】

            【小西甚一 『日本文藝史』 】
            【ゾンバルト】
 霊智を欠いた知恵というのは、畢竟行き詰まるだけのものなのに、知的権威者はそんな基本的なことがまったく分かっていないのである。

 

 

【エネルギー量の大きい人でも・・・】
斎藤 : 僕は人を見たときに、その人のエネルギー量の大きさを敏感に感じることがあります。その人が何を言っているか、何をやっているか以上に、その人の持っているエネルギー値が気になる。たとえば学生であれば、この学生のエネルギー量ならば就職しても大丈夫、やっていけると思ったりする。(p.162-163)
 エネルギー量はあっても運の悪い時期はあると、斎藤さんは書いている。運気はバイオリズムのように善し悪しの増減がある。その時期を詳細に割り出せるのが気学という運命学なのだけれど、そういった占いにばかり頼っていても、不断に努力していない人は、運気が最大の時ですらチャンスを掴めない。

 

 

【魔界人】
 政界の魔界人は、Xさんです。あの人は、田中角栄のところにいて、角栄がダメになってきたら、ボスを裏切って竹下さんのところへ行った。竹下さんが潰れたら、金丸さんへ、金丸さんが逮捕されて亡くなったら今度は細川さんを担ぎ出して三日天下の新政党をつくったり、羽田さんを担ぎだしたりした。次は渡辺美智雄を呼んで協力させようとしたら、渡辺さんは死んでしまった。あの人が触ったものは、全部生気を失ってしまう。今度は菅直人さんと組んだわけです。そうなるとどうなるか楽しみですね。今までのデータだと、組んだ相手がどんどん潰れていったわけですが・・・・。(p.170-171)
 ならば、Xは以前から、ジェイ・ロックフェラーと組んで日本政界に堂々と君臨しているのだから、ジェイの生気を抜きとってくれることだろう。魔界人なりに最後の仕上げをしているのである。
   《参照》   『リアル経済学』 ベンジャミン・フルフォード (日経BP社)

             【テロ戦争派 vs 温暖化防止派】 

 

 

<了>

 

 

  齋藤孝・著の読書記録

 

  美輪明宏・著の読書記録

     『愛の話 幸福の話』

     『乙女の教室』

     『霊ナンテコワクナイヨー』

     『ぴんぽんぱんふたり話』

     『人生讃歌』

     『ああ正負の法則』