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 このお二人の読書に関する対談本は、おそらく5冊くらい出版されているのではないだろうか。どれもみんな読むのは楽しい。
 もうとっくに定年退職しておられるお二人。「脳は年齢に関係なく、いくらでも発達するもの」 という話から、この対談は始まっている。

 

 

【夏目漱石を読むにふさわしい世代】
渡部 : 考えてみれば、漱石は49歳で亡くなっています。自分自身がそれより25年も長く生きてみると、やはり50歳で死んだ人の人生観察というのは、どうということはない。そもそも、50歳の人が書いた小説を、75歳になって読んで感激したら、おかしいのかもしれません(笑)。 (p.25)
 私は多分高校生の頃、 『吾輩は猫である』 の他に何か1冊読みかけて途中放棄したのを覚えている。わきゃ分かんなかった。中学生で分かるのか?
 中学生に 「愛読書は?」 と聞くと、多くの生徒が、「漱石」 と答えるのは、指定図書みたいになっているから、他に知っている図書がなくって、とりあえず漱石と答えるだけなのだろう。ならば分かる。
 漱石を読むのに最もふさわしい世代は、30~40代というところか。

 

 

【動いて考えるのか、動かないで考えるのか】
渡部 : 私が三宅雪嶺の 『宇宙』 を読んで印象に残っているのは、ドイツの哲学がインドの思想と似ているという指摘です。ドイツの哲学者はだいたい動かないで考える。イギリスは海洋国家で、いたるところで植民地をつくっているから、みんな動いている。船で動けば、まったく違った気候があり、簡単に頭の中で考えられないというような主旨のことが書いてあり、なるほど、と思いました。確かにカントが考えた 「認識の根元」 は仏教の範疇ですし、ショーペンハウエルでも基本的に仏教的なところがあります。(p.83)
 多くの日本人は思索系ドイツに馴染みやすく、先陣型の人は行動派イギリスの著作、サミュエル・スマイルズの 『セルフ・ヘルプ(自助論・西国立志伝)』 を読んで励起され、日本を強く牽引していったのだろう。

 

 

【長編小説の効用】
谷沢 : 「長編は没入できるから安らぎにつながる」 というのは、まさにその通り。本当にお気に入りの長編に出会って、その世界に身を浸す喜びは、なかなか他に代えがたいものがありますね。(p.117)
 長編なんて読んだのは、学生時代だけだけれど、没入とかいう感じはなかった。P・バックの 『大地』 は、おもしろかったから瞬く間に読み終えたというだけの感じだったし、ドストエフスキーなんて、強烈につまらなかったから、没入なんてドデカイ重石を上から載っけられたってできないような代物だった。
 『風と共の去りぬ』 だけは アシュレを追って少しは没入していたかも。
             【 『風と共に去りぬ』 】

 

 

【江戸文化の背骨】
谷沢 : 江戸時代の本を読む人たちは、 『徒然草』 の注釈書で、李白を知り、杜甫を知るという次第となった。すべての入り口は 『徒然草』 であったわけです。貞了5年(1688)に 『徒然草』 の注釈書を集めた 『徒然草諸抄大成』 という20巻本が出されますが、これが江戸文化の背骨です。(p.158)
 へぇ~。

 

 

【 『十八史略』 】
渡部 : 『十八史略』 については、この本を知らなければ江戸時代の人の常識がわかりません。それに 『史記』 を全巻読むのは本職でなければ大変ですが、シナの歴史のエッセンスは 『十八史略』 で十分つかむことができます。(p.141)
 こっちも、へぇ~。

 

 

【面子と面目】
谷沢 : 瀧川(政次郎)は東大系の主流ではないから、膨大な著作があってもあまり世間に評判が立っていませんけど、満州の建国大学に籍を置いていたし、北京にも何年間かいて、シナ人の性質、習慣を語らせたら抜群です。
 たとえば、いま日本の辞書では、「面子」 を 「面目」 と訳していますが、瀧川はこのふたつの言葉は意味がぜんぜん違うという。武士の面目にかけて約束したことは守る。ダメなら切腹する。これが日本における 「面目」 である。シナの 「面子」 は、どんな嘘を言ってもその場を切り抜けることである。それができないと面子が潰されたとあるわけです。(p.185)
 死して誠を貫かんとする日本人と、嘘をついてでも生を維持する中国人。
 「誠」の日本と 「詐」 の中国。これこそ、日中の文化の違いである。
   《参照》   『歴史から消された日本人の美徳』 黄文雄 (青春出版社)
               【日本人と中国人の違い】

 

 

【安藤次男の 『完本風狂始末』 】
谷沢 :これは、学界を挙げて無視黙殺されている本です。専門を自称する学者は、芭蕉7部集の文献目録に入れないのだから、この世にそんな本はないというわけです。(p.149)
渡部 : 一般読者の方も、学界が意外にボスの偏見を守る集団になっているということを知ったほうがいいでしょう。そして、学界に無視されながら読まれている本というのは、本当に凄みのある本という点を、読書を一生の仕事にしてきた人間としては強調しておきたい。(p.151)
 お二人の対談の中では、必ず、学界が無視する良書を教えてくれている。下記もそれである。

 

 

【小西甚一 『日本文藝史』 】
谷沢 : この本は、日本文学史を紐解く上でこれ以上の一冊はないでしょう。
渡部 : これだけの本を学界が無視するというのも情けない話です。しかし、読者はバカでもないですから、いい本は救われます。
 『日本文藝史』 は、最初から最後まで読みとおさなくても座右に置いて、自分が興味を持った日本の文学書はどんなものであるかを当たるときにはいいですね。(p.159-162)

 

 

【ゾンバルト】
谷沢 : 大塚久雄周辺があまりにも緊密にウェーバー学派を作って、マックス・ウェーバーの天敵ゾンバルトを無視した。日本の学者の悪いところは敵の本を読まないことで、日本の軍部と一緒です。「敵の本も読め」 と、私は言いたい。 ・・・(中略)・・・ 。
 私は翻訳だけしか見てないけれども、少なくとも翻訳で読んだ限り、ウェーバーの著作に大塚流の定理は一字一句も書いてない。大塚が心で読んだのでしょう。そして、矢口孝次郎はじめ数え切れないほどの人がそれを批判していますが、大塚は、あるいは大塚学派は、いっさい答えない。日本の学界というのはおもしろいところです。要するに、豪華な宮廷にいるから、野犬がどう吠えようと知ったことではないわけです。
   《参照》   『いま大人に読ませたい本』 渡部昇一・谷沢永一
              【『恋愛と贅沢と資本主義』】

 ”学界を仕切る人とか知的権威者って変な奴ばっか” と思わせても悪いから、最後にそうじゃない真っ当な学者さんもいることを示して締めておく。

 

 

【シュンペーターと東畑精一】
谷沢 : 世界の大工業を起こした人は全部、素寒貧から始め、信用を得て、資本を投資してもらって企業を大きくした。この信用ということを強調したのがシュンペーターです。 ・・・(中略)・・・ 。
 シュンペーターを日本に紹介したのは東畑精一と中山伊知郎の二人ですが、最後までシュンペーターに尽くしたのは東畑で、 『経済分析の歴史』 も訳しています。 ・・・(中略)・・・ 。
 それにしても、戦後、社会的影響力を持った人で、東畑精一ほど威張らなかった学者は珍しい。
渡部 : 東畑精一の晩年は美談ですね。学者の生き方としても美しい。(p.214-217)
 
 
 

<了>