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 既読の渡部先生の著作に中に書かれていることが多いけれど、この著作は、一貫してラディカルという言葉に則して著されているので読みやすい。2004年4月初版。

 

 

【プライド】
 敗戦で 「歴史」 を奪われ、プライドを傷つけられた被害がいちばんよく現われているのは男です。男は、ある面では女より傷つきやすいところがある。これは俗語ですが、男性性器がぴんと立った状態を英語で 「プライド」 といいます。男のほうがプライドを害されやすいのです。
 戦後の日本人はプライドを傷つけられ、誇りを奪われたのです。(p.85)

 戦後の日教組教育で育った人たちは 「戦前の日本は悪かった」 「封建的で後れていた」 と、そんなことばかり教え込まれたものだから、すっかりプライドを失ってしまったのです。(p.86)
 私は、それほど 「日本は悪かった」 とか 「後れていた」 と教育された印象は残っていない。むしろ、今頃の学生のほうが、日教組教育に洗脳されているらしいことを感じている。
 私が日本のことに関して、誇りを持つようになったのは、95年あたりから多く接するようになった韓国人留学生の “日本人は悪辣である“ といった発言に晒され続けたからである。そんな発言を繰りかえし聞かされていれば、日本人なら誰だって腹が立つであろうし、反論したくもなるのが普通である。だから、それらの発言が事実かどうか調べるために、一般書店で売られている本の記述を寄せ集めて、自分で書いたのが 日韓政治経済  というフォルダー内の記述である。大体2000年頃から、韓国人留学生に印刷して渡し続けていた。
 韓国人の主張の根拠がデタラメであり、度を越せば本当に日本人の逆鱗に触れるよ、と教えるために書いたのである。だから反韓という内容で書いてはいない。
 韓国も日本もメディアや教育は、 「分断と統治」 を基本とする欧米の闇の権力支配下に置かれているのだから、本当は、そのことに気付けなければいけないのである。自分自身で本を読んで真実を探そうとする意志のない人々は、永遠に真実を知らない。つまり、本を読まない人々はプライドを持てないどころか、生涯に渡って烏合の衆なのである。
   《参照》   『にんげん』 船井幸雄 (ビジネス社)
            【アメリカに制圧されている広告業界=テレビ界】

 

 

【朝日新聞】
 渡部先生は、左翼サイドの朝日新聞のデタラメ記事に対して、事実を示してデタラメであると我々に教えてくれてきた。
 朝日新聞を大和言葉、つまり 「訓」 で読んではいけません。これは 「音」 で読むべきです。そうすれば朝日新聞の正体がはっきりします。「朝日(ちょうにち)新聞」 です。ご丁寧なことに 「朝(ちょう)」 のほうが 「日(にち)」 よりも先にきています。まさに名は体を表わす、です。(p.91)
 この辛辣な記述は、あまりにもよく出来過ぎていて、何故か笑える。
 訓読みの 「あさひ」 は、まさに日本文化の根源たる “日本の朝“ を示しているけれど、音読みは漢語に基づく読み方であり、中国を背景にしていることまで示していたりする。
   《参照》   『愛・日本語と太陽神のきずな』 立神正行 (たま出版) 《後編》
             【太陽】 ~ 【大日如来】

 

 

【中村敬宇の 『自助論』 】
 幕府の時代は 「セルフ・ヘルプ」 ではありません。すべて殿さま次第です。 ・・・(中略)・・・ 「セルフ・ヘルプ」 という概念はほとんど持たなかったのです。(p.143)
 『西国立志編』 と銘打って中村敬宇が訳した 『自助論』 は、徳川から明治に時代が変わって、これからどう生きたらいいのかと思っている人たちにものすごいインパクトを与えました。(p.144)
 明治維新直後と同じように、現代こそが、セルフ・ヘルプの精神を要する時代であると、渡部先生は書いている。なのに、格差社会に直面して、現在の若者は、逆に大企業志向・公務員志向になっているという。経済的安定志向と言うことなのだろうけれど、自らの意志を喚起するよりも “殿さま次第“ で生きることを選んでいるようなものである。

 

 

【女性の本当の発育】
 カレルは 『人間 この未知なるもの』 という名著の中で、子どもを二人か三人以上生まないと女性として本当の発育はないと書いています。(p.166)
 私の妻も娘時代は非常に体が弱くて、 ・・・(中略)・・・ とにかく結婚するまでは体が弱かったと聞いています。ところが結婚して20代に子供を3人生むと、どんどん丈夫になりました。 ・・・(中略)・・・ 
 子供を生むことがいかに女性を健康にするものか。アレキシス・カレルのいうとおりだと思います。(p.167)
 子供を生む過程を経験しながら、新たなホルモンが分泌することで、女性を生理的に変容させているからなのである。女性でありながら、妊娠・出産と言う過程を経験しないなんて、ただただモッタイナイとしか言いようがない。

 

 

【酒田市の本間家】
 本間家も、私有財産を破壊するような戦後の諸々の法律によってほとんど資産を失ってしまいます。しかし関連企業を育てて奨学金を出し続けました。私ももらいました。終戦直後、いちばん財産が底をついたころでも、2か月に1400円、ひと月700円ずつもらった記憶があります。それは生活費としてもかなりの額でした。私はそれで高い本だけを買いました。奨学金で買った本の第1号は研究社のラテン語辞典です。(p.202-203)
 この酒田市の本間家以外にも、鶴岡市の風間家も奨学金を支給していたという。私有財産でそんな素晴らしい行いをしている家があったという話は、私自身の地元では聞いたことがない。
 私有財産は、使い方によってはいかに大きな力を発揮することか、この挿話からもわかるはずです。だから私など、戦後の社会主義的な改革なかりせば、とつくづく思います。(p.203)
 日本も50年ほど前まで、地方行政は、農作業の合間に手弁当で行われていたと聞いている。私有財産を公に施すような篤志家がいれば、そのような行為が規範となって、地方行政の腐敗や怠惰もそうは起こらなかったはずである。
 今の地方公務員は、手弁当で公務を行うどころか、露骨に税を貪りながら実に優雅な仕事に励んで(?)いる。
 私などは、山梨県甲斐市という地方行政の教育課の次長という人物に、やるかやらないかは良識的な判断だけの具体的なアイデアを提示しておいたら、1週間かけてまだ審議中と言っていたから、「今結論を出して下さい」 と居座ったら、「帰ってください」 に次いで 「警察を呼ぶ」 と言うのである。だから私から110番して警察官に来て傍聴してもらい、私が提案した、時期が遅れては価値を失ってしまうアイデアの進捗を図ったほどである。市という小さな地方行政であってすら、そこまで怠惰かつ傲慢になり下がっている。
 社会政策と社会主義政策には天地ほどの差があります。似ているように見えてまるで違うのです。(p.205)
 手弁当時代の地方公務員は、社会政策の実施者だった。
 現在の地方公務員は、社会主義政策の恩恵を貪り食うだけの寄生虫である。

 

 

【根を求める】
 タイトル解題として、あとがきに以下のように書かれている。
 シュタイナー学校の見学に行ってみると、そこの児童達の描く草花の絵に、根っこまで描いてあるものがいくつもあった。もちろん草花の根は写生する児童の肉眼には見えないのだが、心眼には見えているらしい。
 この 「根が見える」 というのが面白い。 「根」 はラテン語で radix (ラーディックス) という。 ・・・(中略)・・・ これが英語に入って radical (ラディカル) になると、「根の」 とか 「根本的な」 という原義を離れて、「根本的変革を求める」 とか 「過激な」 という意味の方が普通になり、「過激派」 という名詞としても用いられるようになっている。
 私は一人の日本人として戦前・戦中・戦後の日本を体験した。特に戦後の日本社会について時々考えてきた。すると、ある時期から日本社会の諸問題の 「根」 が見えてきたような気がする。 「根(ラーディクス)」 の話だから、どうしても言葉が 「過激(ラディカル)」 になってしまうことについては読者の御海容を乞う次第である。「根を求める」 ということは、私の専門である文献の学問でも ad fonts (アド・フォンテス 源泉へ) ということが基本なので、私には肌が合ったことである。(p.221-222)
 渡部先生は、この著作では社会問題の 「根」 を語ってくれているけれど、他の著作では、日本文化(民族)の 「根」 だったり、様々な 「根」 を示して教えてくれている。
 そもそも 「根」 から離れてしまったら、植物は枯れるし、人生とて意味を失うし、家の誇りも失われ、国家は亡国へと向かうだろう。 特に、日本と言う国家において 「根を求める」 とこをしなくなったら、それこそ留めようがないのである。
 
 
<了>