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 中盤以降には、ご自身が天草四郎時貞であった前生の因縁話から始まって、霊能者状態で感得した様々な霊界話がたくさん書かれている。著者の経験した実話ばかりだから、非常に迫力があっておもしろかった。317頁の本を全然長いとは感じなかったほどである。
 「自分って、運が悪いなぁ~~~」 と思っている人は、この本の中にある幾つもの因縁話を読めば、その原因やヒントが掴めるかもしれない。

 

 

【自分こそ自分の神】
 いちばんいけないのは、そういう問題を解決するために、霊能者のところへ行ったり、占い師のところへ行ったりして、〈人の力をあてにする〉、という態度なのです。宗教というのはそういう弱者の傲(おご)りにつけ込む、という部分で成立していることがあるのも事実です。それは、自分は楽をして、能力のある人に見てもらい指示を与えてもらって、その通りにやればいい、というイージーな考えを持っている限り、決して幸福にはなれません。(p.89-90)
              【最後に贈る言葉】

 

 

【善人が成功できない理由】
 善人が貧乏したり、悪人が富裕になったりする矛盾は、そのエネルギー(念力・思い込む集中力とその持続力)の違いから生じてくるのです。善人は概して欲が薄く、諦めやすいので、その願望成就のエネルギーが弱かったり、持続力がなかったりする場合が多いのです。
 悪人はだいたい、執念深く、奸智にたけて、欲望達成のための集中力と持続力のエネルギーが強いのです。(p.92)
 商売をしている人々が、「仏教は、あきまへんわぁ」 という理由がこのあたりにあるのだろう。
 信者の浄財で生活しているお坊さんは、綺麗事を言っていればいいけれど、在家で稼がなければならない人々は、それだけでは済まされない。
 ならば、善人が成功するためには、どうすればいいかというと、下記。

 

 

【真の成功者】
 悪人が持っているところの願望成就に対していつも念じ続けるエネルギーの集中力と持続力とを、善人のままで同じものを持つということです。善人であっても豊かな暮らしをしている人たちも大勢います。その人たちは善人特有の長所に加えて、悪人が持っているところの激しいエネルギーと、集中力と持続力とを努力して身につけた人たちです。
 こういう人々を〈真の成功者〉というのです。(p.93)

 

 

【改名すればいいってもんじゃない】
 改名というものは、先の先祖供養を実行して初めて効力を発揮するものです。それが何よりも大事なのです。姓名学上悪い名前でも、先祖供養を大事にしている人はかなりの成功をしています。その反対に、いくら姓名学上素晴らしい名前でも、ご先祖及び神仏をおろそかにしている人は大した効果が期待できません。(p.117)
 運命改善にとって、最も影響力が大きいのが “先祖供養” ということなのだろう。

 

 

【〈わび・さび〉に注意!】
 〈わび・さび〉も、それは確かに風情があって落ち着いてよいけれど、元気に働く人は、〈わび・さび〉はやめたほうがいいと思います。生命力がなくなります。やる気がなく、ただボーッと西に方を眺めながら、坐ってお茶でも飲んでいるというご隠居さんにはいいでしょうけど、バリバリ働いていろんなことをやって、新しい発見をして、「ようし、やるぞ」 というふうに生きたいと思う方には、わび・さびのお住まいは向きません。お召し物もそういうものにすると若年寄りみたいになってしまいます。(p.130)
 美輪さんは、赤い下着を勧めている(p.127)。風水によるエネルギー補給理論である。やはり、日本人に比べて、はるかにパワフルな中国人や台湾人のエネルギーは、あの赤や金といった色彩を好んで取り入れていることに由来しているらしい。
   《参照》   『台湾網路』 渡邉ゆきこ (ボーダインク)
             【赤い下着】

 因みに、日本文化の〈わび・さび〉については、下記参照。
   《参照》   『美しい日本語の風景』  中西進  淡交社
             【わび:わびる】~【さび:さびる】

 

 

【日本という国土のエネルギー】
 外国人が日本にやってきて、その来たばかりの頃の外国人は猛々しく闘争的で、非常に禍々しく感じる人でも、日本に長くいると、だんだん穏やかで優しい人になってくるのです。私は何人もの欧米人が日本に来てから丸く変わってゆく様子をいろいろと見てきました。(p.144)
 日本語が話せるようになれば、この傾向はより一層顕著になる。日本語自体が、この国土のエネルギーに深く関与しているからである。
   《参照》   日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】

 

 

【職業が招く大凶運】
 凄まじい状況に見舞われている家族の様子が、5頁にわたって記述されている。怨念霊の主体は、署内の評価を上げるべく苛烈に行動した税務署員の処遇によって一家心中に追い込まれた男性。
 現れた霊は、「ただは殺さぬ」 と言います。
「生かしておいて、苦しめて苦しめて、この世の苦しみを全部味わわせてやる。それから最後に命をとる。皆殺しにする。自分のところもこいつのために皆殺しにあったのだから」 と言うのです。
 恐ろしい話でしょう? 税務署の人たちはよくお読みくださいね。(p.240)
 法律に則して容赦なく裁こうとすれば、その見返りは、未来へ、そして家族全員へと跳ね返ってくる。税務署員のみならず、裁判官や警察官は、人を裁くが故に最悪の未来を受け取る可能性が高い。
 そもそも大方の法律などと言うものは、正義を文章化したものなどではない。法律に依拠する職務が傲慢を招いていることに気付けないのなら、それは知的にも人間的にも露骨に劣っているからである。
   《参照》   『風の谷のあの人と結婚する方法』 須藤元気 (ベースボール・マガジン社)
             【マストの本質】

 

 

【バカは死んでも治らないから・・・・】
 “バカは死ななきゃ治らない” という言葉がありますが、バカは死んでも治らないのです。ですから、今世のうちに、生きているうちに問題を解決しておかなければならないのです。そうしないと、あの世まで持ち越すことになるわけですから。そして怨霊にならなければならなくなる。生きているうちの心掛けがいかにモノを言うかということなのです。(p.245)
 悪人ほど念が強く心掛けが悪いのだから、そんな悪人が死ぬ時の怨念は凄まじい。しかし、いくら善人だって完全なる冤罪で罪を着せられたら、その怨念は悪人の比ではないだろう。菅原道真の例がある。事実無根の噂話に加担する者達は怨念の巻き添えを食うことになる。

 

 

【お寺や神社の隣接地】
 神社やお寺の真ん前とか、すぐ隣というのは〈位高〉と言って神仏の領域なのです。(p.288)
 以前からいろいろ面倒を見て上げていた俳優のTさんの新築祝いに行ってみたら、神社の隣接地でしかも3階建てで神社を見下ろすかたちになっていたのだという。買い替えることを強くアドバイスしておいたけれど・・・
 それから後に彼が、今度は都内のAというところに家を買ったという話を聞きました。 ・・・(中略)・・・。
 結局彼は自殺をしてしまったのですが、お葬式の時に初めてその家に行きました。すると、なんとお寺と神社に挟まれた家だったのです。きっとまた私に怒られると思って引っ越したことを知らせなかったのでしょう。後で知ったのですが、その家を設計したアメリカの建築家は本国に帰ってから自殺していたそうです。
 しかもその家は、彼が若い頃、ある女性と同棲していたアパートの五軒先でした。きっと呼ばれたのでしょう。その女性は海に入水自殺しているのです。(p.289-290)

 

 

【霊=人間】
 逆も考えてみてください。人間というものは霊と同じくらい怖いということです。妬みもし、僻みもする。人殺しもすれば、騙しもする。陰謀を巡らせる、人の足を引っ張る。裏切る。罠を仕掛ける。詐欺も働く。嘘をつく。そして人を貶める。ですから、霊が怖いというのは人間が怖いということなのです。人間は目に見えるから、皆さん怖がらないだけなのです。
 かたちとして見えるか見えないかの違いだけで、中身はまったく同じことなのだ、ということを、私は切に述べたいのです。(p.317)
 「タイトルと違うじゃん」 と思うだろうけれど、これがこの本の結びである。

 

 

<了>
 

  美輪明宏・著の読書記録

     『愛の話 幸福の話』

     『乙女の教室』

     『霊ナンテコワクナイヨー』

     『ぴんぽんぱんふたり話』

     『人生讃歌』

     『ああ正負の法則』