出版元の編集者から送られて質問メールに対する回答という構成でできている。自己啓発系の著作をたくさん読みすぎている人には、それほど際立った記述があるように思えないだろうけれど、よくこなれた表現で記述されていると思う。
時に、くだけた記述を笑いながら読めて、なかなか楽しかった。2006年8月初版。
時に、くだけた記述を笑いながら読めて、なかなか楽しかった。2006年8月初版。
【異分野の書物を読むこと】
そもそも、ビジネスマンは押しなべて多くの本を読んでいる。地方でボーっとして生きている公務員の平均読書量の5倍以上は確実に読んでいるはずである。つまりビジネス書の多くは、多くの読者の批判にたえるだけの内容をもっているのである。ついでに言えば、公立高校の生徒は私立高校の生徒に比べて悲惨ということでもある。
あなたは某雑誌においてビジネス書を紹介していたようだが、ビジネスマンでない人がビジネス書を読んでどんな意味があるのだろうか。(p.27)
上記の編集者の質問に対する回答。
違った業界や分野の本を読むと、すべてが新鮮なので得るものが多いはずです。また、意外なところで自分の人生に役立てられる考え方や重要なヒントに出会うことがあったりします。実はすべてがつながっているのです。(p.28)
この著作のテーマからは外れてしまうけれど、チャンちゃんが付け加えて書けば、ビジネスマンの著作は他分野の著作に比べて時流に即して新鮮であること。そして、具体的で明晰な記述に満ちているので、あまり冴えていない状態の頭でも駆動させてもらえる、という2つのメリットがある。特に海外でも活躍しているビジネスマンの著作などは、非常に有用な具体的事実が記述されているものであるし、文化比較という点においても役に立つ。そもそも、ビジネスマンは押しなべて多くの本を読んでいる。地方でボーっとして生きている公務員の平均読書量の5倍以上は確実に読んでいるはずである。つまりビジネス書の多くは、多くの読者の批判にたえるだけの内容をもっているのである。ついでに言えば、公立高校の生徒は私立高校の生徒に比べて悲惨ということでもある。
【視点を変えることの有用性】
上記の回答には、続きがある。
そもそも、性別を変えて輪廻転生しつつ学びを繰り返している魂からみれば、純粋にストレートな人などいないはずなのである。いかに社会的な刷り込みが強いか、ということである。
上記の回答には、続きがある。
自分の性別を逆転させて世の中を見ると、新鮮でおもしろい発見があるものです。自分が男性なら女性になったつもり、女性なら男性になったつもりで生活してみるのです。もちろん、トイレは性別を変えて入りません。あと女装、男装もしなくていいです。したければどうぞ。
僕もよく女性になっています。美容室に行ったときは、内股で座って女性誌を読んでいます。お気に入りは、もちろん 『主婦の友』。
といっても、ゲイではないので、なったつもりになるだけです。
有名なアーティストにはゲイやレズビアンの方が多かったりしますが、それはなぜかというと、双方の性の心理から物事を発想できるので、表現方法がとても豊かだからです。だからこそ素晴らしい作品を生み出して、多くの人の心をとらえることができるのです。(p.28-29)
逆転の発想という言葉は、昔から言われているけれど、きまじめな人には、性差を逆転させるところまではなかなか発想が及ばない。僕もよく女性になっています。美容室に行ったときは、内股で座って女性誌を読んでいます。お気に入りは、もちろん 『主婦の友』。
といっても、ゲイではないので、なったつもりになるだけです。
有名なアーティストにはゲイやレズビアンの方が多かったりしますが、それはなぜかというと、双方の性の心理から物事を発想できるので、表現方法がとても豊かだからです。だからこそ素晴らしい作品を生み出して、多くの人の心をとらえることができるのです。(p.28-29)
そもそも、性別を変えて輪廻転生しつつ学びを繰り返している魂からみれば、純粋にストレートな人などいないはずなのである。いかに社会的な刷り込みが強いか、ということである。
【波紋の法則】
子供の中には、すべて独り占めしようとするさもしい子もいれば、先んじて手を出さずに残っていればもらう子もいれば、それらにほとんど無関心な子もいる。しかし、くれるのが仕事のサンタさんに、プレゼントをあげようと発想する子は、極めてまれだろう。故ないことではない、易経もサンタさんも北極星が本地なのである。
世の中には 『波紋の法則』 というものがあり、与えれば得られるというようにできています。水溜りの中心に水滴を落とす ―― そうすると、波紋が広がっていきます。やがてその波は外側の壁にぶつかって跳ね返されて、結局は中心へと戻ってきます。これと同じことなのです。
・・・(中略)・・・
与えるといえば、僕は小学校二年生のとき、サンタさんに逆にプレゼントを贈ろうとしていたことがあります。お父さんに習って作った手作りの干物・・・それはもう臭かったですが、サンタさんはちゃんと持っていってくれました。そして三日後、僕の枕元になぜか日本語で手紙が届きました。
「ひもの、おいしかった。さんた」 (p.48-49)
『無意識はいつも君に語りかける』 に書かれていたけれど、著者は小さい頃から 『易経』 に触れて生きてきたような人だから、先天的に霊性の高い人なのだろう。・・・(中略)・・・
与えるといえば、僕は小学校二年生のとき、サンタさんに逆にプレゼントを贈ろうとしていたことがあります。お父さんに習って作った手作りの干物・・・それはもう臭かったですが、サンタさんはちゃんと持っていってくれました。そして三日後、僕の枕元になぜか日本語で手紙が届きました。
「ひもの、おいしかった。さんた」 (p.48-49)
子供の中には、すべて独り占めしようとするさもしい子もいれば、先んじて手を出さずに残っていればもらう子もいれば、それらにほとんど無関心な子もいる。しかし、くれるのが仕事のサンタさんに、プレゼントをあげようと発想する子は、極めてまれだろう。故ないことではない、易経もサンタさんも北極星が本地なのである。
【のび太の自立】
《参照》 『アーリオーン・メッセージ』 アートライン・プロジェクト (徳間書店)
【自立】
上記の書き出しに続いて、現実のオチが書かれている。
人はある程度の 『段階』 にまでくると、他人に寄りかかることがむしろ自分の力を弱めることだと認識できるようになります。
実は 『ドラえもん』 は、第6巻で一度、最終回を迎えているのです。そのエピソードはまさにそうなのですが、未来に帰ることになったドラえもんに対して、のび太は自立しようとする。自分の弱さに立ち向かう感動的なエピソードです。(p.77)
先生や、親や、宗教にいつまでも頼っていたり依存しているというのは、おかしいことなのである。実は 『ドラえもん』 は、第6巻で一度、最終回を迎えているのです。そのエピソードはまさにそうなのですが、未来に帰ることになったドラえもんに対して、のび太は自立しようとする。自分の弱さに立ち向かう感動的なエピソードです。(p.77)
《参照》 『アーリオーン・メッセージ』 アートライン・プロジェクト (徳間書店)
【自立】
上記の書き出しに続いて、現実のオチが書かれている。
でも翌月には大人の事情でドラえもんが帰ってくるのです・・・・。 (p.77)
【ケツ顎】
ケツ顎とは、真ん中がへこんでいてお尻みたいな顎のこと。
人相占いでは、ケツ顎は人気を気味するわけで、コンプレックスどころか人気商売には最適というお墨付きをもらえるのである。
ケツ顎とは、真ん中がへこんでいてお尻みたいな顎のこと。
俳優のジョン・トラボルタは非常にキャッチーなケツ顎をされているわけですが、あれをコンプレックスだと思いたければ、いくらでも思えます。でも、トラボルタ氏はそれを受けいれて、むしろ魅力にしています。ですから映画の中でも華麗なステップを踏んで、観客を魅了することができるのです。(p.86)
この記述は、たとえ奇矯であっても個性として受け入れることのメリットを表現する記述の中にあるものだけれど、このケツ顎に関しては、人相学の知見があれば、受け入れて克服するまでもないことである。人相占いでは、ケツ顎は人気を気味するわけで、コンプレックスどころか人気商売には最適というお墨付きをもらえるのである。
【 「焼き鳥」 と 「やきとり」 】
ちなみに 『焼き鳥』 と 『やきとり』 は違うもので、前者は鶏肉、後者は豚肉を意味するそうです。(p.91-92)
えぇ~~~ホント? 知らんかった。
【いつまでも若々しくいるには】
好きなことをして、あっという間に一日を過ごした人は、
本当にあっという間の分しか歳をとっていない。
いつまでも若々しくいるには、好きなことをしながら生きること。 (p.102)
その通りなのだけれど、現在の地球上で生きている人々は、つまらない毎日を過ごしていても、時間の経過が非常に早いと誰もが感じているはずである。現在の地球は、宇宙の仕組みの中にあって時間の加速過程に入っている。本当にあっという間の分しか歳をとっていない。
いつまでも若々しくいるには、好きなことをしながら生きること。 (p.102)
【時間の短縮】
【マストの本質】
must を条文化している法律というのは、まさにマストそのものとして認識されているのだけれど、これらの殆どは、普遍性や人間の真実を代弁するというような代物では全然ない。
例えば、今やメーカー各社が「必要ない」といっている車検制度などは、高度成長期に全産業の30%を占める車業界を賦活させるのが主たる目的でできた制度というだけのものなのに、車検切れ翌日に乗っているのが発覚すると、警察官は、人命尊重という虚飾を語りつつ、何ら故障のない車をレッカー車で運ばせて多額のレッカー費用と道路交通法違反の反則金を払わせるのが、マストの業務になるのである。 これは一例だけれど、社会的価値観を規定するマスト(法律)を遵守するというのは、このように生活者自身を守ることよりも拘束するために機能しているものなのである。(車検制度の今日における意味と実態は、クルマ業界ではなく車検業界の雇用維持のためである。つまり公務員による公務員のためのカツアゲである)
『マスト』 の本質とは何かというと、『他者の価値観に従う』 ということです。つまり、自分の人生を生きていないということになります。(p.111)
社会的規範に従う優等生として振舞わなければならない公務員に囲まれていると、民間企業人は大いにストレスを感じる場合がある。must を条文化している法律というのは、まさにマストそのものとして認識されているのだけれど、これらの殆どは、普遍性や人間の真実を代弁するというような代物では全然ない。
例えば、今やメーカー各社が「必要ない」といっている車検制度などは、高度成長期に全産業の30%を占める車業界を賦活させるのが主たる目的でできた制度というだけのものなのに、車検切れ翌日に乗っているのが発覚すると、警察官は、人命尊重という虚飾を語りつつ、何ら故障のない車をレッカー車で運ばせて多額のレッカー費用と道路交通法違反の反則金を払わせるのが、マストの業務になるのである。 これは一例だけれど、社会的価値観を規定するマスト(法律)を遵守するというのは、このように生活者自身を守ることよりも拘束するために機能しているものなのである。(車検制度の今日における意味と実態は、クルマ業界ではなく車検業界の雇用維持のためである。つまり公務員による公務員のためのカツアゲである)
公務員というのは、こういった本質を一切考えることなく、マスト(法律)を遵守することで社会的正義を体現し維持している立派な人格者集団であると思い込んでいるらしい。
親が公務員の場合、子供は反面教師として親を見て自分の頭で考えるようにならないと、愚鈍の轍に嵌るのである。チャンちゃんの親は公務員だった。
親が公務員の場合、子供は反面教師として親を見て自分の頭で考えるようにならないと、愚鈍の轍に嵌るのである。チャンちゃんの親は公務員だった。
【『私たちが』が幸せになる】
《参照》 『中国人の金儲け日本人の金儲けここが大違い!』 宋文洲 (アスコム) 《前編》
【三方よし】
『私が』 幸せになるのではなく、『私たちが』が幸せになる ――
いつもそう考えて行動していると、最終的には大きな成功がやってくる (p.133)
地球規模の環境問題ともなれば、We are the world. とすぐに思えるけれど、案外、身近な日常では誰もが自己中になりやすい。このことの弊害を昔からよく知っていたのは日本人の商人たちであり、平均値が下がっているとはいえ世界の中で優れているのも、やはり現在の日本人ビジネスマンたちである。いつもそう考えて行動していると、最終的には大きな成功がやってくる (p.133)
《参照》 『中国人の金儲け日本人の金儲けここが大違い!』 宋文洲 (アスコム) 《前編》
【三方よし】
【タイトル解題】
と書かれているけれど、これは、完全回答であろう。
裁き裁かれ、勝り敗れする世界は、どこまでも不完全な世界である。「すべての生命が喜びと愛にあふれる」ような完璧な世界など、この地上には全然なくとも、それを希求しつつ耐え忍んで生きる人々は、必ずそのような世界に参入できるだろう。そんなことなど一考だにすることなく、我良しで阿漕に生きたい人はそう生きればいい。何度でも、この地球と同じような星に生まれ変わることは可能である。
僕は、自分なりの哲学や思想を、テーマごとにこの本にまとめてみました、その中ですべてに通じて言いたいことは、「すべての生命が喜びと愛にあふれることが真の成功なり幸福である」 ということ。
『風の谷のあの人と結婚する方法』 というタイトルにしたのも、ひとりひとりがナウシカに象徴される自然に対する敬意と、愛と慈悲なる形而上的な何かにつながる、という意味を込めて付けさせてもらった。(p.179)
「すべての生命が喜びと愛にあふれることが真の成功なり幸福である」『風の谷のあの人と結婚する方法』 というタイトルにしたのも、ひとりひとりがナウシカに象徴される自然に対する敬意と、愛と慈悲なる形而上的な何かにつながる、という意味を込めて付けさせてもらった。(p.179)
と書かれているけれど、これは、完全回答であろう。
裁き裁かれ、勝り敗れする世界は、どこまでも不完全な世界である。「すべての生命が喜びと愛にあふれる」ような完璧な世界など、この地上には全然なくとも、それを希求しつつ耐え忍んで生きる人々は、必ずそのような世界に参入できるだろう。そんなことなど一考だにすることなく、我良しで阿漕に生きたい人はそう生きればいい。何度でも、この地球と同じような星に生まれ変わることは可能である。
<了>
須藤元気・著の読書記録