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 意味不明なタイトルを見ると放置できない性ゆえに、釣られて買ってしまった。あとがきに書かれていたことによると、カルロス・カスタネダに教えを垂れていたドン・ファンによる境界意識としての神の比喩だという。(昔懐かしい本の話である)。この本は、著者のブログを元に編集されたという。2007年4月初版。

 

 

【読書の目的とは?】
 僕も読書は好きで読むのだが、始めはその知識が増えていくことだけに喜びを感じていた。しかし、あるとき気がついた。
 読書とは読んで知識を増やすことだけが目的ではない。あくまでも知識を生活に適用し、その質を高めることに目的がある。(p.62)
 これは、遅かれ早かれ誰でもいずれは気付くこと。生活の質は魂の質に還元される。上質な魂への案内書というのは、主に古典として古くから存在していて、それ以外には世の中にそんなにあるものではない。その点から言えば、チャンちゃんの読書記録の98%は書かれる必要のない無駄な読書記録である。しかし上質な本なんてそんなにあるものではないから仕方がないことだし、無駄がなかったらチャンちゃんなんて容易に発狂してしまうからこうならざるをえない。
 そもそも賢明に高密度で生きている人ならば、こんなにダラダラと読書記録を続けているはずがないのである。魂を磨き輝かせようとする知行合一や事上練磨に移行しないダラダラ読書は、はっきり言って空費であり無駄である。
   《参照》   『神霊界』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》
             【 「事上練磨」 の陽明学】

 

 

【ビジネス事初め】
 僕は19歳の夏、突如、ビジネスを始めようと思った。
 理由は、怪我で大学のレスリング部を休部しており、学校も休みになり、暇でなおかつお金がなかったからである。
 そこで「これならこの夏休みを使って自分でビジネスを始めればいいんだ」という結論に至った。しかし問題になったのが、資本金がない。腕力以外に特殊な技術がない。働いたこともない。彼女も・・・・いない。
 ビジネスで失敗する人間は2種類あるという。
 考えたけれども実践しなかった人間と、実践したけれども考えなかった人間と。
 ということは、考えた上で実践すれば、おのずと結果は付いてくるはずではないか。
 そう思った僕は、とにかく頭だけで考えるよりも目で見て考えた方がアイデアが湧くと思い、本屋に雑誌を読み漁りに行った。(p.66)
 翌日には販売開始というスピード企画で、結果は上々だった。
 僕は夏休みをこれだけで終わらせたくなかったので、土日だけ店を出して残りは旅行をしたりした。それでも1日で平均4万円の売り上げがあり、週二日働いて月約30万円になったのである。(p.68)
 思考と行動と読書が、様々な不純物を挟むことなくダイレクトに結びついているのが、著者の凡人とは違った人生の輝きになっているんだろう。リングを降りてからも、いろんな分野で活躍を続けている。

 

 

【世界を止める】
 知覚の拡張は感じるものであって、本からだけでは決して理解はできなく、理性を超える経験がなければ、日常を超えた感覚はもたらされない。
 それはなぜかというとスピリチュアルな領域は、言葉に置き換えることができない体験だからである。
 禅問答が、わざと論理的な答えが見つからないような質問をして、顕在意識を混乱に陥れ、もう一つの奥の知覚を引き出そうとするように、合理的知性ではたどり着けない領域というものがあるのだろう。(p.117)
 思考でも行動でも読書でもなく、体験によらなければ得られないものがある。スピリチュアルな世界は、現実の世界を止めたときに顕れやすい。芸術家たちは、プラトンがイデアを希求したように、こっち側であっち側の世界を表現しようとする人々である。
 芸術的行為は意見を述べることは出来るが説明は難しい。(p.72)
   《参照》   『虫眼とアニ眼』 養老孟司・宮崎駿 (新潮文庫)
             【養老さんの「芸術論」】

 

 

【オニューのパンツと同じくらい・・・】
 とても効率の良い投資活動は読書だと思う。
 まず、著者が何年もかけて得た方法や物語を1~2時間で吸収できる。また、自分のボキャブラリーの数が増す。他にも、さまざまなシチュエーションに置かれた人間の心理や傾向を学ぶことで、人生の視野を広くすることができる。そう、オニューのパンツと同じくらい、良いこと尽くめなのである。(p.132)
 本は、確かに投資効率がいい。それ間違いない。
 ところで、「なんでここで、オニューのパンツなの?」 と爆笑してしまった。
 オニューのパンツって、そんなに「良いこと尽くめ」だろうか?
 よくわからん。

 

 

【世界のどこでもホームと呼ぶ時代を・・】
 なにはともあれ、この旅行で美味しい韓国料理を食べることが出来たし、エネルギーを感じることができた。国内も良いが海外に行くと経験値が格段に上がる。そして帰りの飛行機のなか、お土産のキムチを見つめているとき、不意にインスピレーションがわき上がった。
「いつかは世界中の人々が海外をアウェーと呼ぶのではなく世界のどこでもホームと呼ぶ時代を造り上げよう」
 僕はキムチの香りとともに、自分のやるべき仕事を見出した。(p.176)
 素晴らしい考えではないか。
 スポーツの国際試合を見ていて、日本が勝てばとっても嬉しいけれど、負ければしょげかえるだけの人って、ちょっと淋しい。相手国が勝った場合でも、相手国の国民の立場になって同様に歓喜できるなら、素晴らしい人間性を備えた人といえるだろう。数十ヶ月もの間、世界中を旅して歩いているバックパッカー達や、複数の国を巡った経験のある人々は、自ずとこの様な考えに収斂して行くものだろう。

 

 

【偉大なる愛】
 高校生のころ、ストリートミュージシャンをしていた。 ・・・(中略)・・・ 高校二年生のクリスマスイブ、彼女のいなかった僕は、友人を誘って表参道のケヤキ通りで歌う計画を練った。
「俺たちはロックに魂を売ったんだぜ。クリスマスイブに女と過ごすような軟弱ではロッカーとは言えない。ファッキンクリスマス」
 と自分たちの立場の正当化を図った。
 ここで初めて自分の曲をつくった。タイトルは「俺は仏教徒」 (p.206-207)
 失笑というか・・爆笑である。
 人が混雑している中、何曲か演奏してさっそく新曲「俺は仏教徒」を歌った。
 ・・・(歌詞・略)・・・
 すると、沢山の恋人たちが足を止めて聞いてくれた。
 歌い終わると温かい拍手とギターケースに小銭を頂き、優しい声をかけてくれた。クリスマス気分を壊してやろうとしていた僕たちのパフォーマンスも、恋人たちはプレゼントとして受け入れてくれたのである。
 愛し合う人たちを見て、僕は自分の大きな過ちに気がついた。自分はあらゆるものと繋がっていること、そして、愛に対してはどんな攻撃も無力だということを。(p.208-210)
 そう、愛に対してはどんな攻撃も無力である。
 恋人のいない淋しいロッカーにとっても、クリスマスイブは無条件にホームだったのである。
 この日、地球全体は全ての人々にとってのホームである。たとえ戦争中であっても休戦日なのである。
   《参照》   『戦場のアリア』 英・仏・独・合作
 アウェーなんて、永遠になくそう。
   《参照》   クリスマス (キリスト意識の目覚めとは・・・)

 

 

<了>

 

  須藤元気・著の読書記録

     『今日が残りの人生最初の日』

     『レボリューション』

     『愛と革命のルネサンス』

     『幸福論』

     『バシャール スドウゲンキ』

     『神はテーブルクロス』

     『風の谷のあの人と結婚する方法』

     『無意識はいつも君に語りかける』