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 中欧(ウィーン、ブタペスト、ドレスデン、プラハ)を巡った旅の記録が書かれている。2009年5月初版。

 

 

【中欧】
「中欧ですか」
「ウィーンを中心に18世紀から19世紀にかけて黄金時代を築いた中欧は、政治史、思想、文化などあらゆる分野で大きな理想を育み、そしてある意味燃え尽きていったんだよ」
「燃え尽きたんですね」
「そう、たくさんの汗と涙と血を流してね」 (p.4)
 ハプスブルグ家の繁栄と共に栄えた中欧には、綺羅星の如き天才たちが集い、世界精神を牽引していた一時代があった。

 

 

【タイトル解題】
 1930年代にウィーンで一旦失われた理想主義という「愛」は、1950年代になって再びウィーンで発見されたのだ。そんな物語が僕は好きである。(p.52)
 ここで著者が言っている「愛」とは、政治的な「理想主義」のこと。スターリンもヒトラーも「理想主義者」と言うことになる。つまり、ヒトラーによる過度な理想主義故に、中欧に集っていた天才たち、数学者のゲーテル、物理学者のアインシュタイン、コンピューターを発明者したフォン・ノイマン、原爆を開発した オッペンハイマー 等はみな追われてアメリカに移住してしまった。
 しかし、これによってウィーンの火が消えたのではなく、新たなパラダイムをもたらす偉人たちが出現した。その代表が、アーサー・ケストラーであり、アーヴィン・ラズロ である。
 さまざまな苦悩を経て、彼(ケストラー)は『真昼の暗黒』(名前がカッコいい)という著書でスターリニズムを弾劾し、スターリニズム=理想主義という幻想にとらわれていたヨーロッパの知識人たちの多くに気づきをもたらしたし、やがて世界に新しい価値観をもたらすことになるのである。(p.51)

 ケストラーについては、下記リンクでも記述されている。

    《参照》   『レボリューション』 須藤元気 (講談社)

               【人間の脳の生物学的構造問題】

 

 

【アーサー・ケストラー】
「ケストラーは誰もが疑わなかった古典物理学的な世界観にもとづいた還元主義に異議を申し立て、20世紀の新しい量子論的な世界観を導いた先駆者だ」 (p.50)
 少し強引かもしれないが、僕がスローガンにしている 「We are all one」 がそれほど違和感なく言える下地をケストラーが創り出したと言えなくもない。(p.51)
 下記リンクに、ケストラーの2著作の写真が掲載されている。
    《参照》   『複雑系の経営』  田坂広志  東洋経済  《前編》
              【 「機械的世界観」 と 「要素還元主義」 】

 

 

【ブタペストのシナゴーグとアシュケナジー】

 ガイドブックには、ここは1859年に完成したビザンチン・ムーア様式の建物で、ヨーロッパで最大のシナゴーグであると書いてあった。
 ブタペストは、アシュケナジーと呼ばれる東欧系ユダヤ人の物語抜きには語れない場所だ。その精神的な中心であるシナゴーグは、理想主義探検隊としては見ないわけにはいかないのである。(p.94)
 今日の世界情勢に深く深く係っている2つのユダヤ人(スファラディーとアシュケナジー)に関しては、下記リンクのコメント末にあるリンクを。
    《参照》   『宇宙一切を動かす「数霊」の超メッセージ』 はせくらみゆき・深田剛史 (ヒカルランド)
              【135】
    《参照》   『リチャード・コシミズの未来の歴史教科書』 リチャード・コシミズ (成甲書房) 《前編》
              【本当はユダヤ人】
 アシュケナジーの偉大な思想家アーサー・ケストラーは、晩年自らのルーツをたどる著書『ユダヤ人とは誰か』を執筆している。それによれば、西暦1200年前後までカスピ海と黒海のあいだの草原地帯に栄えた、ユダヤ教を国教としたカザール王国こそが自らのルーツであると結論している。・・・中略・・・。
 アシュケナジーをめぐる繁栄と迫害の歴史は、そのまま近世の文明史の光と影そのものであるように僕は思えるのである。
 先日、僕はある国際的な研究機関が推進している人類学的なDNA検査プロジェクトに参加した。人類のルーツを探る世界規模のプロジェクトだ。
 その検査データによると、意外なことに僕のY染色体はアシュケナジーと遠い関わりがあることがわかった。もちろん、僕の両親は先祖代々日本人なのだが・・・・人種に関わらず人類は皆兄弟ということだろう。(p.160)

 

 

【ブタペストクラブの基本理念】
 1993年、ハンガリー政府支援のもと、有名な賢人会議「ブタペストクラブ」を設立した。
 ブタペストクラブの基本理念となっているのが、「自分自身を変えることによってのみ、私たちは世界を変えることができる」というラズロ博士の提唱する量子論的な世界観だ。(p.104)
    《参照》   『あなたは世界を変えられる』  アーヴィン・ラズロ&西園寺昌美  河出書房新社
              【黄金律】
              【ブタペスト・クラブ】
 ラズロ博士も述べているように、世界はすべて互いに「量子真空場(アカシックフィールド)」を介してつながっている。
 どこかで誰かを虐げれば、それは間違いなくいつかどこかで、違うカタチで自分に返ってくる。その逆に、他者を癒すものは、やがて自分も癒される。
 因果応報は科学になったのだ。(p.118)

 

 

【知的エネルギーの源】
 イタリアのチェーチナに住んでいるアーウィン・ラズロ博士を訪ね、ケストラーやラズロ博士を輩出したハンガリーという土壌に関して質問すると、ラズロ博士は以下のように答えた。
「ハンガリーは、歴史的に多くの変化を受けてきました。すっと強国の対立に挟まれてきたのです、第二次大戦中はドイツとソビエト、もっと前はトルコとモンゴルの対立に挟まれていました。そうした中で生活していると、変化が激しすぎて、広い視野に立たざるをえないのです。ケストラーもハンガリーからオーストリアに移住していますから、私と同じく、ハンガリーにずっといたわけではありません。しかし、ハンガリーでの生活で心が開かれた状態になっていたのではないかと思います。さらに、私たちは何とかして自分たちで国家を守ろうと、必死に抵抗していました。だから、常に緊張が存在していたんです。東欧全体にもいえることですが、その緊張が知的エネルギーの源になったのかもしれません」 (p.176)

 

 

【量子場における時空間を超えた繋がり】
「思考が現実を作り出す関係」をオカルトとして扱う時代は、おそらくアーサー・ケストラーが予想していたよりも早く終わっている。
 そして、それはアーヴィン・ラズロ博士がその著書で指摘しているように、量子レベルの非局在的な絡み合いという現象が、僕らの生活レベルの世界でも実験的に確認できるという話につながる。
「僕たちは時間と空間の枠を超え、他のものすべてとつながりあっている」 (p.153)
「非局在的な絡み合い(エンタングルメント:Entanglement)」という用語がポイント。
    《参照》   『この世のすべては波動でわかる』 ジュード・カリヴァン (徳間書店)
              【量子の非局在性=量子もつれ(エンタングルメント)】
 いま、時代が一巡りして、この、200年ほど世界を導いてきた中欧発の機械論的世界観は、やはり中欧出身のラズロ博士などに代表されるであろう先鋭な知性による量子論的な世界観へと交代しつつあるようだ。
 それによれば、非局在的な絡み合いという、時間と空間をまたいだリアリティこそがこの宇宙の本質であり、そのつかみどころのない多チャンネルの平行宇宙を理解する鍵となるのが、僕ら一人ひとりの意識ということだ。
「ある意味、この世界は僕らのフィルムという名の意識を集めた映画を見ているのにすぎず、世界を変える一番の近道は一人ひとりのフィルムを変えることに尽きる」ということなのだろう。(p.183-184)
「多チャンネルの平行宇宙を理解する(=多次元世界を理解する)」とは、「時間に関する、過去・現在・未来という概念こそが虚構であることを理解する」ということでもある。
   《参照》   『魂の伴侶と出会う旅』 ドリーン・バーチュー (クレイヴ出版) 《前編》
             【時間の概念が変容する】 
 

 

 

【進化論のウソ】

 ダーウィンの進化論もまた古典物理学、還元主義的な世界観の産物であり、それはある意味当然のことかもしれない。
 しかし、その進化論もいまや単純な弱肉強食の適者生存理論ではなく、リン・マーギューリスさんの共生進化論が広く受け入れられつつあり、ダーウィンの旗色は悪い。(p.118)
    《参照》   『この地球を支配する闇権力のパラダイム』 中丸薫 (徳間書店) 《前編》
              【進化論では説明できない「アイマラ」という言語】

 

 

【カフェ】

 それにしても、ウィーンの街を歩くとカフェの多さに驚かされる。かつての黄金時代、こうしたカフェに芸術家やジャーナリストなどが集まり、あれこれ主義主張をぶつけ合い、ついには世界の歴史の方向性まで左右してしまったのかと想うと、都市における趣味のよいカフェの存在の重要性というものを感じる。
「良いカフェが文化を作るのかもしれない」 (p.32)
 新たな発想を生むためには、様々な考え方が交錯し得る場所が必要。カフェは異分野の人々が気楽に会話できる格好の場所、即ち発想の母体となっていた。
 わざわざこれを書き出したのは、同質社会である日本人の発想力の限界を指摘する文章を読むことが多いから。考え方・発想・職業等々、何もかも「同じであれば安心」、という傾向の人々が集う社会からは、旧弊を打破し、社会を変革するようなインパクトのある思想など決して生まれはしない。それどころか“壊死”が進むだけである。
    《参照》   『スタンフォードの未来を創造する授業』 清川忠康 (総合法令) 《前編》
              【“異質な”者たちが集ってこそ生まれるイノベーション】

 

 

【ドイツ国内におけるライカ】

「このカメラの充電器が必要なんですが」
 ところが、鳶色の目をした若い男性店員は当たり前のように「ライカは扱ってないです」と言った。
「それよりニコンの新製品が入荷していますが、見てみませんか?」
 ドイツ製のカメラなのに、ドイツの店で扱っていないというのはいったいどういうことだろう。日本で寿司屋さんに入ったらウニは扱っていませんと言われるようなものではないか。つまり高級品という意味だが。
 ドイツ国内のライカのポジションとはこんなものだったのかと意外は事実に愕然。 (p.137)
 この話、別の本でも読んだ記憶がある。

 

 

【勇者と凡人】
 勇者はすべてを挑戦として受け入れ、凡人はすべてを幸運か不幸として受け入れるのだ。(p.146)
 これは、チェコのプラハで、タクシーに遠回りをされてカツアゲされた時のことに絡んで書かれているクロージングなのだけれど、普通の男性なら、おおよその距離から不正を見透かすことはできるだろう。しかし、それでも何も言わず、盲目的に受け入れるなんぞは凡人以下である。
 チャンちゃんは、目的地の前を素通りして稼ごうとしていたタコに、「Stop here!」 と言葉の威力で急停車させたことがある。

 

 

【バドワイザー】

 チェコのバーで使うビールグラスは全部バドワイザーがスポンサーということなのか。
 何か納得がいかないままホテルに帰ると、僕はチェコビールについて遅ればせながらインターネットで検索してみた。
 すると驚いたことに「バドワイザー」はチェコビールが本家ということらしい。(p.150)
 へぇ~。
 日本人の多くは、バドワイザーと言えば、下記の著者同様にアメリカン・ブランドと思っているだろう。
    《参照》   『ハリウッドではみんな日本人のまねをしている』 マックス桐島 (講談社新書) 《中編》
              【馬の小便】

 ウィキペディアには、本家とは無関係のドイツ系移民がアメリカでバドワイザーをヒットさせたと書かれている。そして訴訟の結果、チェコ側が北米および米国保護領に限り商標権を放棄することで合意した、と。

 

 

<了>