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 マンハッタン計画のプロジェクト・リーダーだったオッペンハイマー。原爆開発に関連する当時の科学者達と、原子核理論の関係が簡単に書かれていてわかりやすい。
 120ページの書籍なので、90分でわかるのはちょっと無理。

 

 

【ブラックホールを導き出したオッペンハイマー】
 オッペンハイマーとスナイダーはこの方程式を解いてみた。すると、巨大な天体は燃え尽きるとき、自分自身に重力のために急激に収縮していき、奇妙なことが起こる、ということがわかった。空間が途方もなく大きく曲がり、星の表面から放たれた光も大きく曲げられて、また星の内部に戻ってしまうのである。こうなると、星の内部の出来事は外部の世界から一切遮断される。
 ・・・中略・・・。
 アインシュタインの 「場の方程式」 に対するこのような回答は、どの専門家にも納得のいかないものだった。アインシュタインにも、信じられないものだった(公の席ではっきりと 「滑稽だ」 とののしっている)。(p.45-46)
 一般相対性理論から導出される 「場の方程式」 の理論解からブラックホールを導き出していたのは、オッペンハイマーとスナイダーだった。アインシュタインではない。

 

 

【ロスアラモス研究所】
 荒野に突然あらわれたこの街に、選りすぐりの科学者が3000人も住むことになった。(p.62)
 ノーベル賞クラスの頭脳が一堂に会したと言ってもよい。(p.64)
 極秘に進められていた計画だから、数十人規模だったのだろうと勝手に思い込んでいたけれど、実際はとんでもないビックプロジェクトである。理論で構成する科学者の他に、製造技術者も必要だったのだから、これくらいの人数になるのは、冷静に考えてみれば当たり前なのだろう。
 ロスアラモス研究所(実験場)の他に、核分裂の連鎖反応に関するフェルミの発見を元につくられたプルトニウムの巨大な生産工場が、オーク・リッジやハンフォードにあった。これらを一緒にしたら総数は一体どれくらいになったのだろう。

 

 

【核分裂を起こさせる方法と威力】
 「砲撃式」 ならば秒速1000mのスピードで打ち込むことが必要で技術的に無理。それで専ら 「爆縮法」 によって核分裂を起こさせる実験を行っていた。周辺の爆薬の威力で誘爆するのに、円筒型で行っていたけれど何度もの実験で成功を得られず、最終的には球型で可能になった。
 爆発の威力は、TNT(トリ・ニトロ・トルエン:通常の爆薬)5000トン相当と計算されていたけれど、実験の結果はその4倍だったのだという。
 着火(誘爆)に必要なエネルギーは計算で得られているのに、爆発の威力が正しく計算されていなかったという話が、なんだか妙である。

 

 

【バガバッド・ギータ: 『聖なる神の歌』 】
 シェルターのなかの人間たちは畏怖の念に打たれていた。巨大なキノコ雲があらわれ、四万フィートの高さまで昇っていった。
 オッペンハイマーはやせ衰えた顔に恐れの表情を見せながら、古代インドの叙事詩 『聖なる神の歌』 の一節をつぶやいた。

   我は死なり
   我は世界の破壊者なり   (p.89)
 超高温にさらされなければ生じ様のないガラス状の地層がインドにあることを、オッペンハイマーは既に知っていたのだろう。それにしても、反核を叫ぶ人々が原爆を危惧する根拠として、このインドの古代都市の有り様を知ってギータの一節を述べているのならわかるけれど、開発者本人が、成功した時点でこの一節をつぶやいていたというのは、かなり不気味である。
 核による世界の終末が世界の言論界に溢れていたのは、キューバ危機の頃をピークに東西冷戦が終わる頃までだった。
 現在は、核戦争による終末の危機に変わって、温暖化による地球環境激変の危機にある。キャスティングボードを握っているのは、政治家ではなく地球である。
 
 
【退任演説】
 オッペンハイマーはマンハッタン計画を成功させ、日本へ原爆2発の投下を完了した1945年10月、ロスアラモスを去るにあたり退任演説でこのように言ったという。
 「戦火のやまぬ世界の武器庫に核兵器が加えられるのなら、人類はロスアラモスの名を呪うことになるだろう・・・」 (p.95)
 自らが呪われることは覚悟できていたらしい。オッペンハイマーさん、ちょっとまとも。
 2年後には、アインシュタイン、ゲーテル、フォン・ノイマンといった世界の天才たちが集うプリンストン研究所の所長の地位についている。科学者としての頂点を梯子しているという凄さ! 
 しかし、露骨に人を軽蔑するというような性から、敵対者も多く、暫くして赤狩りの餌食にされたという。

 

 

【復権】
 オッペンハイマーに復権の日が訪れるのは、9年後のことである。1963年11月、ケネディ大統領が遅まきながら、オッペンハイマーにエンリコ・フェルミ賞を授与することに決めたのである。この高名な賞を受ければ、名誉は回復されたも同然である。ところが、オッペンハイマーに賞を授ける決断をしたその日に、ケネディ大統領は暗殺されてしまう。(p.104)
 後を継いだジョンソン大統領から賞を受け取るが、4年後の1967年に喉頭癌でこの世を去る。62歳だった。
 

<了>