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 文庫本よりやや横幅の広いこの本、外装も内装もちょっといかしている。口語で記述されているからスラスラと読みやすかった。美輪さんの年代の方々は、たいてい古き良き時代の日本文化を良く知っているから、それを若者世代に向けて伝えてくれている。2008年8月初版。

 

 

【色気のある女性】
 『エロ』というのは、形のあるもの。(p.85)
 『色気』というのは、形のないものです。露出度ゼロの和服を着て向こうを向いていても、その後ろ姿からでも、そこはかとなく漂うもの。後ろからそっと近づいていって、ぽん、と肩をたたいたときに、振り向いて「なあに?」と優しく微笑む、それが色気。振り向きざまに顔をしかめて「何よ!」というような女は、どんなにおっぱいを見せびらかしていても、色気があるとは言えません。
 つまり色気の正体は “上品な優しさ” です。 (p.86) 
 ちょっと意外な説明にも思えてしまうけれど、以下のようにまとめられている。
 つまり、 ”人間らしさ”とは”優しさ”であり“色気”でもあるのです。性別に関係なく、外見にも関係なく、年齢にも職業にも学歴にも家柄にも関係なく、人として優れているかどうかが、その人の絶対的な魅力になるのです。
 おっぱいを見せびらかす代わりに、きれいな笑顔をお見せなさい。(p.90)

 おっぱいは「エロ気」で、綺麗な笑顔は「色気」。

 お脳のネジが緩むと、エロ気と色気の境が不明確になる。

 ネジが外れると、境が無くなる。

 

 

【人間がその生涯をかけて求めるべき、究極の境地】
 “上品”というのはそもそも、仏教用語。魂がどれだけ浄化されているかを表す言葉でした。・・・(中略)・・・。
 その魂が霊界から飛び出し、現世において形になったものが、人間です。この世でさらに修業を重ね、“上品”に近づくために、この世に生まれてきたのです。
 つまり品位というのは、魂の優劣を決める絶対的な価値観。 “上品”は本来、人間がその生涯をかけて求めるべき、究極の境地です。(p.96)
 
   《参照》   『美人のお作法』 友常貴仁 (インデックス・コミュニケーションズ)
             【 「品がいい」 は最高の褒め言葉 】

 

 

【進化のための左見右見】
 「とみこうみ(左見右見)」という言い回しを、ご存知ですか?
 知りませ~~ん。
 初耳ならぬ初メメ。辞書を引いたらちゃんと出ていた。「左見右見」は当て字とある。
 ある出来事を、こちらから見たりあちらからみたり、近くで見たり遠くから見たり、上から見たり下から見たりすることです。 ・・・(中略)・・・ 
 多面的にものをみるということは、一面的にものを見て判断するよりもずっとずっと、健全なこと。独善的、独断的になる危険性を回避できます。自分は正しい、自分はこれでいいんだ、自分はこうなんだ。そう思い込み、自分を肯定してしまうと、進化がなくなります。とみこうみを駆使して、これでいいのだろうか? こうも考えられるのではないか? そう思考錯誤するところに、進化があるのです。(p.136-137)

 

 

【見猿・聞か猿・言わ猿】
 日光・東照宮にある目と耳と口を隠す三匹の子猿の彫刻「見猿・聞か猿・言わ猿」をご存知ですね? 悪いこと、イヤなこと、禍々しいことは、見ない、聞かない、口にしないほうが平和に生きていけるという人生訓が込められています。
 この教えは人間関係にも当てはまります。他人のイヤなところや欠点も、我関せずで、知らなければ仏のような穏やかな気持ちでいられます。「知らぬが仏」です。(p.152-153)
 この記述の後に、人間関係を良くして幸せに生きるための極意は “腹八分目” ではなく “腹六分目” がちょうどいと書かれている。他人のイヤなところや欠点は4割くらいまでも看過する生き方が相応しいということだろう。
   《参照》   『大天運』 深見東州 (たちばな出版) 《前編》
             【四勿主義 : 三猿の原典】

 

 

【美輪さんの髪が黄色い理由】
 美輪明宏についての疑問と不思議にお答えしましょう、というページがある。
Q なぜ、髪が黄色いのですか?
A 前世がトウモロコシだから。イヤ、ピカチュウでしたからです。お金もたまる色ですし、ハイ。
 へえ~、知らんかった。美輪さん、前世はトウモロコシやピカチュウだったんだぁ~。
 でも、ホントは違う。たぶん、ウコンを食べ過ぎたウンコ。 (すみません)
 美輪さんは黄色も金色も多用しているけれど、以下のような根拠に基づいているんだろう。
   《参照》   『福禄寿 幸せの暗号(言霊・音霊・色霊・数霊)』 白峰 (明窓出版)
             【運命を変えるゴールドエネルギー】

 

 

【どうせウンコの素なのにネ】
Q 好きな食べ物は?
A ありません。出されたものはおいしくいただきますが、私は、食べ物に執着がないのです。 ・・・(中略)・・・。美食家と称する連中が料理に関するウンチクをあれやこれやと語るのも、傲慢でいやらしい印象です。そういう方たちの話が耳に入ると、「どうせウンコの素なのにネ」と、心の中でつぶやいております。(p.220)
 高度な霊性を有する人々は、その繊細な感性が味覚にも及んでいるため、美食傾向になりがちらしいけれど、「どうせウンコの素なのにネ」という意見には大賛成である。悪乗りして書いてしまえば、「生物学的人間なんて、単なるウンコ製造マシンである」
 それにしても、現在の日本人は、「生きるために食べる」を越えた大いなる過剰(蕩尽)の世界で生きているんじゃないだろうか。
   《参照》   『大地という名の食卓』 石川直樹  数研出版
             【豊かであり、貧しいということ】

 

 

【芸術】
 人間の肉体を健康に保つためには食料が必要です。同様に人間の精神を健康に保つために必要不可欠なものが、芸術です。(p.249)
 芸術って、お腹の足しには全然ならないけれど、人間の高度な進化というテーマに則して言えば、「上品さ」と同様に不可欠な要素であるらしい。
   《参照》   『神霊界』 深見東州 (たちばな出版) 《中編》
             【魔界と正神界の違いを峻別する “芸術性と美” 】

 「芸術」を、精神を健康に保つための食物のようなものとして語っている美輪さんは、精神を健康に保つための主食として「ロマン」を挙げている。(p.287)
 ロマンを失うと芸術自体が心の中で干乾びてしまうだろう。そして、それを放置すれば、挙句の果ては、人生を物・金だけの尺度で生きるようになってしまう。そうなったら、人生に意味なんて、もう全然ないのと同じだろう。

 

<了>
 

  美輪明宏・著の読書記録

     『愛の話 幸福の話』

     『乙女の教室』

     『霊ナンテコワクナイヨー』

     『ぴんぽんぱんふたり話』

     『人生讃歌』

     『ああ正負の法則』