一昔前、草柳大蔵さんがお嬢様向けの著作 をいくつも書いておられたけれど、すでに故人となってしまわれている。この手の本は、著者のような日本文化の継承者として日本文化に見識のある方が書くに相応しい本なのだろう。単なる作法のルール本ではないから読んでいてためになる。
【中国茶の作法】
古代中国が生みだした文化の多くは一旦絶たれている。それを保管し、さらに洗練させて中国に再補給しているのが日本である。元のルーツが中国だからと言って平身低頭するのは謙虚なのではなく、日本文化に対する本質的無知のなせる業である。
緑茶の飲み方は、中国明代のお坊さんが日本に伝えました。でもその後、明が滅んで清に変わったときに、中国ではお茶の飲み方も途絶えてしまいました。
ところが日本では緑茶の作法は長く残り、江戸時代には文人の間で煎茶道が流行して、一般の人も喫茶の習慣を持つようになりました。文人が使っていた水滴(書道で使う小さな水入れ)が急須になり、酒盃が茶碗となったので煎茶を飲む器も小さい器なのです。そして小さい器で作法し続けたからこそ、玉の露の味が生まれたのです。
さかのぼればたしかに喫茶の習慣は中国から日本に伝えられましたが、それを磨き上げて高めたのは日本の文化です。小さな器を使う中国茶の飲み方も、日本から逆輸入して作法が作られました。
昨今、創作された日本人向けの中国茶の作法をわざわざ習うなら、その前に日本のお茶の作法を心得ていただきたいものです。(p.16-17)
現代中国で使われている漢字の多くも、日本人が西欧の書物を翻訳した時に創作されたものが逆輸入されたのと同様、中国茶の作法も日本人が磨き上げた物が逆輸入されたのである。ところが日本では緑茶の作法は長く残り、江戸時代には文人の間で煎茶道が流行して、一般の人も喫茶の習慣を持つようになりました。文人が使っていた水滴(書道で使う小さな水入れ)が急須になり、酒盃が茶碗となったので煎茶を飲む器も小さい器なのです。そして小さい器で作法し続けたからこそ、玉の露の味が生まれたのです。
さかのぼればたしかに喫茶の習慣は中国から日本に伝えられましたが、それを磨き上げて高めたのは日本の文化です。小さな器を使う中国茶の飲み方も、日本から逆輸入して作法が作られました。
昨今、創作された日本人向けの中国茶の作法をわざわざ習うなら、その前に日本のお茶の作法を心得ていただきたいものです。(p.16-17)
古代中国が生みだした文化の多くは一旦絶たれている。それを保管し、さらに洗練させて中国に再補給しているのが日本である。元のルーツが中国だからと言って平身低頭するのは謙虚なのではなく、日本文化に対する本質的無知のなせる業である。
【フレンチ・レストラン】
きちんとしたフレンチ・レストランでは、女性には値段の付いていないメニューを渡し、男性には値段の入っているメニューを渡すのはご存じのとおりです。(p.24)
そんなこと、ご存じじゃありません。行ったことないもん。万が一にでも行くことがあったら、女性に 「メニュー交換しようよ」 とかって言いそうな気がする。チャンちゃんがフレンチ・レストランに行ったらハレンチ・レストランになってしまう。
【シャンパングラス】
新聞に皇族のお姫様の結婚の折り、残念な写真が掲載されました。フロート型のシャンパングラスをお持ちの姿なのです。天下の帝国ホテル、どうしちゃったんですか? 安っぽい流行を取り入れて、皇族方の品位をおとしめるとは・・・。(p.39)
クープ型のシャンパングラスでなければならいない、と言うのである。
【エレガンス】
エレガンスは、上品であり、優雅であり、ちょっとお高くとまっている世界にあるのです。お気軽エレガンスなんてありません。ちょっと緊張した、かしこまったところにある上品さが大切なのです。(p.69)
ちょっとお高くとまっている人って、傍にいてほしくないけど、確かに、エレガンスはそういう人でないと相応しくないし、洗練された文化と言うものはそういう世界の人々によってこそ維持されてきたという紛れもない事実がある。
【祇園の芸妓さん】
その昔の芸妓さんたちは、明治時代になって没落した武家の女性たちでした。とくに財界・政界などの大物の相手をする女たちは、百姓の口減らしで売られてきた女たちではありません。家柄も教育もしっかりした女性たちで、きちんとした武家の作法を心得ていましたから、お金のある商人や町人が大変な興味を持ったのです。
そして、そうした教養や作法が、先輩から後輩へと引き継がれているので、今も祇園の花街は別格の存在なのです。(p.96-97)
祇園は教養や作法を維持する人材の宝庫だったからこそ、成り上がり商人たちもその世界を見聞したがっていた。祇園をエロ親父の邪心で推し量ってはいけません。そして、そうした教養や作法が、先輩から後輩へと引き継がれているので、今も祇園の花街は別格の存在なのです。(p.96-97)
【左・上位】
【左大臣・右大臣】
古い時代の日本には左大臣・右大臣という地位があって、左大臣のほうが上位、つまり左のほうが偉いという考えかたがありました。一方で、「右に出る者がない」 という言葉もありますが、これは中国からきた言葉で、日本では基本的に左が優先です。(p.76)
お雛様の起源となった、東福門院が興子内親王(明正天皇・女性)のためにつくった挿絵には、男雛は右(向かって左)、女雛が左に描かれています。つまり、最上位の天皇が左側に位置していたということなのです。(p.77)
《参照》 『柔構造のにっぽん』 樋口清之 朝日出版社お雛様の起源となった、東福門院が興子内親王(明正天皇・女性)のためにつくった挿絵には、男雛は右(向かって左)、女雛が左に描かれています。つまり、最上位の天皇が左側に位置していたということなのです。(p.77)
【左大臣・右大臣】
【作法の元】
《参照》 『絶筆 日本人への遺言』 草柳大蔵 海竜社
【畳の縁を踏まない】
左手を右手の上に重ねるというのも、武家の作法がもとであり、西洋の握手と同じ発想である。
日本文化が “左を上” とみたことについて、この著作にも書かれていないけれど、恐らくは、能のような幽玄な世界を芸術にしている日本文化の本質は “霊主体従” に置かれているからではないだろうか。言霊上 「左」 は 「霊足り」、 「右」 は 「身ぎり」 である。
古代から天皇は霊性あってこその存在である。それを補佐する武士も天皇に則するのが当然である。
なぜ畳の縁を踏んではいけないかご存知でしょうか。お作法の先生でも、その理由を知っている人は少ないかもしれません。(p.106-107)
これについては、下記の著作と同じことが書かれている。《参照》 『絶筆 日本人への遺言』 草柳大蔵 海竜社
【畳の縁を踏まない】
左手を右手の上に重ねるというのも、武家の作法がもとであり、西洋の握手と同じ発想である。
作法というのは、それを知っているか知らないかで、こっそり仲間外れにするシステムでもあります。(p.109)
しかし、右手が上と教えている作法の流儀もあります。これは江戸時代のインチキ礼法書が流行したときの間違えがそのまま残ってしまったものです。 (p.108)
公家や武家のお高くとまった態度にムカついた町人が、あえて右手を上にする作法を流行らした、ということも考えられる。しかし、右手が上と教えている作法の流儀もあります。これは江戸時代のインチキ礼法書が流行したときの間違えがそのまま残ってしまったものです。 (p.108)
日本文化が “左を上” とみたことについて、この著作にも書かれていないけれど、恐らくは、能のような幽玄な世界を芸術にしている日本文化の本質は “霊主体従” に置かれているからではないだろうか。言霊上 「左」 は 「霊足り」、 「右」 は 「身ぎり」 である。
古代から天皇は霊性あってこその存在である。それを補佐する武士も天皇に則するのが当然である。
【おちょぼ口】
【振り袖と留袖】
《参照》 『帯と化粧』 樋口清之 装道出版
【魂振り】
今、この留袖のところを書き出していて、「その家に一生留まります」 が 「一生トドまります」 となったので大層うろたえた。
岐阜県に、おちょぼ稲荷神社という商売繁盛の大変ご利益のあるお稲荷様があります。京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷と並んで、日本三大稲荷と呼ばれている稲荷神社です、この 「おちょぼ稲荷」 を漢字で書くと、「お千代保稲荷」 となります。
つまり 「おちょぼ」 というのは、「千代に保つ」 という意味で、「永遠にいいことが続きますように」 と願いが込められた言葉なのです。
美人は、口の奥までのぞかれるほど大口を開けて笑ってはいけませんし、大口を開けて食べてもいけません。幸せがどんどん逃げていきます。(p.120-121)
喉チンコまで見えそうなほどに大口を開けて笑っている芸人の 「まちゃみ」 さんは、幸せになれるだろうか? 本人がどうでも、それを見て真似をする日本人女性が増えることを大いに危惧せざるを得ない。つまり 「おちょぼ」 というのは、「千代に保つ」 という意味で、「永遠にいいことが続きますように」 と願いが込められた言葉なのです。
美人は、口の奥までのぞかれるほど大口を開けて笑ってはいけませんし、大口を開けて食べてもいけません。幸せがどんどん逃げていきます。(p.120-121)
【振り袖と留袖】
なぜ、未婚の女性が振り袖を着るのかご存知ですか?
長い袂を振るのは、いとしい人の心をこちらに招くという意味があります。女性が一目惚れした男性を招くための武器ということです。
結婚して袂を短く留めた黒留袖は、「色変わりすることなく、その家に一生留まります」 という女性の決意を表しているわけです。
袖も帯も、長く垂れ下がるのは、魂振りに由来している。長い袂を振るのは、いとしい人の心をこちらに招くという意味があります。女性が一目惚れした男性を招くための武器ということです。
結婚して袂を短く留めた黒留袖は、「色変わりすることなく、その家に一生留まります」 という女性の決意を表しているわけです。
《参照》 『帯と化粧』 樋口清之 装道出版
【魂振り】
今、この留袖のところを書き出していて、「その家に一生留まります」 が 「一生トドまります」 となったので大層うろたえた。
【 「品がいい」 は最高の褒め言葉 】
《参照》 『からだには希望がある』 高岡英夫 (総合法令)
【ゆるめる】
玄宗皇帝に寵愛された楊貴妃も、単なる美人であったのではなく霊性豊かな人だったからこそ寵愛されたのである。霊性豊かな人は、その審神力(さにわりょく)に相応しい高貴な神霊界を有している。本当に高貴な神霊界を背後に有している人は、近よってみるだけで、本当に 「清々しい」 し 「すずやか」 なのが感じられるものである。
「しながある」 という言葉があります。最高の褒め言葉です。現代語では 「品がある」 ということです。
では、「品がある」、つまり 「しながある」 とはどういう意味なのでしょうか?
実は 「しながある」 の 「しな」 は、「しなやか」 の 「しな」 です。(p.130-131)
しなやかな動きは美しいからなのだろうけれど、体の固い人はしなやかな動きができない。体の柔らかさは、霊性豊かな人の属性でもある。では、「品がある」、つまり 「しながある」 とはどういう意味なのでしょうか?
実は 「しながある」 の 「しな」 は、「しなやか」 の 「しな」 です。(p.130-131)
《参照》 『からだには希望がある』 高岡英夫 (総合法令)
【ゆるめる】
玄宗皇帝に寵愛された楊貴妃も、単なる美人であったのではなく霊性豊かな人だったからこそ寵愛されたのである。霊性豊かな人は、その審神力(さにわりょく)に相応しい高貴な神霊界を有している。本当に高貴な神霊界を背後に有している人は、近よってみるだけで、本当に 「清々しい」 し 「すずやか」 なのが感じられるものである。
古くは 「すてきな」 女性を形容するときに、「すずやか」 という言葉を使っていました。「すずやか」 とは、清く、さわやかであることを指し、すがすがしい様子をいいます。もともと 「さわやか」 の奥には、「すずやか」 がひそんでいたのです。(p.140-141)
友常貴仁・著の読書記録
<了>