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 帯には日本文化の背景が多く込められているけれど、化粧に関しては、そういった背景はあまり感じられない。江戸時代には、さまざまな化粧品が考案されていたことが記述されている。

 

 

【帯と紐】
 帯というものは、着物を整えるためのものではなく、その上に帯びるものです。外から見えるのが帯で、その下に紐を締めています。従って紐と帯は別物です。日本人だけが帯を締めていますが、世界の風俗で帯を締めているのはほかにありません。 (p.10)
 一般に 「帯を締める」 と言うけれど、著者は 「帯は締めるものではなく帯びるもの」 と記述している。しかし、男の着物では角帯でそのまま締めて、紐など使っていないと思うが・・・・。

 

 

【平安時代の美形】
 関白様でも栄養失調で次第に体位が下がっていくから、皆むくんで青ぶくれの顔をするようになります。これをもって栄養過多で、脂肪肥満などというのは大間違いで、ボーッとはれたような顔をしているのは栄養失調でむくんでいるからです。 (p.21)
 絵画に残されている典型的な平安美人のあの下膨れ顔は、栄養失調が原因だった。ホンマかいな?と思う。
 貴族が、台頭してきた平家に敗れたのも、貴族化した平家が源氏に敗れたのも、栄養失調が原因であると書いてある。貴族は武家より貧しかった? 著者の説を肯定する人々はどれほどいるのだろうか。

 

 

【太鼓帯】
 元来たいこ帯は男結びでした。云ってみれば皆さん方は、一種の男装の麗人、ボーイッシュスタイルと言うことになります。
 これは、深川門前仲町の芸者が、文政年間に亀戸天神の太鼓橋ができた日に、橋の渡り初め式に揃って結んだ帯が、この太鼓結びでした。(p.27)
 200種類近い帯の中で太鼓だけが定着します。男装の麗人に対するあこがれ趣味が、太鼓結びを固定させ、明治維新を迎えたわけです。 (p.70)

 

 

【水引(みずひき)の思想】
 昔は物をもらうと、水引だけは手でほどきます。昔は結んできたものはほどかないといけないことなんです。せっかく結ばれた魂を心をこめてこちらがほどいて、その魂を受けとろうという思想があるからです。(p.36)
 現在は、水引の絵柄が印刷されていたりするから、結んでもいないし、ほどきようもない。昔の思想はすっかり形骸化してしまっている。
  《参照》   『柔構造のにっぽん』 樋口清之  朝日出版社
            【「結び」の意味】
 ギリシャなどでは、結婚する時は男性が女性の、女性が男性の左第二の指に自分の愛情を込めたリボンを結びます。それが現在の結婚指輪の起源です。 (p.37)

 

 

【帯料】
 男は愛情の証に帯を送ります。結納の目録を見てごらんなさい。必ず帯料として帯が書いてあります。あれは魂を結び込めるための帯です。(p.40)
 帯は愛情の証であり、呪力をもつ神聖なものだった。結びに関しては、水引も帯も同様。
 現在の女性が、帯の思想的背景を知ってして、男性に結ぶネクタイを贈っているとしたら、旦那以外はややこしいことになってしまう。

 

 

【魂振り】
 帯は必ず一端が動かなければならないものなんです。昔の帯は結び目が垂れたものであって、それが風に動くことによって、魂が振り動かされました。これを魂振りといいます。 (p.43)
 古代人は、魂が躍動する様子を帯の結びの揺れに見ていたということなのだろう。

 

 

【名護屋帯】
 朝鮮出兵を企てた豊臣秀吉。そのとき、秀吉は肥前の国、名護屋に本陣を構えた。
 秀吉が名護屋に本陣をかまえたことを知って、ヨーロッパ人は鉄砲やいろんな薬品を売り付けに来るわけです。遊女と南蛮人が名護屋にたくさん集まり、この二つが合体して、日本の帯に革命を起こします。
 従来、小袖の上にわずかに細く締められていたくけ帯ですが、南蛮人の宣教師がガウンの上からなわ帯、丸打ちの組みひもの帯 ―― をグルグルと巻いているのを見て、人々は、これをたいへんハイカラなものと思って、小袖の上になわ帯をグルグル巻きにすることを覚えたわけです。ガウンに巻いたなわ帯の結び余りを房にしてぶら下げる結び方を、宣教師はしていますが、それをそのまま日本に持ち込んで、これを、地名をとって 「名護屋帯」 と称しました。日本人は初めて帯を広く巻くことをやったわけです。 (p.64)

 

 

【博多帯】
 男のほうは、幅の狭い、のちの角帯・・・ができます。この角帯の多くは中国の唐桟であったものですから、唐桟帯といったのですが、唐桟の織り方を博多でまねたので、地名をとって 「博多帯」 ともいいます。これが九州博多の名物となり、幅狭い帯として広がっていきます。(p.71)

 

 

【「元始、女性は太陽であった」 ささやかな証拠】
 当時の文学は万葉集、古事記、日本書紀、といずれも女性の方が上位です。この頃は夫婦という字で 「めおと」 と読みます。 「妹背の契」 も 「背妹」 とはいわない。女性がいつも上になります。 (p.81)
 だったら、むかし夫婦茶碗があったとして、大きい方を女性が使っていたのではないか? と思ったりもする。今時の男たちで専業主夫を希望する者は、率先して小さな湯呑を選びそうな気がする。
 
<了>

 

 

  樋口清之・著の読書記録

     『梅干と日本刀』

     『帯と化粧』

     『柔構造のにっぽん』

     『装いの文化』

     『大和の海原』