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 1980年初版の古書。國學院大學教授の著書なので、思想基盤はいうまでもなく神道である。

 

 

【かまどは魔よけだった】

 そこ(かまど)が神様のおられるところだから、かまどの上の壁や柱には、ひじょうにこわい顔をした鬼面を貼り付けてありました。これは、魔よけのまじないで、「三宝荒神」といった。火は清浄で不浄を嫌うといいます。そこで、このかまどの神を祭るのですが、この荒神をまつると、外から魔物が来ない。これは魔物を制するという考えがあったのでしょう。  (p.17)
 台所は火と水を使う。火気と水気が豊かな場所だから神気が宿る。神気とは、神(かみ=火水)気。
 仏壇や神棚に、水を供えお線香やロウソクで火をともすのは、神気を招くためである。
 
 
【刀自(とじ):酒造りの指導者は女性だった】
 酒造りの決め手は、麹菌やイースト菌の入れ具合、まさにさじ加減です。女の人はひじょうに肌の勘がいいから、酒造りの指導者は女性だったのです。やがて後に、男性が酒造りをするようになったときも、その指導者は女性の酒造りの勘を習って造ったので、刀自という女性の名前を名乗りました。いまは杜氏と書きますが「杜」は中国の文章で、「とじ」という発音は当て字です。
 「とじ」というのは、やはり女性を意味する刀自であって、昔は母親の尊称でした。これからみても、酒造りは女性の仕事だったことを証明しています。   (p.36)
 聖徳太子の夫人も「刀自子」と記録されていた。

 

 

【左大臣・右大臣】
 左大臣・右大臣というのがありました。これも天皇から見て左側が左大臣、右側が右大臣でした。京都の町も左京・右京と分かれています。・・・(中略)・・・。やはり、これも天皇は南を向いているものだから、天皇から見て左 --- 東側が左京、右 --- 西側が右京となっています。    (p.46)
 格が上なのは左大臣。京都も左京の方が先に発展し、現在の状況も変わらない。

 

 

【三下り半と縁切寺の関係】
 三下り半というのは、大宝律令の中にある「7去の制」のようなものに遡ることができるかもしれません。離婚できる7つの条件が示してあるからです。・・・(中略)・・・。これは男性の側の基準で決めた条例なのです。ぜんぜん女の立場が抜け落ちているのは、中国の法律をまねて作ったからでしょう。
 しかし、日本では古くから女性の方が家族内の財産を握っていたし、社会的地位も高いものでした。ですから、離婚するとしたら、男性の方からではなく、女性の方からだったでしょう。それで、離婚を拒否するのは男性でした。  (p.55)
 落語で、男性が女性に向かった三下り半をたたきつける話があるけれど、これは事実に合っていないという。
 離婚を拒否する男性に対して、女性がとった手段が、縁切寺へ駆け込むことである。
 昔は縁切寺はたくさんありました。いってしまえば、尼寺はことごとく縁切寺でした。縁切寺に入るということは、尼になることを意味しました。尼になるというのは、俗世間から離れるということで、一方的に離婚もできました。つまり、そこが治外法権というか、一種のアジール(神聖域)だったからです。  (p.57)
 縁切寺として有名な鎌倉の東慶寺。女性が離婚したいと思えば、縁切寺へ駆け込み、お金を納めておけば、役人が離婚証書を持って男の家に行ったのだと言う。縁切寺とは、離婚調停を功徳にした寺ということである。
 

【「結び」の意味】
 名目は帯と小袖。帯というのは、魂を結びしめるもののことですが、この結びの信仰は、日本ではずいぶん古くからあります。   (p.65)
 帯結びは家の象徴結びであり、愛情のしるしであり、そして結社に対する帰属を示していたのです。この結社とは、共通のひも結びをした 「ゆい」 というグループのことです。  (p.68)
 結びは魂結びというように呪術的な行為として、そして帰属を示すものとして継承されてきた。
『古事記』 の 「神武天皇記」 の中に、神武天皇とニギハヤヒノミコトが出会う場面がある。
ニギハヤヒが 「自分は天孫だ」 と言っても信じなかった神武は 「ひも結びを見せろ」 と言い、それが ”天孫結び” だったことを確認して信用したという話が書かれている。
 ついでに、結びに関わって女性の地位に関する記述。
 『万葉集』 を見ると女性は、男性が浮気をしたかどうかはどうでもよいのです。むしろ男性の方が、朝、奥さんの結んでくれたひもがとけていないかどうか、すなわち、貞操の証が立つかどうかを心配しています。ですから、こういう帯結びの習慣は、女性の高い家族内での地位、社会的地位が前提になっていることを知っておくべきでしょう。  (p.68)

              【水引(みずひき)の思想】

 

 

【仏教の死と神道の死】
 このようなどんちゃん騒ぎの葬式が、悲しみの葬式に変わったのは、やはり仏教のせいでしょう。仏教は、人に死の恐怖を与えて教化するのです。この世で悪いことをしたら、あの世で怖い目に遭うと言うような因果応報思想もそのひとつです。・・・(中略)・・・。もともとは、日本人の死は魂の再生であり、肉体を取り換えての再出発だとされていましたので、必ずしも恐怖ではなかったようです。   (p.76)
 親戚の葬式のとき、病気で苦しんで亡くなった叔母様に、「苦しみの肉体を出られてよかったね、新しい世界に行けるね」と思いつつにこやかな顔をしていたら、その他の叔母様方に、「不謹慎な奴」 と思われていたのを自覚している。
 あの世の側から見れば、死は誕生である。何故悲しむのか・・・。

 

 

【直会(なおらい)】
 共同体では同じ神様をみんなで信仰します。みんなで祭ります。そこで神と人間が同じものを食べ合い、飲み合うことによって神の霊性が自分たちの内に入ってくるという信仰が生じます。共食習俗ですが、これを直会(なおらい)と言いました。
 元来、宴会の基本は直会にあります。  (p.100)
 神気は、陰気とは正反対の陽気に宿るから、陽気にドンチャン騒ぎで宴会を盛り上げ、バカ笑いするのである。
 人を笑うというと西洋では侮辱的になるが、日本の場合は祝福の笑いなのです。笑いによって相手の罪が清められ、魂が再生産されるという思想があるのです。  (p.88)

 

 

【箸の起源】
 昔は玉串(たまぐし)といって、神様に物を捧げるときは一本の棒にさげて贈った。串は神と人間が魂を交換するための道具だったのです。串は神聖なものです。日本語で「奇しきもの」というと、霊妙不可思議なことを表わします。・・・(中略)・・・。箸は長い串を折り曲げたピンセットから派生してきたので、もともと日本人は神聖観を持っていました。 (p.113)
 だから、お箸の使い方には、いくつもの行儀作法(箸礼法)がある。

 

 

【「地震・雷・火事・親父」の論理】

 「地震・雷・火事・親父」という言葉があります。・・・(中略)・・・。実は、親父の存在がいかに軽いかを言っている言葉なのです。
 というのは、地震にしろ雷にしろ、一過性の自然現象なのです。火事にしたって昔は木造建築だからパッと燃えてパッと消えてしまう。それと同じように親父の権威といっても一過性の花火のようなもので、・・・(中略)・・・、観方によれば親父に対する最大限の軽蔑用語といってもいいでしょう。    (p.149)

 碩学の見解なのだけれど、「そうだろうか・・・」 と思ってしまう。
 陰と陽、破壊と創造。神の持つ二つの側面である。厳(いつく)しき父、慈(いつく)しき母。母の役割を自然界の “太陽” に例えるならば、親父の役割を “地震・雷・火事” に例えることが可能であろう。
 神社に行けばどこにでも見られる注連縄は、雷雲であり、そこから垂れているギザギザの白い幣(ぬさ)は稲妻を象徴していると考えることも可能である。つまり雷のもつ浄化作用を象徴している。
 「地震・雷・火事・親父」 は、厳しき父の業(働き)と解釈することもできるのではないだろうか。
     《参照》  『古代日本人・心の宇宙』  中西進  日本放送出版協会  《後編》

                    【雷】


 <了>
 

  樋口清之・著の読書記録

     『梅干と日本刀』

     『帯と化粧』

     『柔構造のにっぽん』

     『装いの文化』

     『大和の海原』